セター新政権の誕生と今後の日タイ関係


在タイ王国大使 梨田和也

 2023年9月5日、セター首相率いる新政権が発足した。選挙による政権交代は、12年2ヶ月ぶりであった。
 2014年5月のクーデターを主導したプラユット陸軍司令官が同年8月に首相に就任してから9年4ヶ月、タイ国民は国軍出身者が支配する政治に嫌気がさし、変革を求める声が強まっていた。

(写真1)バンコク市内路上デモの様子(デイリーニュース社提供)

2023年5月下院選挙

 23年5月の下院選挙に際する事前の予測では、タクシン元首相が事実上のオーナーである野党第1党の貢献党が、単独過半数以上を獲得する地滑り的勝利を収めるのではないかとの見方が有力であった。一方で、政権与党であった国民国家の力党は、盟友であったプラユット首相とプラウィット党首(いずれも元陸軍司令官)が、それぞれが次期首相を争うようにして袂を分かち、2つの党に分かれて選挙戦を戦うこととなったため、大幅に議席を減らすことは避けられない状況にあった。

(写真2)タクシン元首相の帰国(デイリーニュース社提供) 

 しかしながら、勢いを増す貢献党にとって、大きな障害となり得るのが上院議員の存在であった。首相に選ばれるためには、下院議員500票と上院議員250票合計の過半数を獲得する必要があるが、現在の上院議員は選挙によって選ばれたのではなく、前述の陸軍出身政治家などが指名したメンバーであり、事実上政権の「息のかかった」議員で占められていた。
 貢献党としては、首相を輩出するためには、上院の支持がまったく期待できないと仮定した場合、下院だけで376議席以上を得る必要があるが、さすがにそこまでは到達できないとの見通しから、選挙戦終盤になって、それまでの主張を翻して、与党勢力=親軍政党と手を組むのではないかとの見方が急速に広まった。
  このような風評により、貢献党の支持は急速にしぼみ、改革を求める国民、特に多くの若者の票が流れたのが、若きピター党首(当時42歳)率いる前進党であった。投票の結果、前進党が議席をほぼ倍増させて第1党となったが、それでも下院総議席の3割、151議席にとどまった。一方で、勢いを失った貢献党は、議席を微増させて第2党になったものの、2001年以来維持してきた第1党の座を明け渡し、事実上の敗北となった。なお、与党第1党であった国民国家の力党は、議席を約3分の1に減らす惨敗となった。

(写真3) ピター前進党党首(デイリーニュース社提供)

選挙後の連立工作

 選挙後は、第1党となった前進党を中心とする連立政権樹立に向けた協議が活発化した。前進党は、貢献党を始めとする旧野党勢力8党による政党連合を結成したが、下院議席312にとどまり、首相を輩出するためには、上院票を64票以上上積みする必要があった。ピター党首は若者を中心にアイドル並みの人気を誇っていたが、王室改革や徴兵制の廃止など、それまでタイのタブーとされてきた保守勢力の権力基盤にメスを入れる主張を掲げていたことから、保守派が指名した上院議員の支持を得ることは極めて困難な状況にあった。
 上下両議員による首相指名選挙が7月に2回行われたが、事前の予測通り、ピター候補は過半数を獲得できなかったことから、第2党の貢献党は政党連合を離脱し、同党を中心とする新たな連立枠組みの折衝が開始された。貢献党は、連立の方針を大きく転換し、国民国家の力党、名誉党、団結国家建設党といった前政権の中心であった保守親軍政党を取り込み、8月21日に11政党から成る新たな連立を立ち上げた(計314議席)。そして、翌日の指名選挙で上院票の約6割の支持を受けて、貢献党セター候補が首相に選出された。

