グローバルコミュニケーターの育成に向けて


日本英語交流連盟名誉会長・元駐カナダ大使 沼田貞昭

はじめに

 私は外務省での41年間の現役時代、1970年代から80年代にかけて首脳会談の通訳、1980年代の日米安全保障および通商問題をめぐる米国などとの折衝および軍縮会議における多国間外交、1990年代の在英大使館公使および外務報道官としてのスポークスマン活動、2000年代に入ってからのパキスタン、カナダにおける大使としての対外発信活動とさまざまな局面において対外コミュニケーションの実践に取り組んできた。

日本英語交流連盟と日本の英語教育

 2007年に退官するにあたり、このような経験から学んだことを若い人たちに伝えることにより、彼らが有能なグローバルコミュニケーターとして活躍するに必要な技能を身につける一助としたいと考え、非営利ボランティア団体である日本英語交流連盟(ESUJ)の活動に関わることとなった。その後2011年6月より本年6月末引退するまで連続6期12年にわたり同連盟会長を務めた。ESUJの活動は、英語のパブリックスピーキングとパーラメンタリー(即興)ディベートの訓練を通じて、グローバルな舞台で外国の相手と「対話」をし、「交渉」し、「説得」する等、日本の学校の英語教育で身につけることは困難な技能の習得を目指すものである。
 今年4月に実施された中学三年生を対象とする全国英語学力調査の結果は、日本の学校における英語教育と言うか、初等・中等教育の基本的な欠陥を露呈している。受験生の6割以上が、「話す」の部分で日本の商店にプラスティック・バッグが蔓延していることについての一問に正確に答えることができなかった。「書く」の部分では、ロボットの果たす役割についての問題の正答率は2割にとどまった。多くの受験生は、問題についてそもそも何を答えるべきかが分からなかった、又は、分かったとしてもそれを英語で言うことはできないか、何故そう思うかを表現できないとの反応だった。

ディスコース・パブリックスピーキング・ディベート

 2017年10月にESUJが主催したシンポジウムで、ブリティッシュ・カウンシル日本の英語教育部長(当時)は次のように述べた。
 「ブリティッシュ・カウンシルが優先度を置いている英語の四分野は、文法、語彙、発音、およびディスコースだが、このうち日本の教室で関心が最も払われないのはディスコースである。これは、一つには日本の英語教師にとって既存の教材に沿って語彙とか文法を教えることの方が楽であるからだ。しかし、考えようによっては、この4分野の中で、ディスコースが最も困難かもしれないが最も重要な分野とも言える。」
 ここで言う「ディスコース」の適切な日本語の訳語は思い当たらないが、自分の考えを口頭でないし書いて表現することと言える。私自身、17歳で米国に留学するまで日本の教育で「ディスコース」を教えられた記憶はない。外務省に入ってオックスフォード大学で研修した時、テュートリアル(先生と学生の一対一のセッション)で哲学などの難解な課題について「ディスコース」を実践することは難しいチャレンジだった。
 パブリックスピーキングは、「ディスコース」を構成する重要な要素、即ち、鍵となるメッセージ、筋道の立ったロジック、構造(スピーチの導入部分、主体、結論)、および声、ジェスチャーなどの非言語要素を学ぶ効果的な方途である。ESUJは、元外交官、国際機関幹部、教授、銀行家、企業役員などの指導の下に、ビジネスパーソン、教師、大学生、高校生等がスピーチを練習して自信を高めるパブリックスピーキングの多くのワークショップを開催してきた。
 パーラメンタリー(即興)ディベートは、ESUJの活動の主柱となってきた。ディベートとは、一つの論題に対し、肯定と否定チームに分かれ、第三者を説得させるスピーチ型のゲームだが、パーラメンタリーディベートは、英国の議会制度に倣って、政府サイドは与えられたモーション(動議)を支持し、野党サイドはこれに反対して、それぞれの立場からロジック、証拠ないし実例、および魅力あるプレゼンテーションに支えられた即興のディスコースを展開して、世間の常識を代表する審査員の説得に努める仕組みになっている。
 ESUJは日本におけるパーラメンタリーディベート普及の先駆者として、1998年の連盟創立以来ESUJディベート大会(大学対抗、社会人大会)を主催し、その参加者は述べ1,700人を超えて、各界でディベートの経験を活かしつつ活躍している。2019年からHPDUと共同主催してきた日本高校生パーラメンタリーディベート連盟(HPDU)杯大会も立派に成長を遂げて今や全国規模の権威ある大会となっており、2024年からはHPDUの自主運営に任せることとなっている。
 ESUJは、最近、ESUJディベート大会及び研修会の主要参加者を対象としてディベートから何を学んだかにつきアンケート調査を行い36名から回答を得た。皆一致して、ディベートによって、自分の意見を筋道立てて明確に表現する自信がついた等の点で役に立ったと述べている。また、他人の意見を聞いて理解する能力を身につけたことも重要としている。どんな問題についても多様な意見とかアプローチがあることを尊重し、そのような多様性に柔軟に対応すべきことを学んだとの意見もあった。と同時に、多数意見に流されず自分の意見をしっかり持つべきであるとの指摘もあった。ディベートを通じて、何らかの提案とかアイディアについて、メリットとデメリットないしは肯定的および否定的要素を列挙して比較考量する習慣を身につけたことはビジネス等のキャリアで役立っているとの反応もあった。

おわりに

 ESUJは、今後ともパブリックスピーキングの練習を通じて「ディスコース」の重要性についての認識を広めるという課題に取り組むこととなろう。また、ディベートは喧嘩でも言葉の格闘技でもなく、柔軟かつ多角的に問題を解決する姿勢を育む手段であり、自分の意見や考えを明確に伝える説得の技法を磨く貴重な手段であるとのメッセージを積極的に広めるべきである。このような努力を持続的に行っていけば、日本にはより多くのグローバルコミュニケーターが育成され、世界における日本の影響力も高まると私は楽観している。