<帰国大使は語る>「中東の宝石」オマーン


駐スルタン・オマーン国大使 小林利典

 2018年10月から2022年1月まで駐オマーン大使を務めて最近帰国した小林利典大使は、インタビューに応え、オマーンの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―オマーンはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 中東の国オマーンはアラビア半島の角、インド洋に面する国で、国土の広さは日本の約85%、人口は福岡県より少ない約450万人という小さな国です。スポーツ好きの方はサッカー戦で知っておられるかもしれませんが、一般の日本の皆さんには馴染みの薄い国といえるでしょう。しかし、日本が輸入する原油の約9割が通過するホルムズ海峡がイランとオマーンに挟まれた海峡だと聞くと、少し関心が湧くかもしれません。

 オマーンの魅力はまずは何と言ってもその安全にあります。日本では「アラブ」「イスラム」と聞くと「紛争」「危険」といったイメージを持ってしまう人も残念ながら多いとは思いますが、オマーンは極めて治安が良い国で、紛争やテロとは無縁の平和国家です。夜中に一人で歩いていてもなんら危険を感じることはなく、私の皮膚感覚では東京や大阪よりも遥かに安全です。こうした安全性の背景には、過去50年にわたる非常に安定した治世と、中東ではもちろん世界でも珍しい「全方位平和外交」のスタンスを堅持しているという確固たる国の方針があります。オマーンは他国で紛争がある際には解決に向けた「facilitator」としての役割を積極的に果たしてきました。例えばかつてJCPOA(イラン核合意)が締結された際の舞台回しはオマーンが行いましたし、トランプ米政権時代にアメリカとイランとの関係が一層厳しいものとなった際にも、「イランの窓をすべて閉じてはいけない」(外務省高官)とイランとの対話を維持し続けました。またイエメン紛争においても、内戦当事者である「イエメン正統政府」とも「ホーシー派」とも対等に会話ができるのは世界の中でもオマーンのみです。こうした徹底した中立平和外交が、他国との紛争を生み出さず平和を維持している要因となっています。
 他のアラブ諸国が「砂漠の民」から発生しているのとは異なり、オマーンは海洋国家として成り立ってきました。インド洋を越え遠くアジアまで足跡を記し異文化と接してきたDNAのためか、外国人や異教徒には寛容で、また非常に穏やかで謙虚、親切で純朴な国民性も大きな魅力です。
 自然の豊かさと温かい人情、そして安全な環境。この三拍子によってオマーンは「中東の宝石」と称せられています。                  

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 2020年1月、建国の父と国民から慕われ50年にわたってオマーンを統治したカブース前国王が崩御されました。長年病床にあったカブース前国王は各国の新任大使からの信任状奉呈を受け付けておられなかったのですが、平成から令和へと御代替わりする直前の2019年4月末、特例的に私からの信任状の奉呈を認めていただき拝謁しました。「日本を見習え」と号令を出されていたと言われるカブース前国王とオマーン政府の日本への配慮を感じ入る出来事でした。激動の地域にあって半世紀もの間この国を守り育ててきた前国王の奥深い眼力は生涯忘れることができません。私は前国王に信任状をお渡しした最後の大使となりました。
 オマーン国内のみならず湾岸諸国においてもカリスマ的存在であったカブース前国王の崩御は内政・外政においても混乱を生む恐れがあったことから、崩御が間近かという時期においては各国外交団も緊張感をもって情報の把握に努めていました。いよいよという状況になると国軍や治安部隊内部のアラートレベルが引き上げられるので、そういった情報を友好国の大使同士でメッセージのやり取りをするという経験もしました。
 一方、このカブース国王の崩御、ハイサム新国王の即位に当たり、当時の安倍首相がオマーンを訪問されたことは特筆すべき出来事でした。中東訪問中の安倍首相はカブース前国王崩御4日後にオマーンを訪れ、カブース前国王への哀悼の意を表せられるとともにハイサム新国王との懇談を行いました。アジア太平洋地域から唯一の国のリーダーとして日本の首相が弔問に訪れたことをオマーン政府やオマーンの国民は大変感謝し、両国の深い結びつきを印象付けました。極めて短期間の日程調整などに大使館員、応援出張の皆さんは大変なご苦労でしたが、この訪問を成功裡に終えたことは日オマーン関係において極めて意義深かったと感じています。       

