余談雑談(第145回)国旗と国家

元駐タイ大使 恩田 宗

 2021年はコロナとオリンピックで翻弄された。コロナは翌年以降も続いたが五輪はやり終えた。多くの国の国旗がはためき様々な国歌が演奏されたが日本の国旗と国歌が他と違って極めて個性的であることに改めて気付かされた。

 国旗の意匠は、世界の国の四分の一は仏・南ア・タイなどのように旗面を直線で区切り異なった色で塗り分けている。色に限りがあるのでインド・ブラジル・カンボジア・ポルトガルなど六割弱の国は直線で塗り分けた上に自国の民族・文化・宗教などを象徴する図柄を描き加えている。一色の旗面にそうした図柄を描いているのは日本・スイス・トルコ・中国など二割弱と少ない。白地に赤い日の丸の旗はあざやかでシンプルですぐ見分けることができた。国歌は国民の奮起を促し国家への愛・国民の信条・国土の美などを歌う躍動的なものが多い。「君が代」は歌詞が短く曲が緩慢で地味である。1999年の調査では3割の日本人が親しみを感じないと答えたという。中田英寿は、サッカー競技の国歌斉唱の際声に合せて歌わずその弁解に「ダサイ…気が落ちて行く…戦う前に歌う歌ではない」と語りマスコミに批判された。皆で自ずと歌い出したくなるような歌でないのは事実である。

 日本は近代化で欧米に400年遅れた。先進国と並ぶには彼等を見習うしかないと屈辱に耐えてまげを切り洋服に着替えて奮闘し後発国の中では真っ先に追いついた。国旗は幕末から御国総標であった「日の丸」にし国歌は宮内省雅楽課が古今集の歌に曲をつけドイツ人音楽教師が編曲した「君が代」に決めた。既に洋楽の小学唱歌が普及していたが国歌も独自のものをとの明治人の気概が和歌と雅楽の組み合わせを選ばせたのだと思う。

 F・フクヤマは1992年「歴史の終わり」で、ヘーゲルの歴史論(自分の価値・尊厳を認めて欲しい・いや認めさせるとの認知・優越への願望が歴史の原動力で自由平等が達成されればその対立的緊張は解消し歴史も終焉するとの説)に基づき、共産主義が崩壊し自由民主主義が勝利したので更なる進歩の余地は無く歴史は終わった、と断定した。そして、人間が優越願望(気概)を失うとは考え難いので歴史は今後とも横揺を続ける、と付言した。然し21世紀に入り人類は歴史の横揺れどころか生存を脅かすような異常気象や地球規模で平和を脅かすような戦争に見舞われている。そうなると欧米追随や自立独行では生き残れない。同(どう)舟(しゅう)相(あい)救(すくう)の諺通り世界の国々と手を組み並んで進むしかない。

 東京五輪を英国のメディアは「成功したとは言えないが失敗ではなかった」と報じた。あの状況下では失敗でなければ成功である。然し、日本は認知願望に駆られオリンピック招致を諸国と競い贈賄の疑惑を招き、競技運営では膨大な経費を費やし巨額の不正支出事件も起した。それで良かったのかとの疑問を残した。