メダルを獲得したカンボジア柔道の顛末


元駐カンボジア大使 小川郷太郎

思いがけないカンボジアからの要請

 昨年の春が過ぎた頃だったか、カンボジア柔道連盟から本年5月に同国で行われる予定の第32回東南アジア競技大会(SEA Games、以下SG)の柔道競技でメダルを獲れる選手を育成してほしいと依頼された。SGとはアセアン地域のオリンピックともいわれる大きなスポーツの祭典で、この地域では大変盛り上がる一大行事だそうだ。依頼されたのは、私が2000年から2003年まで大使として在勤していた時から柔道の稽古に加わりその後もこの国の柔道連盟関係者との繋がりを持っていたからだと思われるが、その背景に、前回のベトナムでのSGの柔道競技ではカンボジアがメダルの獲得数でアセアン諸国の中で最下位だった事実がある。最下位どころか、聞いてみると1959年に始まったSGを通算して獲得した柔道のメダルの数が僅か一つだけなのだそうだ。思うに、1970年台後半のポルポト政権時代を挟む長い内戦時代を経験したこの国にとって長期間選手派遣や大会を主催する余裕がなかったのであろう。カンボジアが主催国になるのも今年が初めてである。主催国として何としてもメダルを獲得したいというカンボジアの気持ちは分からないわけではない。

 そこで昨年6月末にプノンペンを訪問し、ナショナルチームの練習に参加して観察した。やはり全体的にはASEAN諸国の平均的なレベルにはまだかなりの距離があるように思われた。その際久しぶりにフンセン首相を表敬訪問すると、首相からもカンボジアにとって今度の大会は極めて重要であるとして、柔道選手が金メダルを含めた複数のメダルを獲得できるよう是非強化してほしいと懇請された。えらいことになった。金メダルなど到底無理だろうと思ったが、ちょっと後に引けない重い宿題を背負う羽目になった。

 帰国してさて如何にしようかと考えたが、翌年5月までの短期間で選手たちをメダル獲得なレベルに引き上げるには、全般的な練習をするのでなく限られた分野で集中的に強化訓練をする必要があると考え、その分野として、①体力及び体幹の強化、②足技から寝技に入って抑え込む技能強化、③形競技での有望選手の集中強化の3点を考えた。そして、こうした集中強化を指導していただける先生として以前から尊敬している濱田初幸先生(講道館八段)に事情を話してお願いした。濱田先生は67歳であるが、現役時代は60kg級でアジア選手権優勝、国内でも体重別選手権で複数回優勝されているだけでなく、田村亮子選手も参加したアトランタ・オリンピックでは日本女子ナショナルチームの監督を務められ、国内外で豊富な指導経験を有する方である。先生は私の説明を聞いて、カンボジアは伸び代がありそうなので引き受けますと言ってくれた。その後、もう一人の指導者として中村美里先生(講道館六段)にもお願いした。美里先生はご存知の方も多いが、北京とリオのオリンピック大会でのメダリストでもあり、世界選手権でも3回優勝を経験している。彼女の足技・寝技の高い技能をカンボジア選手に少しでも身につけてもらいたいと考えたからである。幸い美里先生も快く引き受けてくれた。結果としても、お二人は現下のカンボジア柔道にとって最高の指導者であったことを、私は内心密かに喜び誇りに思っている。

ナショナルチーム強化支援の推移と効果

 カンボジアSG組織委員会からナショナルチームの監督に任命された濱田初幸先生には昨年10月からプノンペンで指導を開始し、12月より3ヶ月近くにわたる先生の地元松山での強化合宿を含めて本年5月のSG終了まで終始一貫情熱を込めて全身全霊で指導に打ち込んでいただいた。本年2月より中村美里先生が松山での指導に参加され、その後3月下旬からはプノンペンでの強化指導に携わっていただいた。両先生には相補いながら極めて効率的に指導を展開していただいた。両先生の相性の良さも効率的な指導に貢献したように思われる。濱田先生が主導する訓練では上記の3つの分野を中心に、細部にわたる技術指導や実際の試合を想定した実戦的技術指導が繰り返し行われた。

