<帰国大使は語る>中東から欧州へのゲートウェイ・東地中海の「太陽の島」キプロス


前駐キプロス大使 関 泉大使

 2020年6月からから2022年11月までキプロスに勤務して最近帰国した関泉大使は、インタビューに応え、キプロスの特徴と魅力、日本との関係とその展望、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと等について以下の通り語りました。

―キプロスはどんな国ですか。その魅力や実力は何ですか。

 キプロスは、トルコの南、地中海の東端に位置し、面積は四国の約半分(9215平方キロメートル)で、地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きい島にある国です。観光業、海運業、金融業が主要産業です。
 中東地域に近接するEU加盟国として、地政学上の重要性を有しています。ちなみに、トルコまでは70km、シリアまで105km、レバノンまで168km、イスラエルまで240km、ギリシャの最東端の島「カステロリゾ島」まで268km、エジプトまで356km、リビアまで753km、ギリシャ本土まで782kmという距離です。

<豊かな観光資源>

 その魅力は何といっても、「太陽の島」と呼ばれ、1年365日のうち340日が快晴という、青い空と輝く太陽、透明で美しい海と自然に恵まれた、長い歴史と多様な文化です。
 紀元前9000年頃の新石器時代から人々の定住がはじまり、古代ギリシャ・ローマ時代、ビザンチン(東ローマ帝国)、フランク王国(リュジニャン王家)、ベネチア、オスマントルコ、英国植民地を経て1960年に独立しました。
 ギリシャ神話の「愛と美の女神『アフロディーテ』(ローマ神話のビーナス神と同一神)」の誕生伝説の島としても有名で、神話、古代遺跡、自然が一体となった、知れば知るほど興味深い島です。人口120万人の島に、2019年には400万人の観光客が訪れています。

(写真) アフロディーテ誕生の地とされるペトラ・トゥ・ロミウ海岸

 太陽を十分に浴びた果物、野菜、特に、かんきつ類、ブドウ、ジャガイモの味は格別で、キプロスワインも美味しく、シンプルな味付けの地中海料理は日本人の口に合います。街路樹にオリーブ、オレンジなどが植えられており、私にはとても新鮮な光景でした。

(写真)一般家庭の家の前の歩道に植えられているオレンジの木

 島は南北に分断され、国連PKOが展開する「紛争地」とされていますが、国内は平和で安定しており、観光客は検問所に行かないかぎり、「紛争」中であることを実感することは殆どありません。

<キプロス問題>
 1960年に英国から「キプロス共和国」として独立し、多くの観光客をひきつけるキプロスですが、独立後まもなく、ギリシャ系住民とトルコ系住民間の衝突が頻発・激化し、1964年以来、国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)が派遣されています。1974年、ギリシャ系武装勢力がギリシャ軍事政権の支持を得てクーデターを企図したことを機に、トルコ軍がトルコ系住民保護を名目に侵攻し、キプロスの北部37%を実行支配しました。1983年、北側は「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言し(トルコのみが国家承認)、今なお、北部のトルコ軍支配地域(トルコ系)と南部のキプロス共和国政府支配地域(ギリシャ系)とに緩衝地帯で分断されたままです。
 南北間の和平交渉は何度も行われてきました。2004年2月、アナン国連事務総長の呼びかけに応え、キプロスがEUに加盟する同年5月までの南北間の問題解決に向け、所謂「アナン・プラン」(キプロス問題に関する国連事務総長による包括的合意案)に基づく直接交渉が再開され、アナン事務総長が提出した最終案が同年4月、両系キプロスにおける住民投票にかけられましたが、ギリシャ系地域において否決され、キプロス共和国は南北に分かれたまま2004年5月、EUに加盟しました。
 その後も国連の仲介により、数度に亘り和平交渉が行われてきましたが、2017年6月にスイスのクランモンタナでの多国間会合の交渉決裂を最後に、公式な和平交渉は行われていません。2020年10月に「北キプロス大統領選挙」において、トルコ政府寄りの発言を繰り返し、二つの別々の「国家」としての共存を主張するタタル「首相」が、キプロス再統一に前向きなアクンジュ「大統領」を破って当選し、和平交渉の再開が見通せない状況が続いています。
 「北キプロス」に位置する「バローシャ地区」は、70から74年までは、高層ホテルが立ち並び、ブリジット・バルドー、エリザベス・テーラーと言った多くの著名人がバカンスを楽しんだことでも有名な、世界的に人気のあるビーチ・リゾート地でした。ホテル等の所有者を含め多くの住民はギリシャ系でしたので、74年のトルコ軍侵攻により住民の多くは他所へ移動し、以後、国連の管轄下にあります。しかしながら、タタル「大統領」は就任後、同地区の解放を宣言し、安保理決議に反し、国際社会からの批判を受けても開発を進め、一般観光客を受けて入れており、ギリシャ系にとり許しがたい状況になってきています。
 今年3月、キプロス共和国にフリストドウリデス新大統領(元外相)が誕生しました。5月にはトルコの大統領選挙があり、キプロス問題の行方はトルコの大統領選挙の結果に大きく左右されうるため、目が離せません。

