<帰国大使は語る>政治的に安定し豊かな文化が薫る西アフリカの国・セネガル
前駐セネガル大使 新井辰夫
2018年9月から2022年2月まで駐セネガル大使を務めて最近帰国した新井辰夫大使は、インタビューに応え、セネガルの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。
―セネガルはどんな国ですか。その魅力は何ですか。
<抜群の安定性>
クーデター無し
セネガルの特徴は、何といっても安定性でしょうか。1960年独立以来、一度もクーデターが起きたことがありません。大統領選挙の投票前は大いに賑やかです。与党候補、野党候補、その支持者が言いたいことを言い合って、支持集会などで盛り上がります。しかし、一旦投票が行われて結果が分かると、何もなかったかのように静かになります。在任中に経験しましたが、大統領選挙の投票日の翌日は街が静かで、皆がいつもの生活に戻っているのが印象的でした。
からかう冗談
何故だろうと自問して、資料を読み、セネガルの人にも質問しまくりました。セネガルの人達が言うには、もともと争いごとを好まない穏健な性格であるとの反応が最も多かったです。複数の民族が共存していますが、民族間の争いは見かけません。ある民族の間では相手をからかう冗談を言い合って楽しんでもいました。温厚で平和志向であるのは確かです。
なんといってもイスラム教団
とはいえ、なにかと厳しい気候条件、必ずしも恵まれた人だけではない社会と格差、周辺の不安定な国々など、不安定要素は沢山あります。在勤して感じたのは、宗教界の浸透力の強さです。人口の95%以上がイスラムです。ほとんどの人が教団に属しています。いずれの教団も穏健で教団同士も良好な関係です。公的教育と両立する形で住民子弟に教育を施し、経済活動を行い、外部からの過激思想の流入の防波堤にもなっています。世俗の政府より住民への浸透は強いと言う人もいます。代表的な教団幹部と意見交換を行いましたが、皆さんが社会の安定のために大きな役割を担っている様子が分かりました。
フランスの影響
宗主国であるフランスに関わる歴史も無視できません。セネガルはフランスにとって西アフリカの拠点として機能していました。独立前の時代からセネガル人の議員を輩出するなど、民主的な制度に慣れ親しんできた経緯があります。フランスにとって植民地経営の要であり、安定の最後の砦であったともいえ、同地域の安定には並々ならぬ努力を払っていたのでしょう。そんな遺産の上に、安定したセネガルは、仏のみならず欧州、米州、アフリカ、イスラム圏、アジアなど多くの国とバランスを取って付き合っています。因みに、韓国、北朝鮮の両方の「大使館」があります。
<テランガ、美食、文化芸術>
安定していることは、セネガル人にとっても、在留外国人にとっても有難い事です。ここから派生してセネガルの様々な特徴や恩恵が見いだされます。
ここは関西?
セネガルに赴任するよりも前に、機会があって初めてダカールに出張したことがあります。ナイロビの用務を済ませた後にダカールに着きました。ここは関西か、大阪かなという空気を感じました。理由は分かりませんでしたが。セネガル人の笑顔、明るく開放的な雰囲気、適度に雑然とした街角、それらが総合した結果でしょうか。
テランガ/ようこそ
セネガル社会を現わす言葉に「テランガ」があります。おもてなし、ホスピタリティーといった意味で、日本語でこれに対応するのは「ようこそ」でしょうか。テランガの伝統はどこにでもあります。大きな鍋に用意した食事を皆で食べます。家族、近所の人、通りがかった人も誘われます。日本のJICA海外協力隊員から聞くのは、住んでいる近所でよく食事をご馳走になるそうです。自分の経験ではパリの接客業で会うアフリカ出身者はセネガル人であることも多かったです。人当たりがよいのでしょう。一方で、遠慮ない面も。これも聞いた話、市場の八百屋さん、馴染みのお客さんには質の落ちるミカンが混ざる確率が高くなるとか。本当であれば、遠慮ないというか、細かいところを気にしないというか。自身は関東出身なので、セネガルは大阪風なのか、関西の方の意見を聞いてみようと思います。
美味しい、楽しい
料理が美味しいです。米をよく食べます。代表的なのはチェブジェンという米料理です。大阪の食い倒れを思い起こします。文化芸術も盛んです。ダカール市ではビエンナーレ、サンルイ市ではジャズ・フェスティバルも行われます。街中あちこちにギャラリーがあります。有名な映画監督も輩出しています。食いしん坊、芸術好きにはたまりません。
―セネガルと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。
良好な関係
日本とセネガルは従来から良好な友好協力関係を築いてきました。我が国は、セネガル独立の2年後(1962年)に大使館を開設しました。在京セネガル大使館が開かれた1970年代からは、我が国の開発協力も本格的に始まりました。以来、要人往来を含め良好な関係が維持されています。
多岐に渡る協力
日本からの開発協力は多岐の分野にわたり、深く熟したものになっています。インフラ、農業、漁業、教育、保健、治安などあらゆる分野です。ダカールのJICA事務所はアフリカでも有数の規模です。象徴的なODA案件として、職業訓練センターがあります。産業分野ですぐに役立つ人材を育てています。1984年以来約5000人の人材を育成してきました。地元では「セネガル日本センター」と呼ばれています。セネガル人だけでなく仏語圏アフリカから研修生を受け入れて、西アフリカの訓練センターに育っています。
