<帰国大使は語る>潜在力に富む親日的な中米の国・ホンジュラス


前駐ホンジュラス大使 福田紀夫

 2018年6月から2021年10月まで駐ホンジュラス大使を務めて最近帰国した福田紀夫大使は、インタビューに応え、ホンジュラスの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―ホンジュラスはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 本年(2021年)、独立200周年を迎えたホンジュラス共和国は、米国マイアミから飛行機で約2時間半、北米大陸と南米大陸を繋ぐ中米に位置し、面積は日本の約1/3,人口は約950万人です。北部はカリブ海に、南部は太平洋(フォンセカ湾)に面する一方、首都を含む内陸部は高地で、乾期と雨期はあるものの年間を通じてすごしやすい気候にあります。
 魅力としては、①ユネスコ世界遺産に登録されているマヤ文化遺跡(Copan Ruinas等)、欧米のリゾート客の多いカリブ海のバイア諸島(Islas de Bahía)をはじめ鍾乳洞や温泉など豊富な観光資源、②世界第4、5位の生産量を誇り、近年、我が国でも知名度が上がっている高品質なコーヒー、そして③人々が温和で、ホスピタリティーが高いことでしょうか。
 勿論、気候変動に伴う自然災害や貧困・格差、雇用機会、暴力・麻薬問題等移民問題に繋がる諸課題があるところですが、殺人率等治安問題は、2期に渡る現エルナンデス政権の努力により相当程度改善されてきています。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 2020年には日本とホンジュラスの外交関係樹立85周年を迎え、記念諸事業を実施したこと、そして、コロナ禍や同年秋の2度の熱帯暴風雨の被害に対して機動的迅速な支援が実施できたことを挙げたいと思います。

<外交関係樹立85周年>
 まず、85周年ですが、年始には鈴木外務副大臣(当時)が我が国初の副大臣として来「ホ」されたほか、エルナンデス大統領には複数の重要な我が国による開発協力案件の式典に参加いただきました。コロナ禍直前の2月末には、日本から阿波踊りグループを迎え、ロサレス外相と記念式典を共催しました。公募により作成した記念ロゴ・ロゴバッジは、ホンジュラスの大学生がホンジュラスの国鳥(金剛インコ(Guacamaya))と日の丸をデザインしたもので、友好の象徴として大統領を含め各方面から大好評です(右図)。
 2020年3月中旬以降、ホンジュラスでもコロナ禍となり深刻な感染状況となりました(2021年11月現在(公式統計)、人口の約5%が罹患)。2020年中は、国民はIDの末尾番号で外出日が限定されるなど厳格な外出禁止(Toque de queda)が継続実施され、諸事業の実施は困難となりました。しかしながら、諸情勢を慎重に見極めつつ、インターネットを活用した活動を徐々に拡大し、K.クバイン名誉総領事による記念ビデオの作成、中村金沢大教授によるコパン遺跡に関するWebinar開催、日・ホ合作劇「米百俵」のビデオ再上映などに積極的に取り組み、広く好評を得ました。