(写真)2020年1月14日安倍首相(当時)とハイサム国王の懇談

―オマーンと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 まず経済面から述べますと、貿易関係では、オマーンからの日本への輸出は言うまでもなく原油と天然ガスが太宗を占めます。日本のエネルギー輸入先でみると原油では9番目、天然ガスでは8番目の供給国がオマーンです(2020年)。変わったものではインゲン豆。新型コロナ前までは、冬場に日本のスーパーに出回るインゲン豆の約9割はオマーン産でした。このインゲン豆の輸入は新型コロナ禍に伴う輸送コストの高騰で現在は中断されていますが、事態が落ち着けば再開されることを期待しています。また、日本からオマーンへの輸出は圧倒的に車です。首都マスカット市内を走る車の半分は日本車であり、4WD車が必要な地方の未舗装道路エリアでは8割から9割が日本車です。
 投資関係では、日本企業はオマーン国内の火力発電所、海水淡水化プラントといった社会インフラ事業に積極的に展開しており、オマーン国内発電量の約7割、造水量の約3割は日本企業の投資によるもの。国民生活に大きく貢献しています。
 次に国民感情の面では、オマーンの人々は極めて親日的です。これは車や家電といった優れた日本製品に接していることなどから日本の技術力に対して高く評価していること、また日本が伝統や文化を大切にしていることに敬意を持ってくれていることなどが背景にあります。近年では日本のアニメの影響も大きく、日本大使館がアニメ関連イベントに文化紹介ブースを出したところ、アニメのコスプレをした若者たちが長蛇の列となったこともありました。見ず知らずのオマーン人から「あなたは日本人か。日本は素晴らしい。」と話しかけられたこともしばしば。現国王の祖父が日本人女性と結婚し、生まれた王女が今もマスカットにおられることも影響していると思います。
 今後の日オマーン関係を展望すると、前述した原油・天然ガスの貿易や発電・造水などのプラント事業の維持・強化も当然のことながら、それに加え、経済の多角化への日本の貢献が極めて重要です。アラブの産油国はいずれも同じような状況ですが、オマーンではGDPの6割、国家収入の3割を原油・天然ガス事業に依存しています。原油・天然ガス「一本足打法」では経済と財政の構造的な脆弱性は否めません。オマーンはかかる問題を克服するためにOmanVision2040を制定し経済の多角化を強力に推進する方針を打ち立てています。オマーンにとって最重要課題であるこの経済多角化に日本がいかに参画できるかが今後の両国間の関係の鍵となっていくでしょう。例えば「水素」分野。私は大使着任後、日本で行われた水素閣僚会合へのオマーンのルムヒ石油ガス大臣の招聘を日本側に働きかけて実現しました。幸いなことにそれを機にオマーンの水素への関心が急激に高まった感があり、その後水素シンポジウムの開催、水素研究開発センターの設置など矢継ぎ早に施策が講じられ、それらへの参画やアドバイスを求められました。水素関連の事業プロジェクトも始動しており、日本企業も大きな関心をもって取り組み始めています。技術において日本が世界の先端を切る水素分野において大きく貢献することが期待されます。このほか、豊かな海をもつオマーンは水産資源が豊富で、これに着目した水産事業者の事業開拓を支援してきたところであり、良質で安価なタコや太刀魚などが日本の食卓に並ぶ日が近いことを願っています。また、特産品であるデーツ(なつめやし)の加工品の甘味料・健康サプリ原料としての輸出、インド洋に直接面する地の利を生かした物流事業など、多方面にわたり日本と新たなwin-winの関係を構築できる可能性が広がっていると考えています。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 これは世界各国の日本大使館はどこでも同様だと思いますが、まず第一に新型コロナ禍への取り組みです。オマーンでは出入国に関する規制はもとより、国際空港の実質上の閉鎖、食料品店を除くすべての商業施設の営業停止、夜間外出禁止令、主要道路の封鎖など日本とは比較にならないほどの厳しい措置が矢継ぎ早に実行されました。日本と異なり君主制の国ですからこうした規制の決定は非常に早く、しかも決定から実施までの期間が非常に短いものでした。大使館としてはオマーンの在留邦人の皆さんの不安や混乱を少しでも和らげるよう、情報発信に精力を注ぎました。日本への帰国希望者に特別便を仕立てた際には、出発のギリギリまで航空会社の社長と電話で交渉するなど貴重な経験もしました。また、現地医療機関と交渉し、在留邦人、外国人を含むその家族、大使館現地職員の希望者すべてに、一般より先行してのワクチン接種を実現したことは、もちろん在留邦人が少ないから出来たことではありますが、当時世界のどこの国でも実施していなかったことであり、奔走してくれた大使館員に感謝しております。
 第二に、私がもともと経済官僚であったこともあり、オマーンから種々の経済問題について意見を求められました。オマーンは原油・天然ガス収入に依存する脆弱な歳入構造、多大な補助金支出や公務員給与支出などを背景に近年はほぼ恒常的な財政赤字状態にあります。長年にわたる原油価格の低迷、特に新型コロナ禍初期の頃の原油価格の急落は極めて大きな問題でした。単なる財政難にとどまらず、ひいては中央銀行の外貨準備不足につながる可能性があり、ひいてはドルペック制への影響を指摘する向きもありました。私が赴任中に2度、財政面での協力の打診があり、これを受けて、市中銀行や政府系機関と調整した融資スキームの提案をしました。これは、2021年に入り原油価格が上昇したこと、オマーンの国債発行が順調だったことなどから成立はしませんでしたが、引き続きOmanVision2040の施策に協力する形で日本からの資金がオマーンの今後の国づくりに資することを期待しています。

