余談雑談(第151回)年の功

元駐タイ大使 恩田 宗

 学士会の会報に「文学研究が分っていなかった漱石くん」と題する亀井東大英文学名誉教授の随筆が載っていた。90歳の自分は「より若い人を心中ひそかに若僧!と見下す」を身につけており「大先輩」である「漱石先生」でも英国への留学中や日本人初の東大英文学講師(小泉八雲の後任)として就任した頃は「若い若い漱石くんに見える」、そもそも文学研究のやり方が「分らずひとりテンテコマイして」いるのが「はっきり見える」、と書いている。

 私も同じ90で歴史上の人物も現存の人もその殆どが私より年下である。皇帝、国王、偉人、天才、大臣、将軍も自分より年下だと思えばその人物の器や成した事・成しつつある事を臆することなく余裕をもって見定められるようになった。年の功である。学者や芸術家の業績や作品はその分野の知識がないと軽々に判断・評価はできないが、読んだり書いたりを仕事の一部として生きてきたので、書かれたものは専門的文書でない限り、熟読すれば自分なりに理解し判断できる。

 川端康成は大分若い72で没している。「伊豆の踊子」は彼が更に若かった27の時書いた出世作で青春の美しく淡い恋の話だと感動した記憶がある。改めて孫のような歳の青年が書いたものだと思って読み直すと冒頭の5つのパラグラフで「のだ」「のだった」と強調した言い方を7回もしているのが気になった。「若い若い川端くん」が目の前に居れば「出だしからそんなに気張らなくても」と話しかけたと思う。

 貝原益軒は人生50年の時代に84まで生きた超長寿の人である。最後まで歯一本欠けず細字の読み書きもしていたという。死の前年に著した長生きの仕方を説く「養生訓」は再販を繰り返すほどよく売れたらしい。首を傾げたくなるようなこと(口を開けて寝ると歯が早く抜ける、薬を飲んで産婦や死人を見ると効き目がなくなる、等)も書いてあるがその健康法は現代医学の目から見てもおおむね妥当で推奨できるという。よろずの事に節制を勧め若い人には「男女の情欲かたく慎むべし」と諭している。彼の京都留学中の淋病罹患や島原の太夫小紫とのロマンスをあげつらい「養生訓」に書いていることと矛盾すると難じる人もいるらしいが、私から見ると「若い若い貝原くん」だった頃の話である。あれこれ言うべきほどの事ではないと思う。

 タイに在勤した時美しい絹シャツを夫婦揃いで買って来てくれたがその鮮やかな赤と紺の模様が立場や歳にしては派手過ぎると思い悪かったが着なかった。以来一度も腕を通していない。思えば万事にの思惑を気にして窮屈に生きてきた。しかし益軒は「老後の一日千金にあたる、一日も楽しまずして過すはおしむべし」と私の背を押している。あの赤シャツで表に出てみようと思う。