中米グアテマラと日本


元駐グアテマラ大使 川原 英一

<はじめに>
 2013年秋から2016年末迄グアテマラに勤務した。同国はメキシコの右隣りに位置し、北緯14度から18度までの亜熱帯地域にある。首都グアテマラ市は海抜16百メートルの高地にあり、年間を通じて温暖な気候である。元スペイン植民地であり総督府があった。人口1700万人で中米の大国と言われていた。国を東西に横切るように火山が30近くもあり、富士山に似た姿のアグア火山(右上写真)が首都に近くにあり、標高が富士山とほぼ同じ高さである。日本大使館の入る事務所ビルからも眺めることができた。 2014年秋、秋篠宮さま御夫妻にグアテマラにお越しいただいた。北部の熱帯雨林地帯にあるマヤ文明最大のティカル遺跡の御視察へ同行する際、首都オーロラ空港から出発する間際に、晴天下のアグア火山を眺めて、なるほど、北斎の描く富士の姿にも見えますね、と秋篠宮さまが述べられたことも記憶に残る。
 首都グアテマラ市周辺では米国でよくみかけた大型スーパーマーケットやショッピング・モールなどが、私が在勤する数年前頃から増え始め、また、首都の市街地を走る車の多くは、様々な年代の日本車であった。首都に人口、経済活動が集中しており、朝夕の交通渋滞がひどい。都市道路計画上は50万台の車利用を想定して建設されたが、その2倍以上の車が毎日利用しており、公共バス専用レーンを設けるなどして都市部の通勤の緩和をしていた。地下鉄を通すには硬い岩盤層のため、コストが嵩んで出来ない、この国のGDPの8割が首都県(グアテマラ県)のみで生み出されていることを、故アルス―市長(元大統領)にお会いした折にお聞きした。

<グアテマラ西部への旅>
 同国の中では比較的治安の良いとされる西部地方を車で4時間ほど移動していた際、時々、田舎風景の中に立派すぎる家屋が建てられているのを見かけた。米国に出稼ぎ労働している人達の家族への送金で建てられたと大使館運転手が教えてくれた。米国には2百万人ほどグアテマラからの移民労働者がおり、彼らからの送金が、この国のGDPの1割強を占める。西部地方の話しに戻ると、山岳地域を走る道の途中に立つ「サミット」という名のホテルに泊まった。翌朝、同行した大使館職員たちと朝食を摂っている折、伝統的な柄の衣服(ウィピル)をまとった地元の女性グループが同じホテル内で会合するところを、すぐ近くで観察する機会があった。会合が始まる前に、しきりにスマホを使っている婦人が目にとまった。この国の携帯電話の登録台数が2.2千万台以上あり、全人口をはるかに上回っていると、以前会った通信会社の方からお聞きしたのを思い出した。このホテルの近くには温泉があり湯煙が上がっており、来る途中に、稼働中の地熱発電所(左上写真)も視察させてもらった。当国電力公社とイスラエル系企業が共同経営していたと記憶する。

<天皇誕生日レセプション>
 首都の各国大使館は、ナショナルデー・レセプションを毎年開催して政財界・大学・文化関係者などを招いている。私が勤務したのは平成の御代であり、毎年11月末にレセプションを開催していた。12月に入って開催すると、キリスト教徒の多いこの国では、政・財界や大学関係者の方々はクリスマス休暇に早くから入り首都には不在となるので、繰り上げて11月末に実施していた。 ナショナルデー・レセプションは、招待したゲストの方々に日本を知ってもらう良い機会である。天ぷら・にぎり寿司など日本食を出し、本省から送ってもらった日本酒の試飲コーナーを設け、さらには日本製品展示ブースが会場内に設置される。鏡開きは、当国の出席閣僚や経団連会長などと共に法被(はっぴ)姿になって一緒に行い、日本の伝統・習慣や食文化などの紹介の機会として活用した。日本製品の展示コーナーの中で、人気が高いのは、キャノンのカメラとプリンターを使って、日本の風景を背景にしてゲストを撮影した写真を使い、その場で小型カレンダーを作るコーナーであり、毎回、長蛇の列となった。日本主催のナショナルデー・レセプションの様子は地元メディアでも報じられた。

<両国外交関係80周年の節目>

 幸運なことに、2015年は、日本とグアテマラとの外交関係が樹立されてから80周年の節目にあたり、多くの関連行事が1年を通じてあり、自らが関与して、様々な体験をすることができた。これら行事内容は、同国のTVや新聞などで数多く報道された。日本の様々な姿を、多くのグアテマラ国民の方に大いに楽しんで頂けたのではないかと思っている。
(1)2015年2月、外交80周年記念の開幕式典(左上写真)が、この国のノーベル文学賞受賞者(ミゲル・アンヘル・アストゥリアス、1967年ノーベル賞授賞、小説家、外交官)の名前を冠した国立劇場で行われた。2千名以上収容の壮麗な劇場である。この建物の設計にあたり、当時の欧州各地の建物を視察して回ったそうである。なお、同劇場の音響施設は、昔、日本から無償供与されたものがよく機能していた。

