ロシアによるウクライナ侵略と日NATO協力の進展


  駐ベルギー兼NATO代表部大使 三上正裕

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵略の開始は、ほんの数年前には、「脳死状態にある」とすら評されたNATOを覚醒させることになった。現在、NATOは同侵略への対応に忙殺されているが、同時に、この侵略はNATOと日本との協力も大きく前進させることにもなり、2022年6月にスペイン、今年7月にリトアニアで開催されたNATO首脳会合には、2年連続で日本、韓国、豪州、ニュージーランドのアジア太平洋パートナー国(AP4)首脳が招かれ、日本からは岸田総理大臣が出席した。

 本稿では、ロシアによるウクライナ侵略に対するNATOの対応と先般の首脳会合の成果を概観したあと、欧州においても大きな問題となっている中国との関係に触れ、最後に日本とNATOの協力の進展を説明することとしたい。

ロシアによるウクライナ侵略とNATO

 NATOは、1949年に署名された北大西洋条約(ワシントン条約)に基づき、自由、民主主義、法の支配といった原則と価値を共有する諸国が、集団的自衛権を基礎とする協力によって北大西洋地域の安全を守ることを目的とした集団的防衛機構である。1990年代初頭のソ連邦及びワルシャワ条約機構の消滅により、一時期はその存在理由が問われたこともあったが、1990年代以降は、民族紛争やテロ、大量破壊兵器の拡散といったより多様化した脅威に対応するため、「域外(out of area)」任務、あるいは非5条任務といわれる危機管理任務に比重が置かれるようになった(バルカン半島、アフガニスタン、イラク、地中海沿岸諸国等)。しかし、条約第5条に定める欧州及び北米(まとめて欧州大西洋(Euro-Atlantic)とも称される)の集団防衛がNATOの中核任務であることは一貫して維持され、1990年代の終わりから、ロシアの行動に不安を感じ自国の安全保障を求める中東欧諸国が次々とNATO加盟を果たしていった(1999年にポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、バルト三国、スロベニア、2009年にアルバニア、クロアチア)。ウクライナについては渋る仏独をブッシュ(2代目)政権下の米国が押し切り、ジョージアとともに、2008年のNATOブカレスト宣言で将来の加盟が決定されたが、こうした欧米の姿勢に対してロシアが反発し、2014年のクリミア併合、そして最終的にはウクライナへの本格的な侵略につながっていった。

 ロシアによるウクライナ侵略の開始以来、NATOはウクライナ支援で一致協力しているが、数年前、米国トランプ政権の時代には、NATOの役割や政策をめぐって、米欧間で意見の対立が顕在化し、2019年のロンドン首脳会合の直前にはマクロン大統領が「NATOは脳死状態にある。」と述べて、物議をかもした。しかし、米国におけるバイデン政権の登場、ロシアによるウクライナ侵略は、NATOの結束強化をもたらし、NATO及び加盟国は、自らは紛争当事者ではないと位置付けてロシアによるウクライナへの侵略がロシアとNATO諸国との戦争に拡大しないよう細心の注意を払いながらもウクライナ支援に全力を挙げてきている。

リトアニア首脳会合の成果

 ロシアによるウクライナ侵略が継続する中で、今年7月の首脳会合を迎えるに当たって、大きな問題となったのは、ウクライナのNATO加盟問題の扱いと加盟までの間、ウクライナの安全をいかに確保するかということであった。将来におけるウクライナのNATO加盟自体については、ジョージアとともに、2008年のブカレスト首脳会合の際に決まっていたが(「我々は本日、両国がNATO加盟国になることに合意した。」)、その時期や態様については何も決まっていない中、ゼレンスキー大統領は具体的な道筋を決めるよう強く要求し、これをバルト、中東欧などの東方側面締約国が強く支持したのに対し、ロシアの反発と緊張の一層の激化を懸念する米国や独は極めて慎重であった。この結果、ウクライナ加盟問題については、「我々は、加盟国が同意し、条件が整えば、ウクライナに加盟の招待を行う立場にある。」という慎重な表現にとどまり、代わりに、① NATOウクライナ委員会を、加盟国とウクライナが対等なメンバーとして参加するNATOウクライナ理事会に格上げし、② ウクライナの加盟に必要とされてきたMAP(加盟行動計画)要件を削除し、③複数年計画のウクライナ支援パッケージを作成することなどが決定された。

(写真)G7とウクライナの共同宣言を発表する岸田総理大臣(筆者撮影)

