<帰国大使は語る>対日関係が新たなステージに入った南太平洋の島国・バヌアツ
前駐バヌアツ大使 千葉 広久
2020年6月から2023年10月まで初代駐バヌアツ大使を務めて最近帰国した千葉広久大使はインタビューに応え、バヌアツの歴史や魅力、国内情勢、コロナ禍への対応、東京オリンピック大会を契機とした広報活動、気候変動の自然災害への影響、日本との外交関係の現状や今後の課題、在外勤務を通じての感想などについて以下のとおり語りました。
―バヌアツはどのような国ですか。その魅力は何ですか。
バヌアツは、南太平洋に浮かぶ島嶼国の一つです。オーストラリアの東方、フィジーの西方に位置しており、80余りの島々から構成されています。南端のマシュー島とハンター島については、仏領ニューカレドニアとの間で領有権をめぐる係争があります。領土面積は約12,190㎢で新潟県の面積とほぼ同じです。人口は約32万人で、若い人口層が多く綺麗なピラミッド型をした人口構成となっています。面積も人口も小規模ですが、小さな島国が多い太平洋島嶼国の中では、中規模の国といえるかもしれません。
バヌアツは、1980年7月30日に共和国として独立を達成しましたが、その前はイギリスとフランスの2か国による「共同統治」という珍しい形での植民統治を受けていました。その影響で、今も英語とフランス語が公用語となっています。学校教育も英語系とフランス語系の学校が併存しており、それぞれの言語での教育が行われています。国語はピジン英語の一種であるビスラマ語で、日常会話で広く使われています。このほか各島や地域における地方語が130余りあるといわれています。
バヌアツの中心的な産業は農業と観光業です。特に観光業については、美しい海岸、世界で最も間近に噴火口を見られるというタンナ島の活火山等に加え、バンジージャンプの基になったといわれるペンテコスト島のランドダイビングなど見どころも多く、豪州等からの大型クルーズ船の来訪も盛んです。コロナ禍はこのような観光産業をはじめとするバヌアツ経済に大きなダメージを与えましたが、その終息を受け、政府は観光業の再活性化に力を入れて取り組んでいます。日本からは直行便がないこともあり来訪者数も限られていますが、隠れた魅力に満ちた国といえるのではないでしょうか。
政治状況については、多くの小政党が乱立し離合集散が繰り返され、政権が頻繁に入れ替わるという不安定な状況が続いています。2022年11月に続き、昨年後半にもさらに2度の政権交代がありました。しかし、基本的には国会の場における民主主義的な手続きに基づいた政争であり、与野党間の対立における憲法上の正当性に関する疑義については、最高裁または上訴裁判所の最終的な判断に双方とも従う形で収束が図られています。国家元首は大統領です。大統領は行政権を有していませんが、昨年11月には、大統領の呼びかけに応じて与野党間で一定の政治的な和解が成立しました。現在、内政の安定化を図るために、政党の設立要件等を厳格化するための政党法の策定や、その基盤となる憲法条項の改正についての議論が始まろうとしています。軍隊は存在していませんが、警察部門から機動隊組織を分離して国軍を創設しようとの議論が出ています。治安状況は一般的に良好であり、基本的な注意は必要ですが、在留する外国人や旅行者にとっては安心材料といえるでしょう。
―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。
私のバヌアツ勤務の前半は、時期的にやはりコロナ禍への対応が大きな課題となりました。バヌアツ政府による国境閉鎖の影響を受けて、私の着任も大幅に遅れました。新設されたばかりの大使館の各種システム等の本格的な立ち上げも、2022年7月の国境再開後まで待たざるを得ませんでした。
日本は、他の同志国や国際機関とも連携しつつ、バヌアツ政府のコロナ対策への支援に力を注ぎました。2021年5月に、COVAXシステムを通じたコロナ・ワクチンの第一陣が到着し、ボブ・ロウマン首相(当時)出席の下、空港で引き渡し式が行われました。小さな島が散在するバヌアツでは、ワクチンをいかに遠隔地を含めた国民全体に行き渡らせるかが大きな課題でした。日本は、ワクチンの遠隔地輸送のためのソーラー式冷凍冷蔵庫やWASHシステム(簡易トイレや手洗い所の設置)などの支援を展開し、感謝されました。
任期の後半で特筆すべき出来事としては、熱帯サイクロンの襲来が挙げられます。2023年3月初頭に二つの大きなサイクロンが立て続けにバヌアツを襲いました。首都ポートビラでも家屋の損壊や浸水、倒木による道路の寸断、電気・水道・インターネット等の生活インフラの中断等のほか、農産物にも壊滅的な被害が出ました。幸い死者はいなかったものの国民の66%が被災したとのことでした。さらに、同年10月下旬には別の大型サイクロンが主にバヌアツの北部地方を直撃しました。
バヌアツは、国連大学の世界自然災害リスク評価において「自然災害に対して最も脆弱な国」にランクされています。環太平洋造山帯に位置し地震や火山活動も多く、日本と同様常に自然災害のリスクに脅かされている国であることを今回のサイクロン体験を通じて実感しました。日本は、同じ災害多発国としての経験を活かしつつ、今後も災害脆弱国に対する各種支援を一層進めていく必要があると考えます。
