ロシアによるウクライナ侵略にベラルーシはどう係わっているか


前駐ベラルーシ大使 徳永 博基

 2022年2月24日は、おそらくベラルーシにとっても最悪の日であったことだろう。後日、ルカシェンコ大統領は、親露派とされるウクライナのジャーナリストによるインタビューにおいて、ロシアの「特別軍事作戦」に関して、プーチン露大統領から事前に何の話も聞かされていなかったと語った(2023年8月17日)。実際、「特別軍事作戦」開始後、数日間、ルカシェンコ大統領を含め、ベラルーシからは何ら公式な意見表明は無かった。憶測に過ぎないが、ロシアがウクライナを侵略したことはベラルーシにとってもショックだったのではなかろうか。しかも、合同演習が終わった後もベラルーシに居座っていたロシアの部隊がキーウを目指して侵攻し、ベラルーシにとっても他人事では済まされない状況となってしまったわけだから。

ロシアのウクライナ侵略前のベラルーシとロシアの関係

 ベラルーシとロシアは「連合国家」であるが、ではこの「連合国家」とはどういう経緯で生まれたものであろうか。そして、ルカシェンコは本当にプーチンの盟友であろうか。
 ルカシェンコ大統領は、旧ソ連共和国の指導者の中で唯一ソ連邦の復活を夢見ている指導者である。1999年12月8日にベラルーシはロシアとの間で「連合国家創設条約」を締結したが、プーチンがロシアの大統領に就任したのは2000年5月7日であるから、「連合国家創設条約」はルカシェンコ大統領とエリツィン露大統領との間で結ばれたものである。1994年に大統領になったルカシェンコは根っからの野心家であり、ベラルーシの大統領では飽き足らずに、アル中でまともな政治ができなくなっていたエリツィンを出し抜いて、ベラルーシ・ロシア連合国家の「元首(最高国家会議議長)」となることを目論んだわけだ。しかし、その後、ルカシェンコは連合国家への関心を失った。プーチンの登場によってルカシェンコの計画は大きく狂ってしまった。新たにロシア大統領となったプーチンは狡猾な人間でルカシェンコの策略に簡単に乗せられることはなかった。むしろ連合国家創設条約を利用して、ルカシェンコの地位やベラルーシの主権と独立すら危うくさせかねない状況になってしまった。かくして、ルカシェンコは、ロシアと統合することへの関心を失い、連合国家創設条約に定められた統合を進めるための協議は実質的に進展がなかった。ところが、2018年頃から状況は徐々に変わり始めていた。ロシアは、創設条約に定められた統合を強く求めるようになったのである。
 ここでベラルーシ・ロシア関係に関連して興味深いエピソードを上げたい。2018年8月24日、2006年から駐ベラルーシ露大使を務めていたスリコフ大使の後任として、バービチ大使が着任した。ところがバービチ大使はベラルーシ政府の要人と会うよりもベラルーシの各地を訪れ、住民と直接交流することが多かった。まるで州知事のような、このロシア大使のふるまいをベラルーシ側は不快に感じ、ルカシェンコはプーチンに対して、大使の交替を求めたということが噂された。その結果か、2019年4月30日、バービチ大使の突然の解任が発表され、後任にメゼンツェフ元イルクーツク州知事が任命された。話はこれで終わりではない。両国間の慣例と異なり、メゼンツェフ新大使の信任状捧呈は直ちに行われず、同年9月にシューベルEU大使が着任するまで待たされた。今から考えると信じられないことだが、このエピソードから、当時の両国間の微妙な関係を窺い知ることができる。因みに、2019年8月末に米国のボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官がベラルーシを訪問し、ルカシェンコ大統領と会っており、2020年2月初めにはポンペオ米国務長官がベラルーシを訪問している。ルカシェンコが大統領になってから最も西側に近づいた時であった。
 話はやや変わるが、ベラルーシにはカリ肥料を除いて資源らしい資源はなく、また、ソ連時代から農機具など機械製造を行っているが、これと言って確かな収入源となる産業がない。なので、ロシアから原油を安価で買って、それを精製し、輸出して利ざやを稼いできた。また、エリツィンとの合意で(とルカシェンコは主張している)ロシアの内国価格同様の安い価格でガスを購入してきた。この仕組みの見直しをロシア側は主張しており、年末になるとエネルギー価格について両国間で厳しい交渉が行われるのが恒例となっていたが、2018年の交渉では、ロシア側が、ロシアの国内同様の安い価格でエネルギーを買いたいのならば、連合国家創設条約にある統合プロセスを加速すべきだと主張し始めた。それをベラルーシ側はのらりくらりとかわした。2019年1月10日にベラルーシ政府の会合でルカシェンコ大統領は「ロシアとの統合は議題になっていない。このことはプーチンとの間で共通の認識である」と発言している。しかし、2019年末の交渉では、結局、双方は統合に向けてのロードマップを作ることで合意した。

