ウクライナ侵攻と核抑止、そして核軍縮


元軍縮会議日本政府代表部大使 佐野利男

はじめに
 今回のウクライナ侵攻は、「戦争の世紀」と言われた20世紀を乗り越え、国際社会が勝ち取った諸原則、すなわち主権尊重、政治的独立、領土保全、民族自決、紛争の平和的解決などを踏みにじる暴挙であり、「21世紀への挑戦」である。
 この論考の前半では、ロシアの侵攻をなぜ抑止できなかったのか、ウクライナ侵攻が東アジアにどのような問題点を突き付けたのか、そして東アジアの危機を未然に防ぐために何をすべきかにつき考察するとともに、後半では、6月に開催された「核兵器禁止条約」の第一回締約国会議の結果を踏まえ、また8月に開催予定の「核不拡散条約(NPT)」運用検討会議を控え、今後の核軍備管理・軍縮の動向につき展望する。

1.ウクライナ侵攻

(1)抑止の失敗
 (i)第一に、後世の歴史家は今回のウクライナ侵攻を「抑止の失敗」の典型例とみるだろう。あるいは、抑止の専門家はこれを「安定・不安定逆説」(戦略レベルにおける抑止関係の安定が、地域レベルにおける抑止関係の不安定化を招く)の例とみるであろう。米国およびNATOとも、ロシアとの直接対決が世界大戦に至ることを恐れ、事前に「軍をウクライナに出さず」、「大規模経済制裁を課す」と言明した。ロシアがこれをどのように受け取ったか。二つの可能性を考える。
 先ず、米・NATOは「大規模経済制裁」がロシアとの直接対決を引き起こさない範囲でロシアの侵攻を抑止しうると考えた(enoughtodeter)、つまりその効果を過大評価した。これに反し、ロシアは「大規模経済制裁」を過小評価し、「ウクライナ侵攻に大きな障害はない」との判断に至った(toolittletodeter)ことが想像される。そこに相互の立場についての「思い込み」あるいは「読み違い」があったといえよう。
 また、米・NATOの「十分抑止しうる」程度と考えた措置がロシアにとって「十分挑発に値する」(enoughtoprovoke)ものだった可能性もある。プーチン大統領がロシアの安全保障上の必要性や大国としてのプライドからウクライナを勢力圏とすることを「当然視」していた場合、或いはウクライナは「歴史的、文化的、宗教的にロシアと一体」だと強い信念を抱き、当初からウクライナ侵攻の意思があったとしたら、「大規模経済制裁」の表明がプーチン大統領のプライドを挑発した可能性は考えうる。
 結果論ではあるが、米・NATOは「侵攻した場合、すべてのオプションを用意している」として曖昧政策をとるべきではなかったか。現実は、プーチンの数次にわたる「核使用の恫喝」により、逆に米・NATOがロシアにより抑止され続けている。そして、米・NATOができることは、「経済制裁」の中身を充実させ、ロシアの体力を奪うこととウクライナへの武器供与であった。
 (ii)更に、「大規模経済制裁」の内容が、当初から明確ではなかった。国際決済制度SWIFTからのロシア排除、ロシア経済を支える石油・天然ガス・石炭の全面禁輸を含み、ロシア経済にとり「大打撃」となることを事前にロシアが認識していたなら、ウクライナ侵攻を躊躇した可能性はあろう。しかし、西側が一致して強い制裁をとるには2か月以上かかり、原油及び石油製品の全面禁輸については、未だに最終的な形を整えていないのが現実である。
 クリミア併合(2014年)後に西側が取った経済制裁は微温的で、ロシアも今回西側がここまで結束して断固たる制裁を課すとは予期しなかったと思われる。この点についても双方に「思い込み」に基づく誤算があった。
 (iii)今や西側諸国の心理には、ロシアが化学兵器や小型核兵器などを使用するのではないかとの恐怖があり、ウクライナへの全面的かつ本格的な武器供与を躊躇している。それはなぜか。
 それは発信される「恫喝」に相当程度の信憑性があるからだろう。シリアにおいて化学兵器を使った実績や専制国家における元首(プーチン大統領)の個人的性格(易怒性)、ロシアの核戦略に「紛争の拡大を未然に防ぐために、早い段階で小型の戦術核を使用する」との思想(エスカレーション抑止)があること、そして何より戦況が予期せずに膠着、あるいはロシアが劣勢に立たされた場合、「追い詰められた」状況下でプーチンが非合理な決断をする可能性を憂慮するからだろう。
 (iv)それではロシアの化学兵器・小型核兵器の使用を逆に抑止することはが可能だろうか。それには「仮にロシアが大量破壊兵器を使用したなら、米・NATOは軍をウクライナに展開する」など強いメッセージを発することが必要だが、それはまさに世界大戦も辞さずとの強い覚悟をもってせざるを得まい。そのメッセージの信憑性をロシアがどうとらえるだろうか。またそもそも、民主主義国の西側にそれが可能だろうか。