バヌアツは、他の太平洋島嶼国と同様に、自然災害の激甚化や海面上昇等「気候変動」の影響に対する強い危機感を有しています。2023年3月、国連総会で気候変動にかかる国家の義務について国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を要請する決議案が採択されました。これは、バヌアツにもキャンパスの一部(法学部)がある南太平洋大学(USP)の学生たちの呼びかけに応えてバヌアツ政府が実現化のイニシアチブをとったものであり、同国が国際的なリーダーシップを発揮した好事例となりました。本決議案には、日本も共同提案国として参加し、バヌアツ政府から高く評価されました。
―バヌアツと日本、米国や中国との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。
日本は、バヌアツの独立後間もない1981年1月に同国と正式に国交を樹立しました。それ以来、同国の持続可能な開発のために様々な支援を実施してきています。空港や港湾・埠頭・橋梁等の重要インフラの整備、水力発電所の建設、保健・衛生や教育、災害対策や廃棄物管理などの分野での支援を実施してきました。地元コミュニティに直接裨益する草の根無償資金協力やJICAの研修プログラム等を通じた人造りにも意を用いてきました。高い評価を得ているJICAボランティアの活動は、コロナ禍で一旦中止されていましたが、2023年より徐々に再開されています。
日本政府は、この地域の重要性の高まりを踏まえ、バヌアツとの関係をさらに発展させるために、2020年1月にそれまでの駐在官事務所を大使館に格上げしました。バヌアツ側も、このような日本側の対応を高く評価し、昨年、東京にバヌアツ大使館を開設することを正式決定しました。本年はPALM10(第10回太平洋・島サミット)も開催されます。両国がお互いに大使館を開設することを通じて、両国関係がさらに発展していくことが期待されます。
現在、バヌアツに大使館を設置しているのは、豪州、ニュージーランド(NZ)、英国、フランス、中国、日本の6か国ですが、2024年前半には米国が大使館を開設する予定です。豪州は伝統的に最大の支援国で、幅広い分野においてハード・ソフト両面で積極的な支援を行っています。アルバニージー政権は、さらにその姿勢を強化しています。豪州やNZはバヌアツの隣国であり、季節労働者派遣プログラム等を含めて経済的にも強い繋がりがあります。英国およびフランスは旧宗主国であり、英国はコモンウェルスの盟主として精神的な影響力も保持しています。フランスは、昨年7月にマクロン大統領が来訪するなど、南太平洋地域への関与を強化しています。バヌアツの隣のニューカレドニアは仏領であり、同管区からの艦船の来航等安全保障面での関与も活発化させています。
中国は、1982年にバヌアツと国交を開設し、その後継続的に同国への関与を深めています。ポートビラ市内の首相府、国会議事堂、国際会議場、国際競技場などメルクマークとなる建物の多くが中国の支援で建設されたものです。主要な島々における道路建設などの事業も進められています。政府間のみならず、中国共産党と当国主要政党との政党間交流や議会間交流も行われ、留学生の受け入れや中国語教育も積極的に行われています。2022年4月、バヌアツの隣国であるソロモン諸島が中国との間で透明性を欠く安全保障協力協定を締結したことや、同年5月から6月にかけて王毅外交部長がバヌアツを含む太平洋島嶼国を歴訪したことで、この地域に対する関心が俄かに高まりました。その後、主要国からのハイレベル・ミッションの来訪が相次いでいます。同年12月のウォン豪州外相の来訪時には、カルサカウ首相(当時)との間で、二国間の安全保障協力協定が署名されました(しかし、その後国会での批准には至っていません)。日本からは、武井俊輔外務副大臣が、2023年1月と同4月の2回に亘ってバヌアツを訪問され、カルサカウ首相(当時)をはじめとする政府首脳に対して、日本のバヌアツとの関係強化の立場と変わらぬ協力姿勢を伝達されました。このような中、米国もバイデン政権の太平洋島嶼国・地域への関与拡大方針の下、バヌアツに大使館を開設する予定で準備を進めています。米国を含む同志国のこのような関与の拡大は歓迎すべき動きであり、日本としても、これまでの実績と経験を活かしつつ、同志国と一層緊密に連携しながら、バヌアツおよびこの地域への積極的な関与を進めていくことが期待されます。
―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。
私のそれまでの勤務地での経験と比べると、バヌアツにおける対日関心や知識はまだ非常に限られていると感じました。しかし、そのことは、日本をより良く知ってもらうためにフロンティアを開拓していける楽しみがあるということでもあります。