2020年8月大統領選挙が転換点となる

 2015年の大統領選挙がベラルーシと西側との関係改善に繋がったこともあり、2020年大統領選挙も比較的問題なく終わるものと考えられていた。しかし、春頃になると、意外にもルカシェンコの苦戦が囁かれるようになった。長年にわたるルカシェンコの統治に国民は飽き飽きして、変革を求めていたのである。その頃、ベラルーシでも一定の自由はあり、国民は、近隣諸国はもとより、遠く日本までも何らの制約も無く旅行することができた。また、SNSもほとんど制約なく見ることができ、外国の情報に日常的に接することができた。国営放送すら欧米や日本について肯定的に報じていた。ベラルーシはもっと豊かになれるのに、ルカシェンコ政権下ではその潜在力が十分に生かされないとの考えが、特にソ連時代を肯定的に捉えていない都市部の若い層を中心に広がっていた。ルカシェンコ政権は様々な口実を見つけては有力と見られた候補者を潰していったが、結局、一主婦に過ぎないと軽く見られていたチハノフスカヤが他の陣営の女性たちの応援を得て注目され、旋風を起こした。選挙後、投票用紙など選挙に関する全ての資料が破棄されたので確かめようがないが、少なくともミンスクの一部の投票所ではチハノフスカヤがルカシェンコを上回っていたと言われている。それ故、ルカシェンコが8割の支持を得て当選したとの中央選管の発表に国民は大いに憤慨し、犠牲者を出すような流血の事態に発展する激しい抗議運動が起きた。画面を通して見た印象ではあるが、このような事態にルカシェンコは憔悴し、自信を失っていた。普段から執務を行っている独立宮殿にデモ隊が最接近した時、ルカシェンコは怯えていただろう。それ故、デモ隊が去った後、わざわざ銃を持ち、防弾チョッキを着て、独立宮殿の守備を行っていた特殊部隊の隊員を労っている映像を放映して、「強い指導者」をアピールしたのだろう。その様は滑稽ではあったが。
 かくして、ベラルーシの政治情勢は逆戻りをし、西側との関係は再び悪化した。欧米は制裁を再びベラルーシに課した。チハノフスカヤはリトアニアに逃れたが、その夫のチハノフスキーは拘束されたままであり、また、有力候補だったババリコ元ベルガスプロムバンク頭取も別件で逮捕されて、有罪となっている。チハノフスカヤを支えて選挙運動を展開し、その後も国内に留まって抗議運動の精神的な支柱となっていたマリア・コレスニコワも収監されている。当局に拘束され、ウクライナに追放されそうになった時、国境で当局の車から脱出し、パスポートを破いて追放を阻止した勇敢な女性であるが、いつも笑顔を絶やさず、デモに参加している人々を勇気づけてきたチャーミングな人である。彼らは今どこにいて、健康状態はどうなのか、全く分からない。日本大使館を含めて、ミンスクにある西側の公館から、彼らの消息に関する情報提供を要請する口上書を出したが、返事はない。
 その後も2021年5月に民間航空機強制着陸事件や同年秋には中東などからの移民による不法越境問題が顕現化するなど次々と事件が起きて、その都度、欧米の制裁も厳しいものとなり、ベラルーシは益々ロシアに近づいていった。