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

オマーンは日本から遠く離れ貿易投資関係もさほどの規模ではありません。そのため一般の日本の皆さんからもあまり知られていない国の一つでしょう。
 しかしながら前述したオマーン独特の「全方位平和外交」のスタンスは、今後も揺らぐことはなく、将来にわたってこの地域の平和と安定の重心としての特異な役割を果たしていくことは疑いの余地がありません。イラン問題、イエメン問題など中東が抱える課題の解決に向けて我が国がなんらかの貢献を目指すのであれば、facilitatorとしての経験の長いオマーンとの連携が大きな効果を持つことは論を俟たないと考えます。
 加えて、他のアラブ諸国とは一線を画すオマーン人の穏やかさ、謙虚さ、純粋さ、そして日本よりもはるかに安全な社会環境や際立った親日感情など、我が国がオマーンとより深い関係を結ぶにあたっての社会基盤も揃っています。

 結びに当たり、オマーンでの忘れがたい経験をひとつ。家族で山岳地帯をドライブしていた時のこと、細いでこぼこ道の先に小さな村がありました。車を止めて写真を撮っていたら数人のオマーン人がやってきました。先方はあまり英語をしゃべらないのですが、どうも「こっちにこい」と言っているのでついていくと、村の小さな広場にゴザを敷き、家々からコーヒーとデーツと果物を持ち寄ってきてくれました。言葉が通じないのでグーグル翻訳を介した「会話」でしたが、本当に心温まるひと時でした。お礼を言って去ろうとすると、白髭の長老が「今日は泊っていけ」。丁寧に謝辞を述べてお断りすると「じゃあ息子を置いていけ」長老は言葉は通じないまでも私の息子を気に入ってくれたようでした。息子は置いていきませんでしたが、オマーン人の暖かい心根に肌で触れた思いでした。旅人は無条件に三日三晩もてなす、というイスラムの伝統をいまも色濃く残している素朴で愛すべき国、それがオマーンです。
 日本がこの「中東の宝石」オマーンの価値を再認識し、より一層親しい関係を深めることを心より願っております。 

(写真)大使公邸前のクルム海岸の夕暮れ