 ウクライナの安全確保の面では、NATOの枠外として、G7各国とウクライナで「ウクライナ支援に関する共同宣言」が発表され、この宣言に基づいて、署名国とウクライナが二国間で交渉を行い、文書を作成することとなった。この宣言の発出はG7首脳とゼレンスキー大統領によって行われ、冒頭岸田総理が発表を行い、続いてバイデン大統領が発言、最後にゼレンスキー大統領が発言した。日本の報道ではあまり取り上げられていなかったが、バイデン大統領が演説中に岸田総理の方を向いて、「欧州でも米国でも、彼(岸田総理)が立ち上がり 、ウクライナを支援すると思っていた人はほとんどいなかったと思う。彼は防衛費を増額し日本を強化した。なぜなら、彼はロシア軍の18 万5000 人の兵士が国境を越えて他国の主権を奪うことは、世界全体に影響を及ぼすとわかっていたからだ。改めて公の場で感謝したい。」と述べる印象的な場面もあった。

 この他、今次首脳会合では、各国がGDPの少なくとも2%を国防費に投資することを決定した他、クルド系過激派の取り扱いを巡ってスウェーデンのNATO加盟に慎重な立場を取っていたトルコが、ストルテンベルグNATO事務総長、エルドアン・トルコ大統領、クリステション・スウェーデン首相による話し合いの結果、スウェーデンの加盟に同意したことも重要な成果となった。

NATOと中国

 NATOは基本的に欧州の防衛機構であり、誕生以来常に東方(ソ連及びロシア)からの脅威が最大の関心事項であったが、中国については、長らくそのレーダー・スクリーン外にあった。しかし、近年における経済力、技術力、軍事力の増大を背景にした、ルールに基づく国際秩序に対する中国の挑戦的な姿勢と行動が欧州諸国にとっても脅威となるとともに、ロシアによるウクライナ侵略で中国がロシアの行動を非難しないばかりか、連携するかのような行動をとっていることは、NATO各国の中国に対する警戒感を格段に高めている。

 NATO関連文書に中国に対する記述が初めて現れたのは、2019年12月のロンドン首脳宣言であったが、そこでは、「我々は、中国の増大する影響力とその国際的な政策が同盟として共に対処する必要のある機会と挑戦の双方をもたらしていることを認識する。」とされ、機会と挑戦の双方に言及があった。しかし、2021年6月のブリュッセル・コミュニケでは中国に関する記述が格段に増加するとともに、「中国の増大する影響力とその国際的な政策は、同盟として共に対処する必要のある挑戦をもたらしうる。」とした上で、「中国が明らかにしている野心と強硬な行動は、ルールに基づく国際秩序と同盟の安全に関わる地域に対する体制上の挑戦(systemic challenges)をもたらしている。」とさらに踏み込んだ。そして、2022年6月に約12年ぶりに改定された戦略概念では、「中国が明らかにしている野心と強要的な(coercive)政策は、我々の利益、安全、価値に挑戦している。」と基本認識を示した上で、「我々は、中国との建設的な関与にオープンであり続ける。」としつつも、「欧州大西洋の安全保障に対して中国が呈している体制上の挑戦」に対応することを謳い、中国関連の諸課題に対して多くの字数をあてた。今年のNATO首脳会合コミュニケでも、基本的にこの戦略概念の認識が踏襲されている。これらのNATOの姿勢に対して、中国は大きな反発を示してきている。

NATOと日本

 このような流れの中で、日本とNATOの協力関係は大きく進展している。岸田総理が2年連続でNATO首脳会合に出席したことは冒頭で触れたが、林外務大臣も2年連続で外相会合に出席した他、対話だけではなく、サイバー防衛を含め、NATOの各種演習への自衛隊員等のオブザーバー参加や、トルコ地震に際してのNATOと連携した支援活動など、実務面での協力も着実に拡大している。これらを踏まえて、今年の首脳会合の際には、2014年以来作成されてきたこれまでの「国別パートナーシップ協力計画(IPCP)」を大幅に強化し、今後の日NATO協力の基本的考え方と行動計画を示す「国別適合パートナーシップ計画(ITPP)」が作成された(末尾参考参照)。2022年末の国家安全保障戦略等三文書の改定、GDPの2%を目標とした防衛費の増額などの日本の安全保障政策の強化は、ウクライナ支援とあいまってNATOによって高く評価されているが、その基盤にあるのは、自由民主主義の価値観を共有する相互の信頼感であり、また、欧州とインド太平洋地域における安全保障の不可分性の認識共有である。ストルテンベルグ事務総長は、今年1月の訪日時を含め、岸田総理の「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない。」という言葉を頻繁に引用している。