2022年2月24日以降のロシア・ベラルーシ関係

 こういう流れの中で、2月24日を迎えた。前にも書いたが、ウクライナへロシア軍が侵攻することをルカシェンコは事前に知らなかったかも知れない。いずれにせよ、ベラルーシは領土をロシア軍に使わせることになり、ベラルーシは「共侵略者(co-aggressor)」とされた。このことをルカシェンコは大いに不満であった。彼はベラルーシの領土をロシア軍に使わせたのは自分のせいではないと考えていたのだろう。また、ベラルーシで和平交渉を行うことを提案し、事実、数回「協議」が行われたが、同席していたキジム駐ベラルーシ・ウクライナ大使が後に筆者らに述べたところでは、ロシア側はその言い分を一方的にウクライナ側に圧しつけようとしたもので、とても「交渉」と呼べるものではなかった。
 一方で、ベラルーシはロシアの「特別軍事作戦」に自国軍を派遣することは何やかやと言って逃げまわった。ロシアで動員があった時には、ルカシェンコは「ベラルーシでも動員が行われている。ジャガイモを掘るために」と冗談とも何とも言い難いことを言って、話を逸らそうとした。と言うのは、ベラルーシの国民はロシア以上にウクライナに親戚、友人・知人などがいて、結びつきが強く、何故、ベラルーシがウクライナと戦わなければならないのかとの思いが強いことがある。それにベラルーシの軍隊はウクライナと戦えるほど強くなく、たちまち撃破されてしまうとの現実的な理由もある。ルカシェンコの支持者の中にウクライナとの戦争に反対する者が多く、軍の高官ですら反対しているとの話を聞いたこともある。それ故、参戦はルカシェンコにとって自分の地位を危うくさせかねないものであった。
 ウクライナの反転攻勢がうまく行かずにロシアがやや優位とされる状況では、もはやベラルーシが参戦するようロシアから圧力がかかることもないだろう。

結び:ロシアのウクライナ侵略は避けられたのか

 歴史に「もし(if)」は無いと言われるが、ベラルーシについては敢えて考えてみたい。もし、2020年の大統領選挙でチハノフスカヤが勝利したとしたら、あるいは選挙後の抗議運動で民主勢力がルカシェンコ政権を倒していたら、おそらくロシアが侵略したのはウクライナではなく、ベラルーシだったかもしれない。ロシアにとってベラルーシはNATO諸国との緩衝地帯あり、ベラルーシが民主化することはロシアの安全保障上の不安材料となりうる。また大河や山などの自然の障害物がないベラルーシを戦車で蹂躙することはウクライナよりはるかに簡単なことだ。欧米の助けが期待できない中、ベラルーシにとってロシアの勢力圏から逃れるとの選択肢はあるだろうか。大きな声では言い難いが、ミンスクの西側外交筋の間には、2020年の大統領選挙後のルカシェンコ政権によるベラルーシ国民に対する苛烈な弾圧を目にしていると、あの当時はまともに見えたプーチンがルカシェンコを諫めてくれないだろうかとの淡い期待があった。今となって振り返るとこのような期待は極めてナイーブで有り得ないことではあったが、ベラルーシに対して何らレバレッジのない西側がロシアに期待したとしても仕方がなかった。ウクライナと異なり、ベラルーシはロシアの勢力圏にあることを西側も暗に認めていたわけである。結果として、我々は、ベラルーシに制裁を課すことで、棚ぼた式にベラルーシがロシアの手中に落ちてくることを狙ったプーチンの策略にまんまと乗せられたのかもしれない。
 また、2020年大統領選挙に至る一連の流れを踏まえると、もし、西側がベラルーシに対して違ったアプローチをとっていたら、ベラルーシがロシアにこれほど近づくことはなく、ロシアのウクライナ侵略も違った展開になっていたのではなかろうか。少なくともベラルーシの領土がロシア軍のウクライナ侵略に使われることはなかっただろうし、そもそもウクライナ侵略そのものがありえなかったかもしれない。
 このような筆者の見方に賛同する人は多くないかもしれない。しかしながら、(真偽は不明だが)ルカシェンコによれば、ベラルーシへのロシアの核兵器の配備が完了したとされる今日、我々は、ルカシェンコの言動の滑稽さを冷笑するのではなく、欧州の安全保障にとってのベラルーシの地政学的な意義をもっと重視すべきではなかろうかと筆者は考えている。