<新型コロナウイルス対策支援>
 次に、コロナ被害への支援では、医療保健体制が脆弱な中での感染拡大であったため、長年の良好な両国関係及びコロナ禍は世界的対応が不可欠との考えから、6月中旬にはX線機器や救急車など真に必要な保健機材の供与を決定し、実際の機材も9月早々には第1弾が日本から到着するなど迅速に実施できました(写真1)。このほか、移民問題に資することも念頭に置いたWFPを通じた食料生産強靱化支援やIDB(米州開発銀行)を通じた学校再開支援なども行いました。
 また、11月初中旬には、約20年振りの大規模な2つの熱帯暴風雨EtaとIotaが北部中米を襲い、ホンジュラスでは北西部を中心に多数の土砂崩れや橋梁の崩壊、広範囲で家屋の水没など甚大な被害となりました。被災直後には、私もロサレス外相の求めに応じて他の外交団と共に軍のヘリコプターで上空から状況把握を行い、被害の甚大さに息をのみました(写真2)。このような中、日本政府は、災害発生の数日後には、テント、毛布、ポリタンクなど緊急援助物資をチャーター機で空輸・配布するとともに、国連フラッシュ・アピールに応えてUNICEFやIOM(国際移住機関)など国際機関等を通じた緊急人道支援、さらには、復旧・復興に不可欠な重機の供与、パン・アメリカン・ハイウェイ(国道1号線)の橋梁架け替えなどの協力をいち早く決定し、迅速に実施に移しました。
 被災地等で回数を重ねて実施されたこれら案件の供与式には、私も必ず出席し、裨益者やマスコミ等に対して日本の貢献をアピールしました。これら総額約40億円の無償資金協力は、政府及び一般国民から高く感謝され、我が国の存在感を一層高められたと思います。
 加えて、離任直前の2021年9月末には、コロナ禍等からの経済復興を支援する危機対応緊急支援円借款(1億米ドル)の署名を中南米地域で最も早くロサレス外相との間で行いました。ロジステッィクの強化をはじめ様々な経済活性化策に活用されることが期待されます。

(写真1)日本からのコロナ対策支援機材の引き渡し
(写真2)熱帯暴風雨被害状況、筆者空撮。

―ホンジュラスと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 日・ホ関係は、伝統的に極めて良好な関係にあります。
 これは、我が国から長きにわたって自然災害防止、教育,保健医療など人間の安全保障分野に力点を置いた質の高い開発協力が行われ、当国政府・国民から高く評価されてきたことが背景にあり、親日的な国情が醸成されています。特に、僻地を中心に地域に密接した学校教育や保健医療等に貢献した総計1500名を超える青年海外協力隊員やJICAの訪日研修参加者で帰国後各層で活躍する総計約3千人のホンジュラスの人々が,その基盤になっています。
 85周年事業の一つとして青少年健全育成を目的に整備改修された市内中央の丘にあるフアナライネス公園は、様々な重要イベントに有効に活用されており、新たな友好の象徴になっています。勿論、前記ロゴ・プレートも掲げられています。
 また、伝統文化、ポップ・カルチャーなど、日本文化に対して関心をもつ人も多く、特に、後者はYouTubeやアニメを通じて興味をもち、日本語学習に繋げる人も相当数います。帰国留学生の会(AHBEJA)が日本語学習をはじめ様々な日本文化紹介を大使館と連携して行っています。
 他方、開発協力以外の経済関係では、コーヒーやメロンなどホンジュラスの農産物の知名度も我が国市場で高まっています。ホンジュラスでは日本車が全体の約2/3を占め、その信頼性から高い人気を誇っています。
 近年、ホンジュラス政府は、外国からの民間投資誘致に積極的であり、そのためには、一層の治安改善や法の支配・透明性の確保などさらなる投資環境の整備が期待されます。本年(2021)年10月には首都新空港が開港し、また、カリブ海側の国際貿易港(コルテス港)と太平洋側の良港(エネカン港)とを結ぶハイウェー(Canal Seco)の整備が進むなどロジステッィクも近代化されつつあります。米国との距離の近さは大きな魅力のひとつといえます。
 大使館は、関心を有する日本民間企業に対して、情報提供等を積極的に行っています。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 2点、挙げたいと思います。第1は、ホンジュラスの実情等の把握・体得に努めること、第2は、我が国の存在感を高めつつ、両国関係の深化を図ることです。

 第1の点では、開発協力案件の僻地等現場での引き渡し式等に出席し、地域の実情に触れるようにしました。小さな山村では初めて外国の大使が来訪したと住民に歓迎されました。人々は厳しい生活環境にあっても温和で高いホスピタリティーを感じました(写真3)。
 ホンジュラスは18県(Departomentos)からなりますが、在任中にすべての県を訪れ、地勢、歴史、文化等の体得に努めました。APC(草の根無償協力)で改築した小中学校(前記合作劇に因み「米百俵学校」)の引き渡し式では、できるだけ生徒との会話に努めました。私の問いかけに対して、「学校が大好きで特に算数が好きです」と答える子供達の目の輝きが忘れられません(写真4)。なお、スピーチは西語で行うよう努めました。

