<帰国大使は語る>爽やかなカリブ海の国・ドミニカ共和国
前駐ドミニカ共和国大使 牧内博幸
2016年7月から2021年10月まで駐ドミニカ共和国大使を務めて最近帰国した牧内博幸大使は、インタビューに応え、ドミニカ共和国の特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。
―ドミニカ共和国はどんな国ですか。その魅力は何ですか。
<非常に住みやすい南国の島国。投資先としても最適>
ドミニカ共和国の最大の魅力は、あらゆる意味で非常に住みやすい国だということです。現在北米を中心に年間約700万人の観光客が来訪していますが、これからも更に増えていくでしょう。キューバの東に浮かぶ太陽と青い海に恵まれた島国ですが、夏は暑いとは言っても常にカリブの風が吹いていて爽やかです。国民性も非常に気さくで、食事も日本人の口に合う豆とか芋を使った美味しい料理が多く、また、パパイヤやアボガド等の果物が豊富で助かります。街に出ると一日中バチャータとかメレンゲ、サルサの音楽が遠くから聞こえてきて、常に気持ちを明るくしてくれます。海辺にゴルフ・コースが沢山あるので、ゴルフ好きにとっては最高な国でしょう。テレワークが可能な人は是非ドミニカ共和国に長期滞在して仕事をしたらどうでしょう。
企業の方々にとっては、米大陸の中心に位置し、北米、中米、欧州、そしてカリブ諸国と自由貿易協定を結んでいるので、良い投資先だと思います。何と言っても国民性が穏やかでデモやストライキなど少なく、企業経営に適した国だと思います。
―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。
<65年間の課題、土地無償譲渡問題の解決>
結果的に5年を超える勤務になってしまいました。長くなった理由は、65年間未解決になっていた日系人の皆さんの土地無償譲渡問題があったためです。2016年9月に着任して、先ずじっくり日系人の方々の話を聞きました。ドミニカ共和国が65年前に約束した土地の無償譲渡が未だ実現していないこと、このことで多くの日系人の方々がずっと苦しみ10名を超える同胞が自ら命を絶ったこと等を聞くに付け、何とか解決しなくてはと思い、着任一年半を経過した頃から行動を開始しました。大統領制の国では、大きな問題は直接大統領に話して解決してもらうのが近道ですから、2018年3月に当時のメディーナ大統領に会って解決策を見つけるようお願いしました。結局同大統領のイニシアチブを充分引き出すことが出来ず、同政権が終わってしまいました。2020年8月にそれまで野党であった現代革命党(PRM)のアビナデル大統領が就任しましたので、同年10月に同大統領を訪問し、二国間の様々な課題などについて協議する中で、この土地問題の解決をお願いしました。具体的には、この問題が解決してないこともあって、日本の首脳は同じカリブ海のトリニダード・トバゴ、ジャマイカ、そしてキューバには訪問したがドミニカ共和国には来ていない等、縷々説明しました。暫し考えてから「牧内大使。土地問題を解決しよう。日系人の皆さんが金銭的補償を希望するなら、その方向で解決策を見つけよう。」と言って、同席した外務省のヌニェス官房長に解決策を見つけるよう指示しました。その後私達大使館員と同官房長他の関係機関の担当者とも交渉を重ね、近く先方政府の決定により土地譲渡に代え金銭補償が行われることになりました。今後土地を受け取っていない45名の日系人の方に順次現金支給が行われる予定です。今回の問題解決に際しては、アビナデル大統領以下、要路の政府関係者の人柄や前向きな姿勢に恵まれた気がします。本当に先方政府関係者には感謝しています。
<琴線に触れるプロジェクト「数学体験館」の活動開始>