(2)文科省国費留学生として選抜された若者たちの壮行会を、毎年3月、日本へ出発前に公邸で行った。年によって少し違いはあるが、大学院研究生、日本語・日本文化学習、学部留学など5-6名の文部省国費留学生が日本へ招かれていた。 この中で、日本の大学学部留学生が少ないのだが、理由は数学試験のレベルがこの国の多くの学生にはレベルが少し高すぎる為である。(上写真:筆者の右側の方は当時の教育大臣)
 実は、日本が、この国の小学校児童たちの算数・数学のレベルを向上するための支援を2007年頃から始めており、まず、小学校及び小学教員を対象に教科書と教員用の指導書などを作成してきた。ここ数年、さらに同国中学生の国定数学教科書や教員のための指導書の作成を日本の技術協力の一環として取組みがなされている。 
 最初に国費留学制度が始まった当時は、サン・カルロスというこの国で唯一の国立大学医学部卒業生が、1-2名程度、日本に研究留学生として招聘されていた。近年、国費留学生の数が次第に増え、日本での研究を終えて帰国後、現在は、各分野で御活躍をされている。私の在勤中、日本留学生同窓会の立ち上げを働きかけ、お声をかけた方のうち、50名程の元留学生が全国から公邸に参集して頂いた。こうして最初の総会が開催され、初代会長には、東京医科歯科大学に留学された歯科医アブレウ先生が選ばれた。その後、この同窓会の皆さんには日本との外交樹立80周年交流事業や日本人学校運動会で恒例となっている盆踊り大会に参加してもらえるようになった(その後、コロナ禍の中、児童生徒数が少なくなり、令和2年度末で日本人学校は閉校)。

(3)日本と中米ビジネスフォーラム
 2015年5月末、グアテマラ政府が主催して、日本と中米のビジネス関係者のフォーラムが行われた。このフォーラムに参加した日本企業関係者は52社、100名を超え、中米側約150企業関係者と合わせて約4百名が参加した。日本と中米企業同士の商談会アレンジは日本大使館が行った。日本経団連小島順彦副会長(当時、三菱商事会長)が団長となり、このフォーラムへ御参加頂いた。また、中米ビジネスを統括している米国進出日系企業の代表者の方々も御参加頂いた。同フォーラムにはグアテマラ大統領、同経済大臣らの御参加があり、中米と日本のビジネス関係者の間で商談会も実施された。

<日・中米ビジネスフォーラム準備の裏側では・・>
 開催国であるグアテマラ政府(外務省)との間での日本・中米ビジネスフォーラムの日程やプログラム詳細につき、在グアテマラ日本大使館とグアテマラ外務省が協議して進めることになっていた。また、中米各国政府・経済団体などへの連絡は、グアテマラ外務省側が手配することとされていた。しかし、この大型行事案件について、日本側が希望したように開催前1年半ないし1年前から日程を確定し、着々と準備が進められたわけではなかった。グアテマラ側が開催日程を最終的に決める迄に1年以上を要してしまった。早く日程を確定し、多くの関係者に早めに参加をお願いする必要があるのだが、本件日程案を日本側から何度提示しても確たる回答がなく、最終的に一任された外務副大臣は、なかなかつかまらない。しびれを切らしていたある日、副大臣が海軍記念式典に出席予定であり、その際、当方と懇談する時間があると聞いて、首都から2時間近くかかる太平洋岸のケツァル港の海軍施設式典会場にまで直接出向き、式典後のレセプション会場で、この副大臣と直接に面談して、副大臣に電子手帳で確認してもらいながら、5月末開催を副大臣本人に決めてもらった。
 他方、フォーラム日程が最終確定した時には、すでに開催まで3か月を切っていた。本省担当課にはその日のうちに連絡し、国内要路へご連絡をして頂き、本来は、中米側議長国であるグアテマラ側が行うべき中米各国側への連絡についても、わが方の各国駐在日本大使館から水面下で相手関係機関へあらかじめ連絡しておくという措置を本省に指示してもらった。
 やはり、重要なことはトップダウンでしか決まらない、また、ラテン時間で働く相手に対して、粘り強く具体的準備詳細を協議してくれた大使館員、その結果を受けて、日本国内各方面への根回しをされた本省担当課長には随分とご苦労をお掛けした。その後、グアテマラ側との開催場所について交渉結果、幸い、便利の良い首都のホテルを一括抑えてもらった。具体的準備を急ピッチで進めて頂いた。残された時間内に全ての準備を終えるには、準備関係者がタフでなければ務まらない。なお、同フォーラム後にお会いしたグアテマラ経団連幹部の方からは、同国外務省が窓口となると、決定・情報共有にとてつもなく時間がかかることは、過去にも経験済みであり、同フォーラム開催までの準備が、さぞ大変であったろう、との温かい言葉を頂戴した。

(4)岩見神楽公演
 島根県や広島県北部を中心に岩見神楽保存団体が100ほどあると聞いた。海外公演の実績がある島根県益田市にある岩見神楽保存会(親和会)へ本省から中米公演のお願いをして御快諾を得た。おかげで外交80周年の節目にグアテマラなど中米3か国での公演が実現した。 

 グアテマラ国立劇場では、岩見神楽のデモンストレーションと夜の公演が2日間行われたが、いずれも満員であった。恵比須様のユーモラスな踊りや勇壮な大蛇(おろち)の見事なパーフォーマンスは圧巻であった。公演が終了するや、会場にいた2千名以上の子供から大人まで観客が総立ちして、拍手・喝采がしばしの間続いた。遠路、遥々とお越し下さった島根県益田市の岩見神楽保存会の皆様の熱演に対して、感動したグアテマラの観客からの精一杯の感謝の気持ちがよく伝わったと感じた。 後日談となるが、同神楽保存会団長の三原さんは、帰国されて2年ほどして、小学校へ登校中の子供たちの横断歩道での指導員をしておられた際、不慮の事故に遭遇され、お亡くなりになられたとの大変に痛ましい報道をネットで知って驚いた。グアテマラ公演で拝見できた素晴らしいご活躍を、もう見る機会がなくなり、とても残念な気持ちで一杯となった。落胆されておられる御家族へすぐに電話と弔電で哀悼の意をお伝えした(左写真の左端の方が三原団長)。 (続く)