<エネルギー供給国としての可能性>

 2000年代後半に東地中海で大規模天然ガス田が発見され、キプロスでも2011年以降、4つのガス田が発見・確認されています。未だ生産を開始したガス田はありませんが、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、中長期的な欧州向けガス供給源として注目が集まっています。具体的には、アフロディーテ・ガス田(可採埋蔵量4.5兆立方フィート)は2027年から生産開始可能、グラウコス・ガス田(可採埋蔵量5~8兆立方フィート)は2020年代の終わりから開始できる旨、ピリデス・エネルギー・商業・工業大臣(当時)は発表しています。

<ビジネスチャンスを有するキプロス>

 キプロスは欧州、中東、北アフリカと3つの大陸に面する要衝であり、各主要市場へのゲートウェイや経済活動のハブとなりえます。低い法人税、政治的な安定、生活・教育水準の高さ、英国で教育を受けた司法・会計の専門家が多いこと、良好な治安、ビジネス言語が英語であることなど、国際的なビジネスの好条件がそろっています。EU域外からキプロスで企業を開設する際の様々な優遇措置を用意しており、日本企業の進出、日本企業との経済的な協力関係の強化が期待されています。キプロスが強みを有する分野として挙げているのは、海運、観光、金融・投資ファンド、IT、高等教育、エネルギー(ガス等)分野です。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 コロナウィルス拡大初期のロックダウン時から拡大真っ只中に赴任期間がほぼ完全に重なり、様々な制約がある中での勤務でした。
 そのような環境下でしたが、安倍元総理のご逝去に際し、アナスタシアディス大統領、デメトリゥ国会議長(大統領に次ぐポスト)、フリストドィリデス元外務大臣(昨年1月で外相を引退し大統領選挙に出馬し、今年3月1日に新大統領就任)他、多数の要人が大使館まで弔問記帳に来られました。安倍元総理の国葬には、デメトリィウ国会議長が参列され、訪日時には細田衆議院議長表敬、日本キプロス友好議員連盟との懇談も行われました。
 2022 年7月には、ディミトリアデス海運大臣が、キプロス人船主が発注していた船舶の進水式に合わせ訪日し、国会の海事振興連盟勉強会での講演や日本の造船会社、日本船主協会等との面談を行いました。10月にキプロスで開催された大規模海事シポジウム「マリタイム・キプロス2022」には日本の海事関連新聞社2社の記者が招待されました。海運分野での両国の更なる進展に繋がることを期待しています。

―キプロスと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 日本は、1960年8月のキプロス独立と同時に国家承認し、1962年6月に外交関係を樹立しました。当初は駐レバノン日本大使がキプロス大使を兼轄し、1990年2月駐在ギリシャ大使が兼轄するようになり、2018年1月にキプロスに日本大使館が開設されました。キプロス側も2019年10月、在京大使館を開館しました。
 外交関係樹立以来、民主主義、法の支配などの基本的価値を共有する両国は、二国間および国際場裏で良好な協力関係を築いてきています。
 とは言え、私の在勤中、在留邦人数は約90名、うち日本人留学生はポスドクの研究者を含め3名。日本車、日本の電気製品などの販売代理店は相当数ありますが、進出日系企業は3社(うち2社は関連会社)。いずれも会社代表はキプロス人です。1社は、船舶用電子機器の総合メーカー FURUNO古野電機で、2012年にギリシャ法人の子会社として、2015年からはFURUNO古野電機 の100%子会社として事業を行っています。もう1社は、三菱UFJ信託銀行によって2019年に設立されたフィンテック会社MUFGインベスター・サービス・フィンテック社で、MUFG傘下企業にサービスを提供しています。更に2022年、MUFGインベスター・サービスのオペレーション部門として、MUFG FUND Services Cyprusもキプロスに開設されました。
 70年代後半から80年代には、日立が現地企業との合弁会社「日立ヘレニック合弁会社」を設立し、電話交換機器(クロスバー式局用自動変換器)の製造・販売を行っていたそうです。
 中東地域に近接するキプロスですので、政府間では「邦人退避に関する協力覚書」を2018年に署名しています。これは、2006年7月のイスラエルによるレバノン侵攻に際し、レバノンの在留邦人が船でキプロスまで退避し、キプロス経由で欧州の別の国などに飛行機で移動した時の経験に基づくものです。
 双方に大使館ができたことで、関係の強化・拡大、緊密化に拍車がかかることが楽しみです。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 日本製の自動車や寿司はキプロス人の生活の一部になっており、多くの人が技術大国、勤勉で治安の良い日本に対して好印象を持っています。生け花、柔道、空手、囲碁、俳句クラブがあり、日本のマンガ・アニメファンの若者を中心とした団体「コミコン・サイプラス(CCC)」もありますが、一般的には、日本文化や日本への関心は大陸欧州の国々と比べて決して高くはありません。
 そこで、いかにして、永続する形で日本のビジビリティーと親日感情を高め、大使館の協力者・応援団を増やすかという点に注力しました。