(2)ブダペスト覚書
 (i)第二に、ウクライナ侵攻は国家間の公式文書による安全保障の約束さえも確実ではないことを露呈した。1994年の「ブダペスト覚書」が累次にわたり公然と破られた。2005年ロシアのウクライナに対する天然ガス供給中断の恫喝、2014年クリミア併合そして今回のウクライナ侵攻である。また、同覚書はロシアにより破られたが、他の署名核兵器国である英・米からも十分に尊重されただろうか。
 この覚書は、1994年ソ連解体後、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシに残った旧ソ連の核兵器(各々5000発、1400発、81発)をロシアに移転し、3か国が非核兵器国としてNPTに加盟することとの見返りとして核兵器国(英・米・露)が与えた安全保障上の義務を規定している。しかも、この覚書は欧州安全保障協力機構(OSCE)の文脈で、3核兵器国の最高首脳(クリントン米大統領、メジャー英首相、エリツイン露大統領)により署名された「限りなく拘束力の強い」政治文書だ。「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」義務は、ロシアにのみならず、米英にもある。米英が義務違反をしたわけではないが、迫りつつあった侵攻に対し、「ウクライナの主権を尊重せよ、然らずんば断固たる措置をとる」との意思表明をもって抑止する可能性はなかったのか。
 (ii)また、今次ウクライナ侵攻は「民主国家」と「専制国家」が混在する国際社会において、「法の支配」が「力による支配」に対し如何に脆弱であったかを露呈した。国際社会は「法の支配」を担保する「実力手段」を持つほどには統合されてはいない。国際紛争を「法と事実」に基づいて解決するのではなく、力により解決しようとする今回の侵攻は畢竟、各国が復仇(自救行為)や報復、自衛権の行使により自国を守るか、NATOのような集団安全保障で対抗するしかないことを示した。

2.ウクライナ侵攻が東アジアに突き付けた問題
 このように、今回の欧州情勢の激変は、日本を含む東アジア情勢の予見可能性を低下させ、侵攻直後は、「武力行使の閾値」を下げたかに見えた。具体的には中国による台湾・尖閣諸島進攻の可能性と北朝鮮の暴発の恐れだ。そしてロシアの北海道侵攻も念頭に置かなければならないとされた。しかし、ウクライナ軍の善戦と西側の武器供与が奏功し、戦況が徐々に膠着し、ロシア軍の優越が必ずしも明確でない中、中国の台湾進攻をはじめとする「武力による現状変更」が躊躇(抑止)され始めたとする見方が徐々に出ている。ヘインズ米国国家情報長官は、最近の議会証言で「中国は台湾進攻に慎重になった」と述べている。