 松山で行われた強化合宿は目を見張るような厳しいトレーニングであった。早朝、午前、午後合わせて毎日7時間を超える訓練のなかで、早朝は松山城近くの神社の200段以上ある階段を10回全速力で登り、それに加えて片足で、またその後で同僚を背負って登る訓練も課された。ポルポト政権時代に人口の4分の1から3分の1が亡くなったといわれるが、ご想像の通り、カンボジアの選手たちは、栄養失調や極貧の中をやっと生き延びた人々の子供や孫の世代にあたるので、体力の面で他のアセアン諸国の選手たちより劣っている。集中訓練の分野に体力・持久力強化を掲げたのは、そのためである。この厳しい早朝練習では選手たちは懸命に対応したものの心身消耗の度合いも明白で観察していた筆者としても危惧を感じたほどであったが、選手たちは先生の説明や助言を理解し懸命にこれに耐えた。3ヶ月近い早朝練習を通じて、選手たちの下半身の筋力や体幹は見た目にも相当程度強化された。午前中は細微にわたる技術指導や試合相手との組み方などの実戦を想定した指導を繰り返し、午後は地元の強豪高校や大学の柔道部への出稽古を中心とした訓練が積み重ねられた。筆者が小柄な女子選手と組んでみても相当自力が強化されたように感じた。

 濱田先生の指導には闘争心に欠けるカンボジア選手たちに「日本魂」を浸透させるような意図が見られ、暫くするとカンボジ選手たちの顔つきも変わり、自分より実力が上回る日本人選手たちに長時間の乱取り稽古でも果敢に立ち向かうようにもなった。まだまだ不十分ではあるが、真面目で持続的な反復練習を厭わないカンボジア人の特性も助けになったようだ。時には泣きながら頑張っている選手も見た。

 松山では多くの人々が心を込めて選手団を支援してくれた。寒い冬に備えた防寒衣類の提供、濱田先生のご自宅も含めた折に触れての食事のもてなしと激励、怪我や病気の際の迅速な支援等々、枚挙にいとまのないほどの支援をいただき、選手たちも松山の人々への強い愛着を感じていることが見てとれた。濱田先生の厳しくても愛情溢れる指導、選手の世代に近い中村先生との自然な共感なども、異国での選手たちの心理的安定に寄与したと思われる。

 もとより数ヶ月だけの訓練で直ちに大きな効果が現れることは期待し難いが、短期間の集中訓練で選手たちの心身が相当顕著に向上したことは事実である。

(写真)松山の道場でのカンボジア選手と地元の子どもたち(佐伯伸二氏提供) 

SG柔道競技におけるカンボジアチームの戦績と評価

 SGにおける柔道競技は5月13日より初日が形の競技、2日目と3日目が男女体重別各5階級の個人戦、最終日の4日目には男女混合団体戦が行われた。大会の運営は、時に進行の遅れや審判技術の未熟さが見られたが、雰囲気は大変な盛り上がりを見せて予定の競技を終了した。ASEAN地域にとってこの大会が実に大きな一大スポーツイベントであることが実感できた。3月の時点では大会会場のインフラなどが不十分で、果たして間に合うのか危惧を抱かせたが、5月になると街中至る所に大会の看板や飾り付けが現れ、会場の整備も急ピッチで進んだ。政府も大会に向けて極めて力を入れたように見受けられたが、開会式に臨んだフンセン首相は、極めて多数の若者がこの一大イベントに熱狂している様子を目の当たりにして暫く言葉を詰まらせたそうである。首相にとってスポーツの振興が政治的にも重要な課題であることを察知したに違いない。

 柔道競技においてカンボジアチームは金メダル1、銀2、銅5個のメダルを獲得した。実際にはメダル獲得を重要視するカンボジアの熱意で有力な選手のいない階級では外国籍の選手をカンボジア代表としてリクルートしたことから、1個の金メダルと2個の銀メダルは日本人選手によってもたらされ、銅メダルの一つはウクライナ選手が獲得したが、残りの4個の銅メダルはカンボジア選手自身が勝ち取った。32回の大会を通じて通算わずか1個の銅メダルしか実績のなかったカンボジア選手が一挙に4個の銅メダルを獲得したのは画期的で、フンセン首相も大いに喜んでいた。厳しい試合を勝ち抜いたりメダルを受賞するとき、カンボジア選手たちは熾烈な練習を思い出してか涙を流した。柔道競技をずっと見ていてアセアン諸国の選手も想定以上に実力を伸ばしてきていることを感じたので、そのなかでカンボジア選手が獲得した4個の銅メダルの実績はこの点からも賞賛に値する。ずっと見守って励ましてきた筆者ら日本人支援者にも涙が込み上げてきた。