2018年3月にメディーナ大統領に土地問題を解決するようお願いしましたが、この問題は65年という長い歴史のある問題なので、そう簡単ではないとは思いました。何れにしても大統領の心を動かさない限り解決しないと思い、ドミニカ共和国の人達の琴線に触れるような協力、具体的には着任以来進めて来た数学体験館の開設と数学振興活動に更に力を入れることにしました。数学はスペイン語圏の人達の最も嫌いな(苦手な)教科です。数学の振興なくして国の真の発展はなく、貧富の問題の根本的解決もないとの考えから、在バルセロナ総領事の時代から活動を共にしてきた東京理科大学の秋山仁副学長の協力を得て、数学の公式や理論を具体的な物(形)にして触りながら楽しく学ぶ数学振興活動を始めました。
日本政府の計画ではないので、日本政府から資金援助を得ることは出来ません。基本的にはドミニカ共和国政府の予算を使って進めてきました。ラテンの国では当然ですが、こちらが思ったようには進みません。先方政府の関係者を褒め称えたり、尻を叩いたりして何とか2018年11月に暫定的に東京理科大と同じ数学体験館をオープンしました。数学体験館に陳列する教具約80個は全て秋山教授の作品で、同教授から寄贈してもらいました。オープニングには秋山教授に訪問してもらい基調講演の他、サントドミンゴ市内の大学などで数回講演やワークショップを実施してもらいました。
<ドミニカ国民が心を躍らせる音楽を通じた数学活動の開始>
同体験館での数学活動を何ヶ月か進めてきましたが、ドミニカ国民の反応が余り良くないので、今度はドミニカ国民が心躍らせる音楽を通じて数学を教えることを考えました。つまり、サルサやメレンゲ、バチャータを聞きながら数学を教えるということです。丁度秋山教授の友人で高校時代に国際数学オリンピックで金メダルと銀メダルをとった、ジャズピアニストでもある中島さち子さんがニューヨークで研究活動をしていたので、一週間程度サントドミンゴに来てもらい、音楽を通じた数学講演やワークショップをしてもらいました。合計二回訪問してもらいました。一回目は中米カリブ数学オリンピック開会式で基調講演等をしてもらいました。ピアノで明るいバチャータやメレンゲの曲を弾いて、何故この和音は心地よく聞こえるのか、それは和音を構成する各音の波長が一致する頻度が多いため等々と、分数を使いながら説明してもらいました。二回目の訪問では国際教育会議で講演・公演をしてもらいました。
現在中島さち子さんは大阪万博のテーマ事業プロデューサーとして、日本の各種団体や教師・学生と一緒にスポーツや芸術・音楽を通じた数学教育(数学の教授法)の研究をされており、今後は同活動にドミニカ共和国の教師や学生が参加することになっているので、数学教育の振興にラテン民族の国民性がどのように貢献できるのか楽しみです。私も日本に居ながらどんな協力が可能か考えていくつもりです。
<アビナデル大統領による数学体験館のリニューアル・オープン>
メディーナ政権の終わり頃、数学体験館を副大統領府傘下の児童・青年図書館に移転することになりました。政府内で予算がなかなか捻出できず結局約一年がかりの移転になりましたが、非常に立派な体験館が出来上がりました。2020年12月にアビナデル大統領の出席を得てオープニング式典が行われ、秋山教授もビデオで挨拶されました。同大統領は、ドミニカ共和国での数学教育の遅れを痛感され、産業発展のためには数学が最も重要との高い意識をもっていましたので、非常に喜ばれ、2020年10月の面会の際には「自分がオープニングを主催しよう」と、この数学振興活動に高い関心を示してくれました。
場所が変わり、また本格的な活動が求められていたので、新たにインストラクターを数名育成する必要性がでてきました。コロナ禍で秋山先生やその他院生などに日本から来てもらう訳にもいきません。来られてもスペイン語への通訳が必要となるので、結局私が教えるのが一番簡単との結論に至って、私自身が秋山教授の書籍やビデオ教材で勉強して、約2カ月かけて数名のインストラクターを育成しました。現在は、3名のインストラクターが来館者に教具の説明をしている他、今後は教育省、国家教員養成院、そして国立教育大学と協力して教員と学生に秋山式数学教授法を教えていくことになっています。また、同数学体験館も中島さち子さんの大阪万博プロジェクトに参加することになっているので、今後日本との関係を含めた国際的活動になることが期待されています。