<日本キプロスビジネス部会の設置>

 最初に実現したのは、キプロス商工産業会議所の中に、キプロス日本ビジネス部会の設置です。それまでは、東アジア及び東南アジア・ビジネス部会の中に日本は含まれていました。2021年3月、フリストドウリデス外務大臣(当時。現大統領)の出席を得て、キプロス日本ビジネス部会の発足記念行事をオンラインで実施しました。

(写真)キプロス日本ビジネス部会発足記念オンライン行事。左上がフリストドウリデス外務大臣(当時。現大統領)、左下がデミトリゥ部会長(キプロス外務省ツィッターより)

<桜公園の開園>

 次に実現したのは2022年外交関係樹立60周年を記念する桜公園の開園です。首都ニコシアの夏は40度を越えるため、植樹場所や苗木の種類選定にあたり、キプロス政府森林局長の協力、日本さくらの会の助言を得て、トロードス山麓に位置し、サクランボを生産しているカンボス村の約3000平米の土地に46本の桜の苗木を植樹することにしました。準備期間が短かったため、村と相談の結果、2年計画とすることにし、2022年4月、初年度として26本の苗木を植樹しました。植樹式には、フリストドゥリデス元外相(現大統領)も出席され、国営放送のTVニュース等でも放映され、大きな反響を呼びました。村では毎年6月にサクランボの収穫時にサクランボ祭りを開催しているので、その時に合わせ、桜公園の開園式典を行いました。

(写真左)フリストドゥリデス元外相(現大統領:中央) と植樹の様子を見守りつつ談笑。
(写真右)カンボス村にある桜公園入口の看板。

<キプロス日本友好協会の設立>

 日本の応援団作りとして、キプロス日本友好協会の設立にも尽力しました。1980年代前半に日本政府国費留学生として留学した学生3名で帰国後に友好協会を設立・活動した時期があった由です。しかしながら、中心者の仕事が多忙になるにつれ、活動が停止されたまま長い年月が過ぎ、関連法規の変更もあり、新たなキプロス日本友好協会として設立・登録が必要となりました。新たな友好協会の中核となる元国費留学生と大使館とで数度にわたる協議を経て、登録のための発足式会合を大使公邸にて実施し、内務省に関係書類を提出するところまで見届けて現地を去りました。

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 非ODA対象国であり、日本から遠く離れた、日本との直行便のない小国との間では、如何に招聘プログラムが重要かつ効果的であるかという点です。
 3月1日に新大統領に就任したフリストドウリデス大統領は、外相当時の2018年に日本政府の招聘で夫人とともに訪日し、外相会談を行ったほか、京都なども視察しており、以来、日本との関係強化を各方面に強く訴えて続けています。ペトリディス財務大臣(当時)を表敬した際には、内閣府次官当時に日本政府の招聘で訪日した経験は忘れられないと大使館への協力を申し出てくれました。その他にも、国費留学生は勿論、MIRAIプロジェクトクトで訪日した青年達に与えたインパクトは大変大きく、帰国後に周りの家族や友人等に与える影響も大きく、キプロスでは訪日経験の有無は、政府要人を含め、対日感情に大きな影響を与えていることを実感しました。
 キプロスは小国ではありますが、EU加盟国の一国であり、文字通り「親日的」で日本との関係強化を心から願っているフルストドゥリデス新大統領が誕生し、相互に大使館が開館した今、両国の関係強化は、日本の外交、日本経済に確実に資すると確信しています。
 私の在勤中、キプロスに常駐する44カ国の大使の中、女性大使が米、仏、独、伊、豪、印など12名ほどいました。コロナ禍であっても女性大使間の交流だけは継続され、女性大使間の強いネットワークには、国会議長(女性)、UNFICYP長官(女性)、女性の政府高官やビジネス界の代表も含まれ、女性大使であることが非常に有利なキプロス勤務でした。日本には何名の女性大使がいるのか質問されることが多く、答える度に少ない人数に驚かれました。もっと多くの日本人女性大使が活躍する時代が、一時も早く到来することを切に願います。