セター新政権誕生の意義

 選挙から新首相選出まで114日間を要し、水面下で様々な折衝が行われたと推察されるが、獲得議席で第2党ながらも与党第1党に収まり、首相を送り出した貢献党にとっては、当初描いていたシナリオからの修正を余儀なくされたものの、おおむね満足のゆく結果になったと思われる。選挙前からシナリオを描き、各方面への働きかけを行っていた中心人物はタクシン元首相である。
 セター新政権誕生の政治的意義としては、以下のような点が挙げられる。
 タイの権力基盤である保守勢力(王室、国軍、大企業)の地位が一層強固なものとなった。保守勢力にとって、長年にわたる不安材料がタクシン派、赤シャツであり、幾度となく政情不安に陥り、そのたびにクーデターで事態を収拾してきた過去がある。
 今回タクシン元首相は、長年続く海外逃亡生活にも拘わらず、選挙前から保守陣営と水面下で接触し、政権奪還と自らのタイ帰国に向けて、周到な根回しを行ったと言われている。国民的人気の高い前進党との連立を撤回し、親軍政党と手を握ることも想定内のプランではなかったかと考える。そして、結果的に自らに近いセター氏を首相に据え、17年間に及ぶ国外逃亡生活に終止符をうった。これは、「赤シャツ対黄シャツ」対立の終焉を意味することでもあり、保守派にとって残された不安材料は前進党のみとなった。
 それでは、タイの政治基盤が安定したのかと問われれば、肯定できる状況にはない。前進党は、前述の通り、タブーであるイッシューの改革を唱え、妥協を知らない政治姿勢から、保守勢力の工作によって、ピター党首は議員資格停止の仮処分を受けて党首を辞任し、また政党としての存続自体も憲法裁判所の判断に委ねられている状況にある。しかしながら、社会変革を求める若者を中心とした声が途絶えたわけではなく、引き続き前進党は高い人気を誇っている。来年5月以降は、首相指名選挙に上院議員は投票できなくなり、下院票のみで争われる。下院の任期が満了する4年後の選挙に際して、いかなる社会的うねりが生じているのか、現時点で想像することは容易ではない。

セター政権50日の評価

 セター首相は、政治経験は皆無であり、自ら経営する不動産会社を一代で大手に引き上げたビジネスマンである。そのようなバックグランドから、最大の関心事は経済であり、財務大臣を兼務し、自動車政策を立案する委員会の議長も務めるなど、重要経済政策は自ら仕切るとの意向がうかがえる。急速なEVシフトに警鐘を鳴らし、内燃機関車にも配慮する姿勢は、日本メーカーにとってありがたい。一方で、選挙公約であった低所得者向けの各種施策は、未だ実現には至っていない。外交については、タイの伝統的な「バランス外交」、「柳腰外交」により、米中との等距離外交を基本的に維持するものと考える。一方で、北京で開催された一帯一路フォーラムに出席した際は、両岸関係で中国寄りの内容の共同声明を発出し、またロシアとの首脳会談においてプーチン大統領のタイ訪問を招請するなど、バランスを失した対応がみられる。日本との関係では、新政権が始動した初日に、筆者は外交団のトップを切って首相に面会し、また、首相が「タイ経済に貢献してきた日本への恩を忘れてはならない」と公の場で発言するなど日本を重視する姿勢がうかがえる。

(写真4)セター首相との面会(在タイ日本大使館提供)

現在の日タイ関係

 タイにおいて日本は圧倒的な存在感を放っている。在留邦人は推計で約10万人、日系企業数約6,000社、累積投資額は全体の約3分の1を占める。
 東南アジアにおいて、2番目に在留邦人が多い国はシンガポールの3万7千人であることから、いかにタイが突出しているかがわかる。日系企業は、6~70年前からタイに進出し、自動車を始めとする製造業を中心に生産拠点を築いてきた。元来親日家であるタイ人は、日本の進出を快く迎え入れ、日本に学べとの姿勢で多くの人々が日本に留学、日本企業で研修し、その後トップビジネスリーダーへと成長した。長年にわたる相思相愛関係が、両国の太い絆を育んできた。
 しかしながら、筆者はこの先の日タイ関係に危機感を有している。タイにおいて日本がNo.1の座を維持するためには、相当汗をかかねばならない。
 日本語を解し、蜜月関係を築いてきたタイ人はおおむね60歳以上で引退の時期を迎えている。一方で、将来の経営者となる30、40代の多くは欧米留学経験者であり、日本はその他の選択肢にすぎない。黙っていても、日本を受け入れてくれた旧世代とは異なり、この先は意図的に若い世代間の交流の機会を創り出していかなければ、これまでのような日タイ関係は維持できないと考える。
 タイには日本人社会が確立されていて、あえてタイ人社会に飛び込んでいかなくても心地よく暮らし、ビジネスも完結できるため、日本人だけの「内輪」の集まりばかりに参加している人は少なくない。一方でタイ人は、オープンでフレキシブル、異質なものに対する許容度が極めて高い。特に30~40代の若手ビジネスマンは、将来のグローバルスタンダードな経営者となるため、海外で教育を受け、外国語も流暢で、社交性に富む者が多い。日本の若い駐在員には、ぜひ同世代のタイ人と交流してもらいたい。在タイ日本大使館は、日タイ企業の若手ビジネスリーダーが交流する場を積極的に企画・提供している。