(1)中国の脅威
 (i)中国に関しては、習近平政権が「中華民族の偉大な復興」をスローガンに掲げ、台湾の帰属を「核心的利益」と位置付けて久しい。また、鄧小平が提示した英国との50年合意(2047年までの一国二制度)を公然と無視し、香港に国家安全維持法を導入し、自由と民主主義を蹂躙したのは記憶に新しい。また、南シナ海におけるいわゆる「九段線」に対するハーグ国際仲裁裁判所の判決(「中国の主張に海洋法上の法的根拠なし」)を「紙屑」と表現し、圧倒的な経済力を背景に東南アジア諸国を懐柔している。またわが国の尖閣諸島についても、中国は「核心的利益」と位置付け、これを妥協の余地のない領土問題だとして、中国海警の武器使用を容認し、接続水域や領海への侵入は年を追うごとに増加してきている。しかし、中国は「戦狼外交」の結果、自ら世界の「対中警戒感」を買い、孤立化を深めている。一方、このような脅威の中、祭英文政権は、中国との対峙も辞さずとの意思を固めている。
 (ii)米国は、北京政府と国交を開いた際、台湾との相互防衛条約を終了したが、同時に1979年に「台湾関係法」を制定した。これに基づき、代々の米政権は台湾との特別な関係を保ち、中国を牽制してきた。武器の供与、軍事アドヴァイザーの派遣、艦艇の台湾海峡通過などの示威行動、アザー厚生長官など政府要路や議員の訪問、そして最近、民主・共和超党派で新たな「台湾支援法案」を議会に提出するなど、台湾との関係を一層深めている。
 しかし、この「台湾関係法」においては、有事の際に米軍の介入は義務化されていない。あくまでも米大統領の裁量に任されている。万一中国の台湾進攻の危機が迫った場合、米国は、中国との直接対決を避けるため再び「大規模経済制裁」を打ち出すのだろうか。5月3日、東京における日米首脳会談後の記者会見で、「中国が台湾に侵攻した際、米国が台湾防衛に軍事的に関与するか」との質問に対し、バイデン大統領は「イエス、それが我々のコミットメントだ」と答えた。これが歴代米政権の台湾防衛に関する「曖昧戦略」を一歩踏み超えたものと捉えられたが、その後オースチン国防長官やブリンケン国務長官らは「従来の立場に変更はない」とした。この発言の信憑性はどうだろうか。バイデン大統領がこれまで数度同様な発言をしていること、ウクライナでの「抑止の失敗」に学んでいること、米国が中国を最大の競争国と位置付けていることなどが信憑性をある程度裏付ける要素だが、果たして中国はどのように捉えるだろうか。
 先般のシャングリア・ダイアローグ(アジア安全保障会議)で、魏鳳和中国国防相は「(台湾の)統一は誰も阻止できず、必ず実現する。軍事手段も放棄しない」と相当強い調子で米国を牽制した。しかし魏国防相は同時に「米中両軍は相互信頼を高め、リスクをコントロールして摩擦と衝突を防ぐべきだ」とも発言している。
 (iii)また、米中の対立激化により、中国は核戦略を変更したものと考えられる。米国独立専門家によれば、近年中国は急速に核戦力の増強・近代化を進めており、ICBMサイロの大規模な建設を急いでいる(北京北西のYumen、Hami及び内モンゴル)(注)。この動きは従来の核戦略、すなわち第二撃能力を温存するために必要な「最小限抑止(minimumcredibledeterrence)」から急速に離脱し、米露との核パリティーを目指す動きと考えられる。仮にフランスの協力を得て建設中の再処理施設が完成した暁には、既存の民生用プルトニウムがこの核戦力の増大に転用されることが懸念される。
(注)米国国防総省の2021年版「中国の軍事力に関する年次報告書」は、中国が2030年までに少なくとも1000発の核弾頭を保有することを意図している可能性が高いとしている。

(2)ロシア、北朝鮮
 ロシアについては、従来からわが国のミサイル防衛に対し懸念表明を繰り返し、牽制してきた。また、北方領土のミサイル基地化、露中共同の艦船・爆撃機のわが国領土周回などの動きをみせ、冷戦中の「北方の脅威」をより深刻化させている。また北朝鮮もウクライナ侵攻に触発されてか、従来よりも高い頻度でSLBMなど多様なミサイル実験を繰り返し、短射程ミサイルをわが国排他的経済水域付近に落下させるなどの挑発を繰り返している。中国の脅威に加え、ロシア・北朝鮮の核の脅威が北東アジア情勢を悪化させている。