頻繁な往来
要人の往来も頻繁です。例えば、2019年はセネガルから日本へ大統領が2回訪問、閣僚が延べ15回訪問、日本からも閣僚クラスが延べ6回セネガルを訪問しました。その後は コロナ禍でペースが落ちましたが、2021年1月には茂木外務大臣(当時)の訪問が実現しました。10年ぶりの外務大臣訪問でした。
拠点として発展
平和で安定したセネガル、日本との関係も良好で成熟、多くの国と満遍なく上手に付き合う国。セネガルは西アフリカの拠点になるにふさわしい国です。公的な関係でいえば、上述の職業訓練センターが西アフリカの人材育成センターになっているのが好例です。
経済関係でも、ますます多くの日本企業に関心を持っていただいています。2020年2月には官民合同貿易投資促進ミッションが来訪しました(中谷外務政務官(当時)が団長、20社が参加)。その後、進出日本企業が25社から30社に増加して具体的な成果をあげました。
セネガルの発展性を見込んで、既に多くの国が関係強化を図っています。伝統的につながりのある欧州、アフリカ、イスラム圏はもとより、米州、アジアの国々もそうです。各国から大統領、首相、閣僚、経済関係者他がひっきりなしに訪問しています。新たに大使館を開設する国も増えています。日本も後れを取ってはいけないと感じました。
―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことはありますか。在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。
<60周年/40周年>
良好で成熟な関係を築いていますが、他の国からもアプローチが激しいセネガルです。我が国との一層の関係強化を目指して、外交関係樹立60周年(2020年)を祝うことにしました。独立した1960年に我が国は外交関係を樹立しました。もちろん他の多くの国も同年に外交関係を樹立しています。日本が目立つために、前年の2019年からあちこちで60周年を言い回ることにしました。両国の要人会見、当方がセネガル人と会うあらゆる機会を捉えました。お蔭さまで、首脳会談でもセネガル大統領から60周年でもあり関係を強化しようと言っていただけるまでになりました。因みに、他の国で周年に言及していたのはほんの数か国でした。
対アフリカ外交の資源が限られる中で、効率的に周年を実施するために、ソフト面での施策を強化しました。ロゴマークを作成して宣伝、既存の記録写真を集めた60周年記念写真パネル、要人を委員にした周年委員会の立ち上げ、などです。ちょうど青年海外協力隊の対セネガル派遣40周年でもあったので、開発協力面の内容を多く盛り込んだのも効果的でした。他国との差別化にも役立ちました。
効率的に大きく盛り上げるために、メディアと最大限に連携しました。地元メディアに取り上げてもらえるように工夫して進めました。結果として、テレビ、新聞、ネットプレスなどで記事になり、放映されることも多かったです。
残念ながら、コロナ禍で文化事業は軒並み中止、延期になりました。和太鼓公演、日本人形展、柔道大会など計画していましたが。それでも、メディアや大使館のSNSを駆使して盛り上げを継続しました。
<重層的な関係:二国間、アフリカ、世界>
両国関係の施策として目指したのは、①二国間、②アフリカ視点、③世界視点の三層に渡る連携の推進です。
二国間の協力は既に幅広く深く進んでいます。この熟した土台を生かしてアフリカの視点から両国で連携強化を図りました。上述の西アフリカ訓練センターのようにODAの施策で両国がアフリカのために協働している分野が農業、保健など沢山あります。また、「アフリカの平和と安全に関するダカール国際セミナー」を連携して実施することでアフリカの平和に貢献しています。
さらに進んで、世界の課題に連携して取り組むことが考えられます。既に同時期(2016年~2017年)に安保理非常任理事国として協力した実績があります。国連改革は、考え方と目標を共有しており代表的な協力分野です。改革を推進するグループとして、我が国はG4の一員、セネガルはC10のメンバーです。
―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。
<現場>
在外における役割と強みは、やはり「現場」であると感じています。実際に見聞きして、人と接することの重要さを常に意識していました。日本の存在感を強めるためにも現場に顔を出すことは重要です。そして、現地の人々と良好で緊密な関係を築くことは、情報入手や協力の円滑な実施に繋がります。
<知ってもらうことの大事さ>
日本はセネガルで長期にわたり多大な貢献をしてきました。着任間もなく、日本をよく知るあるセネガル人から聞きました。日本はセネガルに多くの良いことをしてきた。見返りを求めることもなくセネガル人のために貢献いただき感謝している。ただ、日本人は謙虚であり人々にその実績を知られていない。他の国は針小棒大なほどに宣伝している。
貢献して実際に人に役立つのは重要ですが、国の施策として実施したことを知ってもらうのは同じくらい大事です。インタビュー依頼は決して断らない、現場に顔を出す、メディアと積極的に関わるなど、微力ながら努力を積み重ねました。最近日本が目立っている気がするとの声を聞いたときは、少しは効果が出たかと感じました。どこの在外にいても、知らせることを意識していました。
今年はTICADの年でもあり、今後とも日本セネガルの関係が重層的に発展することを祈っています。