(写真)形(かた)の競技で銅メダルを獲得したカンボジア選手(佐伯伸二氏提供)

 この成果の主要因として考えられるのは、濱田・中村両先生の情熱溢れる徹底的な指導、想定を超えるカンボジア選手の頑張り、それから極めて多数の日本人の温かい物心両面にわたる支援の3つがあった。実際、カンボジア側も指導者謝金を含めた応分の負担をしたが、今回の企画実施は2018年に結成され私が代表を仰せつかっている「カンボジア柔道応援団」の募金活動等の努力があった。当然のことながら資金集めも幾多の困難が伴った。赤字覚悟で多方面に呼びかけたが、結局個人(複数回寄付を含めた延人数)56人及び16団体並びに広告料提供法人8社が協賛金等に応じてくれた結果、当初の見積を超える資金が集まったのは嬉しい誤算であった。

(写真)試合後濱田・中村両先生を囲んで(佐伯伸二氏提供)

今後の課題と対応策

 メダル獲得自体が本来の目的ではないが、数ヶ月でメダルを獲れる選手を育成するという客観的には実現の難しかった目的は何とか達成できた。結果としてナショナルチームの力量は確実に向上したものの、まだそのレベルは日本の中高生程度であり、他のアセアン諸国のなかでも依然下位の部類である。最大の課題は今回得た技量のレベルを如何にして維持・発展させるかであるが、その展望はきわめても心もとない。

 今回のSG終了後これまでチームの選手たちに与えられていた政府からの毎月の手当は打ち切られた。カンボジア柔道連盟(CJF)事務総長によると、新たなナショナルチームが形成されて選手に手当が渡されるのは2年後の次期大会の半年位前になるだろうとのことである。今回の大会終了後選手たちはそれぞれの生活に戻っていくので、これまでのナショナルチームは解散状態になった。大会終了後、私はフンセン首相に報告を兼ねてお会いし、向上したカンボジア柔道の技量を維持発展させるために是非政府が予算を含めた諸般の支援を強化してほしい旨懇請するとともに、SG組織委員長から託された「スポーツ振興は関係省庁が所管する場合には予算が極めて少なくなるので是非独立のスポーツ庁を創設してほしい」旨の首相への伝言をしっかり伝えた。首相は当方の発言を理解したようであったが、要旨次のように返答した。

 「独立のスポーツ庁を創設することはすでに考えているが、省庁再編や行政改革は極めて多岐にわたり複雑であるので全体を考えて慎重に運ばなければならない。ご趣旨は理解しているので検討を続けていきたい」と。

 今回の自国でのSG開催を通じてスポーツに対する国民の支持を感知したと見られるフンセン首相の今後の政治力に期待したいが、カンボジアの体制の弱さは何ら改善されていない。とりわけ財政基盤の脆弱さと自立心・自助努力精神の欠如が見られる。今回の企画推進の過程ではカンボジア柔道連盟やSG組織委員会との連絡・調整に多大な時間と労力を費やすことを余儀なくされたことがこのことを物語っている。うまく進まないため眠れない夜も何度もあった。

 資金負担を含めたカンボジア側の自助努力を促しつつ当面考えられる対策として次のことを提示したい。

(i)SGにおける柔道の成果を想起しカンボジア人一般の柔道への関心を高め選手強化の必要性をテーマとしたシンポジウム開催(本年が日本カンボジア外交関係70周年であるので年内に実施)

(ii)JICAをはじめとした官民組織の協力を得て良質な柔道指導者を一定期間ないし定期的にカンボジアに派遣して有望な柔道選手育成の核とする。その場合、具体的な指導者の発掘には日本の柔道関係団体が協力する必要がある。

(iii)国内官民組織の協力を得てカンボジアの有望選手団の日本での訓練を受入れる。

 いずれも実施には日本側もなお一層の努力が必要であるが、傘寿に達する一介の柔道修行者の端くれとして柔道の絆にまた引っ張り込まれるのは喜ばしいのか苦悩なのか自分にもよく分からない。