3.わが国/西側の対応
 これら急速に悪化する東アジアの安全保障環境に対し、日米や西側同盟はどのように対応すべきだろうか。

(1)核武装は論外
 ウクライナに見られる核兵器の脅威に対しては核の抑止に依存せざるを得ない。そして、プーチン大統領による度重なる「核使用の恫喝」に対し、今、わが国の一部に根強く残る核武装論が息を吹き返そうとしている。しかし、わが国が核武装することは、これまで半世紀にわたり核の拡散を防止し、国際安全保障秩序の礎となってきたNPT体制崩壊の「引き金」を、優等生たる日本自らが引いてしまうことを意味する。日本の核武装は、NPTからの脱退を意味し、これまで核武装の野心を抱いてきた諸国の脱退の連鎖を誘発するだろう。
 例えば日本の核武装化は、韓国の核武装化を誘発しよう。また、イランの核武装は、イスラエルの核武装を顕在化させ(これまでイスラエルは、「中東における最初の核保有国にはならない」として曖昧政策を維持してきた)、ペルシャ湾岸諸国、特にサウジアラビアの追随を招く恐れがある。西側諸国の中にも、かつてソ連の核に対し核開発を進めようとしたスウェーデンやスイスが核開発を再度追求する可能性はある。また、各国が核兵器開発に乗り出すと、これまで核開発を放棄した南アフリカ、隣国同士間のライバル関係が故に核開発を検討したブラジルやアルゼンチンの核開発を誘発するかもしれない。アフリカやラテンアメリカに成立した「非核兵器地帯」が持ちこたえられるだろうか。さらにはロシアの核恫喝を直接受けたウクライナが核武装をしても驚くことではないだろう。このように日本の核武装は核のドミノ現象を生み、半世紀以上前にJ.F.ケネディーが「悪夢」として恐れた「核のカオス」(「核保有国が15も20も出現」)の引き金を日本自らが引いてしまうことになる。

(2)核シェアリングは実現困難
 次に、最近「核シェアリング」が有力政治家や識者から提起されている。「核シェアリング」には様々な方式が考えられ、必ずしも現在NATOで行われている形に限らない。しかし、形は変わろうが、「米国所有の核兵器」を持ち込み、その使用に際し「日本が意思決定に関与する」方式は維持されるだろう。それが日本に可能だろうか。
 原子力発電をめぐるわが国の政治状況や、イージス・アショアの適地確保を断念した経験からして、核の持ち込みに対し、米軍基地のある地方自治体の反発は必至だろう。一体どの基地に核兵器を配備するのか。強行した場合の政治的混乱は時の政権を揺るがす以上のリスクがあろう。また、海上配備(すなわち艦船や潜水艦搭載)を提起する識者もあるが、わが国が保有する艦船や潜水艦を改造して核ミサイル搭載を可能にするには時間がかかるし、その間の国民の反発は予想を超えよう。そして、艦船の寄港地問題での混乱も必至だろう。地方自治体が反対を表明した場合、沖縄の基地問題に似た長期にわたる反対運動は避けられまい。「核シェアリング」の議論は、わが国国民の健全な国家意識や安全保障感覚を覚醒させる意義はあろうが、国内政治情勢に鑑み現実的ではないであろう。
 このように、わが国は国際的にはNPT体制の堅持、国内的には被爆体験を有する国民の強い非核感情に鑑み、核の抑止についてはやはり米国に依存せざるを得ず、米国による核抑止力を具体的に強化することを求めざるを得ないだろう。

(3)現実的な措置とは
 それでは東アジアにおける露・中・北朝鮮の恫喝や侵攻の危機を未然に防ぐために、わが国及び米国など西側同盟がとるべき現実的な政策・措置はどのようなものだろうか。それは端的に言えば、この3月にバイデン政権が発表した「国家防衛戦略」で打ち出した「統合抑止力」を東アジアにおいて支え、具体化することだと考える。同戦略は、中国を「最重要の戦略的競争相手」、露を「中国に続く脅威」とし、同盟国と連携して対抗するとした。軍事力による抑止に加え、経済制裁や外交力も含め、米国と同盟国が一丸となって露・中・北朝鮮に抑止を効かせることに日本として貢献すべきだ。