また、コロナ禍で思うような活動が出来ませんが、これまでの活動の成果としては、来館者の中で特に自閉症の子供たちがリピーターとなり、非常に熱心に学習しているとの結果が出ています。
―ドミニカ共和国と日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。
<低調な両国の経済・人物交流と新任在京大使への期待>
現在ドミニカ共和国には約10社の日本企業があります。そのうち大手企業はワコール一社のみで保税地区で製品生産をしています。その他は全て小さな輸入代理店で、過去に日本の商社に勤めていた方が独立して日本から車の部品などを輸入しています。街では沢山の日本車やオートバイが走り、オフィスでは日本製のコピー機が利用され、カメラはほぼ全て日本製なのに日本企業が少ないのは驚きです。また、人物往来についても、上記の土地問題もあって日本からの要人訪問は殆どありません。また、ドミニカ共和国側からの要人の訪問も殆どありませんでした。
アビナデル政権は、日本との関係を強化したいとして、初めて日系二世のロベルト・タカタ大使を在京大使に任命しました。同大使は、予想どおり日本のあらゆる地域を訪問し、また、日本の企業関係者、文化人等多くの要人と面会するなど積極的な外交活動を行っています。また、アビナデル大統領自身も近い将来日本を訪問して投資誘致を進めたいとしていますから、今後の両国関係の発展が楽しみです。
<台湾から中国への外交関係の鞍替え>
ドミニカ共和国政府は、特に前政権では中国との経済関係に非常に高い関心を示し、台湾から中国に外交関係の鞍替えをしました。国際会議等のマージンで国交のない中国と接触して2018年5月1日に国交を結びました。しかし、アビナデル政権になって、中国との外交、特に経済関係については戦略的重要分野である空港、港湾及び通信分野については中国の投資は認めないと明言しました。中国としては不愉快かもしれませんが、アビナデル政権は今後アジアについては、日本との経済関係をより強化するとの意思の表れだと思います。日本としては、上記のように65年間未解決であった日系人の土地問題の解決に向け勇断を下した同政権との関係を強化するため、具体的計画をもって協力することが肝要と思っています。
―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。
約5年の在任期間中、最後の約2年はコロナ禍で具体的な外交活動は余り出来ませんでしたが、当初3年間は、上記の土地問題解決のための交渉、数学体験館の活動の他、講演活動やテレビやラジオでの日本の広報に努めました。特に、講演は月平均一回行うようにしました。ドミニカ共和国を含めた中南米諸国は、自国の発展のために、日本人の国民性や第二次世界大戦後の日本の教育(サイエンス)や品質管理を基本とした経済発展から多くを学ぶことができると思ったからです。
―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。
結局退官までの41年間外務省にお世話になり、うち31年間は在外勤務でした。また、そのうち13年間は大使館での次席を経験させてもらいました。若い頃は、上司から何時も便宜供与というお客様のアテンド役を命ぜられ、中南米に日本から首相や要人が来ると必ず応援出張で呼び出されて仕事をしました。特に在ペルー大使公邸占拠事件、コロンビアでの邦人人質殺害事件、バルセロナでの邦人が巻き込まれた独航空機墜落事件等、様々な緊急事態対応案件で多くを学ぶことができました。今思えば、最も大事なのは現場であり、現場で何を感じ、何を学び、そして現場に帰って過去の現場での経験を如何に活かすか、これが全てではないかと思います。若い人たちには、便宜供与であってもそれは異なる世界とのネットワーキングであり、全ての経験と人脈が将来必ず生きてくることを信じて、どんな仕事でも前向きに喜んで取り組んでほしいと思います。そういう意味では、外務省は素晴らしい人格陶冶の職場だと思います。