私が着任した2020年は、バヌアツが独立40周年を迎えた年でした。その40周年イヤーの最終盤に当たる2021年7月23日からは、コロナ禍で1年延期された「東京2020オリンピック」が開催される予定でした。そして何より、この年は日本とバヌアツの国交樹立40周年の記念すべき年でもありました。これらを組み合わせて、日本を発信し、また両国関係をプレイアップする何らかの行事ができないものか、思案の日々が始まりました。しかし、大使館は開設されたばかりですから人員も少なく、周年事業等を行うための予算も確保できていません。準備の時間も非常に限られています。やはり難しいかと思いつつも館員の皆さんに相談し、手作りで出来るだけのことをやってみようということになりました。外務本省とも相談しつつ、次席以下全館員の献身的な取り組みのおかげで、市内の広場を借りての国交樹立40周年記念式典と日本文化のデモンストレーション、東京オリンピック開会式のパブリックビューイング、そして3日間にわたる日本映画の上映会を「ジャパン・バヌアツ・ウィークエンド」と称して実施することができました。この過程で、バヌアツ外務省、バヌアツ・オリンピック委員会、同パラリンピック委員会をはじめ多くの団体や個人にご協力いただきました。JICAバヌアツ事務所には広報や記念品の作成にご協力いただきました。バヌアツの子供たちによる空手と柔道のデモンストレーションや、日本の三味線と太鼓グループによるビデオ参加による特別演奏なども実現できました。
また、バヌアツ中央郵便局が、大使館で作成した40周年記念ロゴを活用して記念切手を発行してくれました。記念式典にはボブ・ロウマン首相(当時)にご出席いただきました。同首相は式典後もご家族とともに日本映画の上映を楽しまれ、また当地では深夜に及んだオリンピック開会式でのバヌアツ選手団の入場行進の勇姿を見届けておられました。
ALPS処理水の海洋放出問題も大きな課題でした。日本の方針決定後、バヌアツでも一部の国会議員等から懸念や反対の声が出始めました。「核のレガシー」を抱える太平洋島嶼国には核や原子力に対する根源的な懸念が存在しており、科学的な説明を尽くしても十分な安心と納得を得ることは容易なことではありません。外務省本省とも緊密に連絡を取り合いバヌアツ政府等の関係者やマスコミに対して、できるだけ丁寧な説明を継続的に行うように努めました。政権が頻繁に代わることの困難もありましたが、いずれの政権においても日本の誠実な対応と透明性を持った説明には理解が得られたものと思います。他方、バヌアツは、この問題については、PIF(太平洋諸島フォーラム)やMSG(メラネシアン・スピアヘッド・グループ)など、自らがメンバーとなっている地域機構全体の動向にも関心を払っています。日本としては、今後もこれらの機構の動きも見つつ、バヌアツ政府や国民への丁寧な説明を続け、理解を深めてもらう地道な努力を継続していく必要があると思います。
―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。
私の場合、在外勤務は東南アジア(インドネシア、シンガポール)と大洋州地域(豪州、バヌアツ)に限定されましたが、日本にとって重要性がますます高まっているアジア太平洋地域において勤務し、それぞれの国や地域の特性を踏まえながら両国間や地域との関係強化にささやかながらも尽力できたことは、外交官冥利に尽きることであったと思います。一番長く勤務したインドネシアでは、スハルト政権の全盛期とその退陣、さらには民主化の過程を目の当たりにし、感慨深いものがありました。最後の勤務地となったバヌアツでは、初代の駐箚特命全権大使として貴重な経験をさせていただきました。
在外勤務を通じて感じたことは、我々外交に携わる者たちの日頃の地道な努力が結局は日本への信頼につながっているということであり、その重要性を踏まえて日々研鑽することが大切であるということです。この関連で特に印象に残ったことは、東日本大震災の際の諸国民の反応でした。当時私は在シンガポール大使館で広報文化班長をしていたのですが、被災者を励ますメッセージや寄せ書き、そして手製の折り鶴などを持った一般の国民の方々が連日のように大使館にいらっしゃいました。どちらかというと若い層の方々が多かったように記憶しています。政府間だけではなく、このような一般の方々が真心から日本を励まそう、日本の人達を勇気づけたいと思ってわざわざ大使館を訪ねてきてくださる様子を見て、心を動かされましたし、これまで日本がやってきたことは基本的に間違ってはいなかったのだという思いを強くしました。すなわち、相手国と同じ目線に立って心と心の交流を進めるという日本の基本的な外交姿勢は、相手国の国民レベルでもきちんと伝わっているのだと感じました。もちろん、それは外務省だけの力によるものではありませんし、在外公館だけで出来るものでもありません。結局は日本国民全体の世界とのかかわり方によるものであるといえるでしょう。しかし、日本に対する世界の信頼を醸成し、お互いの友好協力関係を強化するために最前線で活動する外交官や外務省員として、大いに勇気づけられることであったのは確かだと思います。これからも日本が、平和を愛する国家として、世界が直面する様々な課題に率先して取り組みつつ、世界の中で信頼され名誉ある地位を得ることを祈ってやみません。