 (i)通常兵器による抑止力の強化
  (a)第一に、アジア太平洋地域において、中国に劣る「通常兵器抑止力」を急速かつ着実に増強し、「ミサイル・ギャップ」を埋める必要がある。例えば、米国は早晩第一列島線上の国々(わが国南西諸島、台湾、フィリピンなど)へ非核ミサイルを配備するであろう。INF条約は35年間にわたり米露のINF開発・配備を制約してきたが、2019年に失効して以来米露ともフリーハンドにある。時間はかかろうが、現在中国が既に展開している約1600基の地上発射型中距離ミサイルや対艦ミサイルに対抗し、中国のA2AD(接近阻止・領域拒否)政策の無力化を目指すことが可能だ。その場合わが国も南西諸島への配備に協力を惜しむべきではない。
  中国がミサイルに核を搭載(INF)する場合、米国も同様なINFを展開するであろう。その場合、核搭載のINFに限って軍備管理交渉を提唱することが考えられる。これはかつてのNATOの二重決定から学びうる点で、INFが核搭載か否かは新しい手法(RVOSI)により検証可能のようだ(R.ゴテモラー前米国務次官)。これは東アジアにおけるミサイル配備競争が核のエスカレーションを招来しないための事前措置として有効と考えられ、中国も受け入れ可能な交渉だろう。
  (b)第二に、中国がインド太平洋地域で着々とプレゼンスを高める中、東南アジア諸国及び島嶼国への防衛整備品提供や経済協力の強化を通じ、これら諸国を西側同盟に結束させる必要がある。政府は既に武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」を打ち出し、わが国の安全保障に資する場合、防衛装備品の移転を認めた。これまで、米国への地対空ミサイル部品輸出、英国との戦闘機用空対空ミサイルの共同研究、更に今回例外的に、武力衝突が発生している国(ウクライナ)へ防弾チョッキを供与した。また最近の報道では政府が装備品として戦闘機やミサイルも含めることを検討している由である。
  この際、「戦狼外交」の中国や「理念外交」の米国に無い、日本特有の静かな外交が強みを発揮すると考えられる。先般米国が主唱したIPEF(インド太平洋経済枠組み)立ち上げ時に、アジア諸国など13か国がこれを支持した裏には、日本の静かな「根回し」外交があったと聞く。これに従来からの経済協力を増強することが効果的だ。このように、米国や島嶼国に影響力のある豪州との補完的協力を組み合わせて、この地域を西側に取り入れることが必要だ。
  (c)第三に、中露に無く西側同盟にある強みを最大限生かすことだ。それは、価値観を共有する西側同盟の存在と結束の強化、すなわちAUKUS(米英豪)、クワッド(日米豪印)、米英仏独との共同演習を含む様々な形の防衛連携、更にはイージス艦の増強などを通じ、対中露で技術的優位に立つ米国のミサイル防衛網の配備・拡充を強化することが考えられる。

 (ii)軍備管理交渉の開始
  (a)しかし、抑止の強化は米中間の際限のない軍拡競争を招いてしまう恐れもある。冷戦下の米ソの核軍拡競争が人類を何度も破滅させるオーバーキルの状況を生み出したのを私たちは知っている。これを避けるための方法として、抑止の強化と同時に、中国に対し、包括的な軍備管理交渉を提案することが有益であろう。米国新旧政権が米露の新START条約を延長する際、交渉範囲に戦術核を含むすべての核兵器を含めるとともに中国の交渉参加を求めた。これは米政権が中国の急速な台頭を脅威とし、これを軍備管理により制限する意図があったからだ。中国は即座に拒否したが、今後経済状況が悪化し、軍備支出が財政負担になる中、中国といえども無制限に軍拡を進めることはできないだろう。軍備管理条約が持つ抑止コストの「肩代わり」や米国が優位に立つ分野(ミサイル防衛など)における「軍備管理」に関心を示すものと考える。
  (b)抑止の強化が必要な時に、同時並行的に軍備管理交渉を中国に提案することに違和感を抱く人々もいよう。しかし、抑止の強化が限りない軍拡スパイラルに至る危険がある以上、ここに軍備管理交渉を並立させることで、対話を始め、互いの安全保障上の懸念を伝え、猜疑心を緩和し、結果として相互の脅威認識を正確に把握することが可能になる。軍備管理条約には、同じテーブルに就つき、相互信頼を醸成し、相互の「計算違い」を防止する機能がある。
 中国が正式な交渉を拒否する場合、準備交渉でも良い。そして交渉対象は、米中が相互に懸念し、脅威を感ずる課題、即ち、戦術核兵器、ミサイル防衛、最新精密通常兵器(極超音速ミサイル)、核兵器システムへのサイバー攻撃、宇宙空間の軍備管理(衛星攻撃兵器)などが考えられる。
  (c)中国の交渉参加を確保するのは容易ではないだろう。しかし中国が関心を示す分野、例えば「宇宙空間の衛星等物体の衝突や破片(spacedebris)問題」に関する行動規範策定や「緊急弾道ミサイル発射に関する相互事前通報制度」、NASAが主導しているアルテミス合意(宇宙空間の透明性確保、科学データの共有、宇宙資源の利用、相互干渉の防止、spacedebris対策など)への中国の参加を促すなどソフト面から始めることが考えられよう。