 もちろん、NATOは欧州北大西洋地域の安全を守ることを目的とした地理的同盟である。北大西洋条約第5条は、締約国が武力攻撃を受けた際には、他の締約国が集団的自衛権を行使して援助を行うことを定めているが、第6条と併せてその地理的範囲は明確に定められている。したがって、例えば、東アジアにおいて加盟国が武力攻撃を受けたとしても、集団防衛の対象にはならない。しかし、このことは、NATOが欧州北大西洋地域外に対して無関心であることを意味しない。NATOがこれまで第5条の集団的自衛権を発動したのは、米国における2001年の同時多発テロに際してだけで、冷戦終了後の多くの活動は、域外における危機管理活動(非5条任務)として、周辺地域等における危機が締約国に対する安全保障上の脅威に転化しないよう、予防的・防止的な活動を行ってきている(ウクライナ支援も位置づけとしては非5条任務である)。この「域外」危機管理活動を、どこで、何を、どの程度まで行うかについては、条約に決まりがある訳ではなく、あくまで加盟国の議論、コンセンサスで決定される。

 2023年の首脳会合の準備過程では、NATOの連絡事務所を日本に設置するというアイデアが浮上した。これに対して、多くの締約国は賛同しているが、フランスはNATOがあくまで北大西洋を対象とした機関であるという基本的な考え方から賛成できないとの立場をとり、議論は継続となった。マクロン大統領は今年4月に中国を公式訪問した際、ポリティコ紙とのインタビューで、「欧州の戦略的自律」を強調して米国と中国の双方から距離をとる姿勢を示して物議を醸し、日本の報道では、経済的な考慮で中国にすり寄っているといった解説が多く見られたが、これは一時的なものというより、その基本に、安全保障に関して米国の政策と距離を置くドゴーリズムの伝統があると思われる。1983年4月2日付けニューヨークタイムズ紙の記事 ”FRANCE BLOCKS JAPANESE BID FOR INFORMAL TIES TO NATO” https://www.nytimes.com/1983/04/02/world/france-blocks-japanese-bid-for-informal-ties-to-nato.htmlは、ソ連の中距離核ミサイルSS20の極東への配備に言及しつつ、当時の日本政府(中曽根政権)がNATOとの非公式対話を求めたのに対してフランスが反対していると伝えており、興味深い。フランスはドゴール大統領の下で、一時、NATOの軍事部門を脱退し、そのせいで本部もパリからブリュッセルに移動したわけだが、米国との考え方やアプローチには昔からかなりの相違があるようである。ただし、これはインド太平洋地域におけるNATOの役割に関しての話であり、ニューカレドニアなど、インド太平洋にも広大な海外領土を有しているフランスとして、艦船の派遣なども含め、インド太平洋地域の安全そのものには深い利害を有し、コミットしているとの立場をとっている。

 なお、日本側では、これまで駐ベルギー大使館がNATO代表部を兼轄してきたが、NATOとの協力の重要性の高まりを踏まえて、2024年からはNATO専任の大使が任命され、NATO代表部が独立する予定となっている。

おわりに

 筆者はかつて事務次官秘書官を務めていた2006年1月、当時の谷内正太郎外務事務次官(その後、国家安全保障局長)に随行して、NATO本部を訪れたことがある。当時は事務次官が訪問するだけでも珍しかったが、この訪問は同年5月の麻生外務大臣の訪問、そして2007年1月の安倍総理訪問へと繋がっていった。しかし、当時はNATO協力と言っても、事務レベルの対話くらいで実質的な協力は多くはなかった。しかし、その後、15年以上が経過してブリュッセルに着任し、対話、実務協力とも、日NATO協力の中身が大きく進展していることを見るのは感慨深い。この背景には、欧州でも、東アジアでも安全保障環境が厳しさを増してきたことがあるが、日本側で国家安全保障局の創設や平和安全保障法制の成立を含む体制整備が進み、NATOとの協力の基盤が整ってきたという事情もあろう。

 「史上最も成功した同盟」とも言われるNATOであるが、来年には設立75周年を迎え、7月にはワシントンDCでの特別首脳会合が予定されている。締約国数も当初の12か国から増加して、今年4月にフィンランドが加盟し31か国、近々スウェーデンが加盟すると32か国になる。スウェーデンの加盟を巡ってトルコがなかなか首を縦に振らず、様々な条件を付したのは記憶に新しく、欧州の中でも、ハンガリーなど人権や法の支配、ロシアとの関係に関して、独特の立場をとる国もある。NATOにおける決定がコンセンサス方式である中で、今後も一致協力して危機に効果的に対処していけるかはNATOの大きな課題であろう。ロシアによるウクライナ侵略が長期化の様相を見せるとともに、世界各地で自由民主主義の劣勢が見られ、また、東アジアにおける危機の可能性もある中で、我が国としては、自由、民主主義、法の支配に基礎を置く集団防衛組織たるNATOと更なる連携の可能性を探っていくことが重要と思われる。

(了)

(参考資料)