 日本企業の変革の必要性

 タイでビジネスを展開する日本企業自体にも変革が求められている。過去半世紀にわたって成功を収めてきた仕事のやり方は、時代遅れとなりつつある感がある。例えば、本社は、現場の判断をより尊重して、タイの出先により多くの権限を委譲すべきと考える。これにより、より的確かつ迅速な判断が可能となる。同時に、日本から派遣される駐在員がトップを務めるのではなく、タイ人リーダーを育て、責任ある立場を任せることが望ましい。給与面においても、日本企業の魅力は失われつつある。社によっては、社内の各部門がバラバラに決定権を有する伝統的な縦割り業務を改める必要もあろう。現地法人の社長の中には、本社の各部門が直接コントロールしているため、社内全体の動きを把握できていないケースすらある。ビジネスのニーズが多様化し、パッケージ型の提案が求められる今の時代では、サイロ型の仕事のやり方は非効率であり、限界があると感じる。

キーワードは「共創」

 今の日タイ関係におけるキーワードは「共創」。対等なパートナーとして、共に考え、共に新たなものを創りだしていく、そのような関係にあることを前提としなくてはならない。もし、未だに上から目線でタイを見ている日本人がいるとすれば、それは認識不足も甚だしいと言わざるを得ない。
 最近のビジネス面における「共創」の好例の一つが、トヨタ自動車とCPグループによるカーボンニュートラル達成に向けた提携構想である。これは、CPグループが、家畜の糞尿などからのバイオガスを活用した水素燃料を生産し、トヨタが提供する水素燃料自動車により、CPが運営するセブンイレブン店舗への配送を行う、その際はトヨタのコネクティッド技術を使って運送ルートを最適化して、物流の効率化を図るという内容である。
 お互いの強みを生かして、補完しながら最先端のビジネスを作り上げていく。このような連携が、これからの時代に求められる共創のあり方であり、タイが進もうとしている道に寄り添ったビジネスモデルであると考える。
 別の形での新たな「共創」が、スタートアップと大企業とのマッチングであり、新技術、異業種の組み合わせでイノベーションを加速させるのがその狙いである。日本大使館は、JETROやタイ大企業との共催で、過去数年間にわたり、両者のマッチング・イベントを複数回企画・実施してきている。
 本年1~9月で約63万人のタイ人が日本を訪れた。国別では6位、東南アジア諸国ではトップの数字である。このようなインバウンドも見込んで、タイ企業の日本進出も著しい。京都と大阪にタイ資本の高級ホテルがオープンした。日本の地方自治体は、観光客誘致のため、ホテル業界のさらなる進出や直行便の開設に向けて、熱心なトップセールスを展開している。日本からタイへの一方通行の時代は過去の話である。

終わりに

 12月の日ASEAN特別首脳会議では、日本とASEANが、次の50年間に向けて、どのような付き合い方をしていくのか、そのビジョンを打ち出すことが最大のテーマである。タイに限らず、ASEAN各国に対して、豊かな未来をつくる最も頼りになるパートナーとして、日本の存在感を示す絶好の機会となろう。