  冷戦終結直後、露中は「湾岸戦争」における米国の圧倒的軍事力を見せつけられて以降、軍備の急激な増強と近代化に取り組んできた。その結果、中国の軍備費は20年以上にわたり、毎年二けたの伸びを示し、今やわが国の防衛費の4倍を超えている。ウクライナ侵攻により露呈した東アジアの緊迫した情勢において、わが国が自由と独立、国民の生命と財産を守るためには、従来の慣行にとらわれない柔軟な思考と何よりも国際情勢に対するリアリズムが必要だ。そして、わが国に必要な防衛関係費の拡充(新規装備関連費の確保)については、少なくともNATO並みのGDP2%以上への増額は避けられないだろう。

4.今後の核軍縮の展望
 以上の文脈を基に、若干視点を変えて、今後の核軍縮につき考えてみたい。

(1)核兵器禁止条約は現実的か
 (a)第一に、昨今話題になる核兵器禁止条約(以下、禁止条約)について、これが日本の安全保障を堅持しつつ核廃絶を達成する政策オプションになるだろうか。確かに、多くの国民が「なぜ唯一の戦争被爆国である日本が禁止条約に入れないのか」と若干義憤にも似た感情を抱えているものと思われるが、他方で禁止条約が核抑止を否定し、条約への加盟が日米同盟のコアとなる「核の抑止」(核の傘)からの離脱を意味し、厳しい安全保障環境にある北東アジアにおいて即「丸腰」になることを考えれば、禁止条約が今、政策オプションではないことは明らかだ。
 また、今般、禁止条約の第一回締約国会合が6月にウィーで開催されたため、日本がオブザーバーとして参加すべきか否かが話題になった。最終的に日本は出席を見合わせたが、ドイツのショルツ新政権が連立政権合意で妥協し、締約国会合に出席する旨発表したため、わが国の参加問題が焦点となった。これについては、国際情勢が緊迫している状況下では、米国の核抑止(核の傘)に安全保障を依存しているわが国は、米国と歩調を合わせるのを基本に据えるべきである。核の傘により庇護されているわが国が、それを否定する禁止条約の会議に参加するのは自己矛盾であり、例えオブザーバーとしてではあれ慎重であるべきだ。
 (b)一部には、唯一の戦争被爆国であるわが国に核兵器国と禁止条約推進派との「橋渡し」を期待し、オブザーバー出席を説く向きもあった。しかし、本件につき、わが国は拡大抑止国として、すでに核兵器国と同様な立ち位置におり、両者の「中間派」ではない。またもともと「橋渡し」というが「言うは易く行うは難し」で、それなりの実力と双方からの厚い信頼がなければ「橋渡し」などできるものではない。禁止条約派とはすでに袂をわかったわが国に「橋渡し」は基本的には、相当無理があることは認識しておくべきだ。
(c)また、わが国がドイツなどと共に会議に出席し、積極的に発言し、核兵器禁止条約の極端な理想論を現実的なものに変えるよう努力すべきだとする識者もいる。しかし、条約は既に発効済みであり、「核兵器と核抑止の禁止」を目的とする同条約をどのように現実的なものに変え得るのか。この二項対立に中間的な妥協点は見出し難い。

(2)NPT運用検討会議
 第二に、8月にはコロナにより2年間延期されたNPT運用検討会議が開催されるが、これがNPTの歴史においてどのような位置づけになるのか。また、対立の構図、基本的な問題点は何か、そしてわが国として果たすべき役割は何であろうか。
 まず基本点を押さえておくと、過去半世紀、核兵器に関する国際安全保障秩序の基盤はNPT(核不拡散条約)によって支えられてきた。NPTは1967年1月1日以前に核実験を行った5か国を「核兵器国」として定義し、この5か国のみに核兵器の保有を認め、残りの186か国と区別した「不平等条約」である。しかし、キューバ危機を乗り越えたJ.F.ケネディーが当時「悪夢」として恐れた「核のカオス」を、曲がりなりにも抑え込んできたのがNPTであり、また、紆余曲折はありながらも核廃絶への方向性を堅持しつつ、国際安全保障の礎となってきたのがNPTであることを再度確認したい。