(写真4)「米百俵学校」の引き渡し式
(写真3)開発協力案件の引き渡し式

 第2の点では、コロナ禍のため一定の制約はありましたが、政府幹部や民間団体幹部、大学・文化関係者、マスコミ関係者などと積極的な交流を図り、開発協力や文化交流などに結びつけました。85周年も契機としつつ、様々な媒体で発信を行い、我が国の存在感を高め、両国関係の深化に繋げられたのではないかと思います。
 また、政府機関や関係団体が主催する様々な説明会や意見交換会等が、バーチャル形式を含め多数開催されていますが、我が国のプレゼンスの確保の観点からもできるだけ参加するよう努めました。特に、主要援助国、国際機関からなるG16大使級会合には欠かさず出席し、必要に応じ我が国の立場や方針について説明を行いました(写真5)。
 このような中、離任直前の本年9月末には、大統領府でエルナンデス大統領から叙勲を直接いただき、ホンジュラスの開発に対する多大な貢献と両国友好親善の増進への寄与に対し直接ねぎらいの言葉をいただいたことは、大変光栄でした。
 以上のほか、大使館業務として、邦人の安全確保に万全を期することはいうまでもないことです。特に、首都テグシガルパを含め、危険度レベル2の地域を広く抱えており、領事メールの活用等による情報提供や自然災害等の際の個別安否確認等に取り組みました。
 また、コロナ禍が発生した2020年3月、国境封鎖令及び外出禁止令が発出された直後に、ホンジュラス政府やJICAと連携して、帰国希望邦人の国外待避が迅速に実現できたことは記憶に強く残るオペレーションでした。
 いずれにせよ、在任中、邦人の安全に関わる重大な事案が発生しなかったことは幸いでした。

(写真4)大統領を囲んでの援助国会合の模様。筆者(左端)の右隣がエルナンデス大統領

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 まず、在ホンジュラス大使館は比較的規模の小さな公館ですが、優秀なスタッフに恵まれるとともに、本省の関係部局の時宜を得た支援により様々な活動が機動的に実現できたことであり、改めて関係者各位に御礼を申し上げたいと思います。
 また、今回の勤務は、若い頃の国際機関代表部勤務の後、久し振りの在外勤務でした。国際環境や日本に期待される役割等には不易流行がありますし、館長としての責任の重大性は書記官時代とは格段の違いがありますが、従前の業務経験が非常に参考になったことと同時に、ICTの発達により外交の分野でも情報処理量や効率性が大きく進展したと感じました。
 と、同時に、コロナ禍での経験を経て、改めて面対による外交の重要性・必要性も再認識したところです。

―最後に一言どうぞ。

 ホンジュラスは、スペインから独立200周年を迎えた比較的若い国であり、社会的課題はありますが、様々な優れた面も有しており、将来の自律的発展に向けたポテンシャルを確信しています。
 また、JAXAが協力するホンジュラス初の人工衛星の準備も進んでいます。今後、パンデミックの状況を踏まえつつ、要人往来の再活性化やホストタウン交流の推進など一層の両国関係の発展を祈念します。
 コロナ禍の直前、コパン遺跡で新規プロジェクトの式典を行った際、ホンジュラス政府代表と苗木(Ceibaの木)の記念植樹をしました。友好親善がこの木の如く大きく育つことを期待するとともに、数年後、この木がより大きな樹となった際に、再訪できればと思います。

(追記)10月5日の離任から1月半後の11月28日、4年に1度の大統領選挙、総選挙等が行われた。エルナンデス大統領は立候補せず、与党国民党の後継候補ナスリー・アスフラ首都市長と左派野党連合のシオマラ・カストロ氏の事実上の一騎打ちになり、カストロ氏の当選が確実になった。カストロ氏は2009年にクーデターで失脚したセラヤ元大統領の妻で、ホンジュラスで初めての女性大統領になる。明年1月末の新体制確立に向けて、中国・台湾との外交関係を含め今後の展開に注目したい。