 (ⅰ)「抑止の時代」におけるNPT
 それでは、従来のNPT運用検討会議と今回では何が異なるのか。
 まず、NPTが依って立つ国際安全保障環境が激変した。1995年には無期限延長に合意し、2000年には核兵器国から「全面的核廃絶に向けた明確な約束」を勝ち取り、2010年には核軍縮措置において大きな成果を上げたNPT、これらは程度の差こそあれ冷戦後の「国際協調の時代」を背景にし、米露のSTARTプロセスも着実に進展を見せ、核軍縮にとって「追い風」の時代であったといえよう。しかしその後、数次にわたるNATOの東方拡大に対する大国ロシアの「レコンキスタ(失地回復)」が始まる。2008年のジョージア侵攻、2014年のクリミア併合後、米西側vs露関係は急速に悪化し、ロシアに対する制裁、ウクライナ東部での紛争が続き、今回のウクライナ侵攻へと連なった。
 他方、ロシアの動きと軌を一にするかのように、米中対立が深刻化していった。時代は明らかにポスト冷戦の「国際協調」の時代から「大国間競争」の時代に入り、「軍備管理・軍縮の時代」から「抑止の時代」へと大きく舵を切った。このような時代におけるNPTはどのような役割を果たすだろうか。

 (ⅱ)核秩序を維持するNPT
 軍備管理・軍縮条約は多くの場合国際情勢が緊張緩和に向かい、新たな国際秩序に前向きな時代に成立する。そして既に成立した多国間協定や二国間条約には国際情勢が悪化しても秩序の悪化を何とか食い止めようとする「歯止め効果」(racheteffect)がある。特に多国間合意の場合、何とか合意によって形成されてきた秩序を持ちこたえようとする力学が働く。NPTはそのよい例で、これまで各方面からの批判に持ちこたえ、核兵器をめぐる国際秩序の礎石(cornerstone)として貢献してきた。
 このようなNPTの果たしてきた役割に鑑みると、2022年NPT運用検討会議は、ウクライナにおけるロシアの暴走という厳しい国際環境の中にあって、加盟国が再度NPTの精神を再確認し、NPTの旗の下に結集すること(求心力の堅持)が最優先課題となろう。

 (ⅲ)今次NPT運用検討会議における対立の構図
 それでは、今次運用検討会議が内包する主な「対立の構図」を考えてみたい。従来の「核兵器国と非核兵器国の対立」に加え、大きく以下の3点が交渉環境を複雑化するだろう。
 (a)NPT加盟国vsロシア
 (b)核兵器国vs禁止条約派
 (c)核兵器国間の対立(中露vs米英仏)

 (a)まず、今回のロシアの暴走はNPT成立時には想定し得ず、米・露・英の3か国に主導され成立したNPTが条約の寄託国により存立基盤を脅かされたのは前代未聞の事態だ。これをNPTコミュニティーがどのように捉えるのだろうか。NPTの加盟国数は国連加盟国数に近似している。仮に今回のロシアによる「核の恫喝」が論点になれば、対ロシア非難の合唱が予想される。その場合、3月2日の国連総会・緊急特別会合の「遺憾決議」のパターン(141か国の賛成、5か国の反対、35か国の棄権)に見られるようにNPT加盟国間の分断が予想される。大切な論点は「核の恫喝」を行ったロシアを非難すること以上に、この問題に対しNPTとしてどのような具体的な対応を取りうるかを議論することであろう。特にロシアの「エスカレーション抑止」政策をNPTとしてどのように扱うのか、また非同盟諸国が従来から主張してきた「消極的安全保証」(核兵器国が非核兵器国に対し核の使用及び威嚇をしないとの保証)に法的拘束力を持たせる条約化や、「核使用のリスク低減」が論点に浮上するものと思われる。
(b)次に、禁止条約の扱いが議論されよう。条約推進派は、「禁止条約はNPTを補完し、停滞している核軍縮を動かすNPT第6条の措置だ」として、同条約が何らかの形で最終文書に言及されることを求めるだろう。しかし、核兵器国が反発することは必至で、合意に至ることは難しいだろう。最終文書に「禁止条約」を言及すべきか、言及する場合どのような言いぶりにすべきかが争点になろう。
 条約推進派はウクライナ侵攻におけるロシアの「核の恫喝」に言及し、核兵器自体が人類の生存と相いれない等々原則的な立場を繰り返すだろう。しかし、推進派にもNPT秩序を共に支えるよう、生産的な議論を期待したい。
  (c)また、この間激化した米中対立、ウクライナ侵攻による米・西側とロシアとの対立で、核兵器国間の「連帯」(N5solidarity)がどの程度影響されるのかが注目される。これまで核兵器削減の「当事者」である核兵器国は、曲りなりにも非核兵器国からの圧力に連携して当たってきた。しかし、今回仮に核兵器国の連携が乱れた場合、非核兵器国が交渉する相手が一枚岩でなくなり、従来からNPTが内包する「核兵器国vs非核兵器国」の構図が崩れ、議論が複雑になることが予想される。

 以上から、今回の「抑止の時代」におけるNPT運用検討会議は、NPTの本来の存在意義、すなわち「核のカオス」を防ぎつつ、原子力の平和利用を担保するため「非核兵器国の核不拡散義務」を堅持し、同時に「第6条に基づく核兵器国の核軍縮交渉義務」を再確認すること、言い換えれば、NPTの求心力を維持すべく、その旗の下に結集することを最重要課題に置くべきだ。

 (iv)日本の役割
 それでは、今回のNPT運用検討会議において、日本はどのような役割を果たせるのだろうか。
 (a)第一に、前述のように安易に「橋渡し」の役割が果たせると過信しないほうが良い。しかし、比較的双方に意見の言える強みを生かし、禁止条約派との「限定的な和解」を演出してはどうか。即ち禁止条約派には、NPTに基づく核軍縮措置を推進するため建設的な態度を求めつつ、他方、核兵器国に対しては、禁止条約派の努力を認めるよう働きかけることが考えられる。例えば、NPT最終文書の前文(preamble)に「核兵器禁止条約が人道主義に基づく核廃絶に向けた努力の一環であることを認識する」程度の言及につき提案してもよい。「核兵器国は勝手に核兵器を生み出しておいて、核抑止によって相互の安全を保障せざるを得ないといい、同盟国はその傘のもとに集まっているが、それは自分たちの都合ばかりを主張しているにすぎず、少しは我々の置かれた立場を考えてほしい。核爆発が起きた場合、想像を絶する迷惑を受けるのはこちらの方だ」とする禁止条約派の言い分にも一理ある。核兵器国は、禁止条約を受け入れることはできないまでも、彼らの核廃絶に向けた熱意と努力はくみ取り、共にNPTを支えるべきだ。
 (b)第二に、今後NPTの下で核軍縮を推進するため、軍縮会議など「軍縮機関」の改革の検討に着手する必要があろう。そのため、例えば、次期国連総会決議で「軍縮機関改革のための作業部会(あるいは政府専門家会合)」の設置を提案してはどうだろうか。その旨を、NPTの最終文書で合意するのだ。
 (c)第三に、わが国が従来から推進してきた「核装備の透明性」に関するイニシアチブを引き続き追及してほしい。今は核軍縮にとり受難の時代だが、今後の核軍縮を進めるためにも、また核兵器国間の信頼を醸成する上からも、核装備の透明性は避けて通れない問題だ。

おわりに
 近年における米中の対立及びウクライナ侵攻を機に激化する米露対立により、NPTは未曽有の挑戦を受けている。今回の運用検討会議は、この危機の時代に「NPTの求心力」を何よりも優先させ、様々な対立や分断を乗り越えなければならない。そのため、核兵器国はもちろん、拡大抑止国、禁止条約派、非同盟諸国などすべての加盟国には、NPT体制を共に支える「建設的な譲歩」が求められよう。同時に、NPTの下で核軍縮を前進させるため、交渉の「枠組み」の改革につき実のある議論すべきだろう。
 わが国の努力もその点に向けられるべきだ。

(本稿は個人の意見を述べたものであり、如何なる組織の見解を代表するものではない)