(中国特集)中国と対峙するバルトの小国・リトアニア


元駐リトアニア大使 白石和子

「象の足の裏にいるネズミか、ノミにすぎない」
 これは、中国共産党の機関紙「人民日報」の傘下紙『環球時報』がリトアニアの外交政策を非難した2021年11月22日付け社説の一節である。今、リトアニアと中国の関係が世界の注目を集めている。
 本年(2021年)7月、リトアニアが台湾に「駐リトアニア台湾代表処」の設置を認めたことに中国が反発し、8月10日、中国外務省は、報道官談話で、駐リトアニア中国は大使を本国に呼び戻すとともに、駐中国リトアニア大使の帰国を要求した。さらに、12月初め、中国はリトアニアを税関登録から削除した。リトアニア産品は中国内のマーケットから締め出されることになった。このような中国の激しい反発、対抗策を招いたリトアニアの対中政策、台湾政策は、なぜ見直されたのか?リトアニアのメリットはどこにあるのか?

中国との経済協力枠組み「17+1」
 リトアニアと中国の関係が世界のメディアから注目を集めることとなったのは、最近二,三年のことである。2012年、中国の主導で中東欧・バルカン諸国と中国による経済協力の枠組みである「16+1」(2019年ギリシャが加わり17+1)が創設された。リトアニアは、ワルシャワで開催された第一回首脳会議に、クビリウス首相が参加した。この「17+1」は、中国政府が翌2013年に打ち出した「一帯一路」イニシャテイブの一環である。この「17+1」は、EU諸国と非EU諸国を横断する枠組みであり、EU内部での一体性を損なうことになるとの懸念が当初からあった。筆者は、その懸念について言及する高官がリトアニア内に当時いたことも記憶に残っている。政治的な懸念はあっても、実利面では、特に2014年にロシアが欧州から食料品の禁輸措置をとってからは、中国への輸出増に努力し、中国への輸出は、10倍の316百万ユーロまでに伸びた。輸出入の合計は15億ユーロであった。他方で、台湾との貿易は85百万ユーロにすぎなかった。

香港民主派連帯デモ
 第一回「17+1」から、九年を経て、リトアニア政権が、対中政策を見直すきっかけとなる事件が2019年8月にあった。2019年8月23日のビリニュス市内での、香港の民主派デモと香港の民主派活動家への連帯を表明する集会で騒動があった。この日は、人間の鎖(バルト三国の市民三百万人がビリニュスからラトビアの首都リガを経由して、エストニアの首都タリンまで手を繋ぎ、ソ連からの独立を求める意思表示を行った)三〇周年にあたり、この同じ日に、リトアニアの活動家が香港市民の自由を求めて集会を開いた。この集会にリトアニア在住の中国人が五星紅旗を持って乱入する騒動が起きた。リトアニア外務省は、在リトアニア中国大使館職員が「不法行為の企図に関与した」として、駐リトアニア中国大使を召致し遺憾の意を伝えた。

国家脅威年次報告
 この2019年の事件の前から、既に、中国をリトアニアの国家安全保障の観点から脅威とみなした事例がいくつかあった。2019年2月5日、リトアニアは、国家脅威に関する年次査定報告を発表し、その中で「ヨーロッパにおいて中国の経済的・政治的野心が拡大するにつれ、中国の情報当局と安全保障当局の活動がNATO及びEU諸国のみならずリトアニアにおいて攻撃的になっている」とし、リトアニアに国家安全保障上の脅威を与えている国として初めて中国を挙げた。この時は、在リトアニア中国大使館がこの報告書はショックであると反発した程度であった。さらに、同年7月29日、ナウセダ大統領は、クライペダ港の深水外港建設への中国の投資は国家安全保障の根幹を揺るがしかねないと述べ、さらに、この外交の必要性についての反対意見もあり、環境に大きな影響を与えることからこのプロジェクトを急速に進めることに反対した。8月23日の首都ビリニュスの騒動は、このような経緯を経て、一気にリトアニア社会の中国に対する態度を変えることになった。リトアニア市民は、リトアニア国内で中国が攻撃的で活発に活動していることを目の当たりにし、中国国内で生じている変化にもますます多くの市民が関心を示すようになった。このため、当時の政権(農民・グリーン同盟、社会民主党の連立政権)は、対中政策の見直しを始めた。
 国家脅威認識の公表はその後も続き、本年9月22日、リトアニア国防省が、中国製の5G対応モデルのスマートフォンにセキュリティ上の欠陥やデータ流出の恐れがあると警告し、公共機関や消費者に対し使用に注意するよう呼びかけたことも大きく報道された。

歴史に根差した自由への思い
 リトアニア政府は、チベット問題、新疆ウイグル地区問題、香港国家安全維持法について、従来から中国に対し不信感を持ち、その見解を従来から公にしてきた。リトアニアは、その歴史的経験から「自由を守る」ことの重要さに国民は大きな価値を置いている。リトアニアは、ポーランドと連合国家を形成していた1791年5月3日憲法を採択し、各市民が自由を守る義務を負う基本法を獲得した。この憲法は、米国に次ぎ、そして欧州では初めての憲法であることをポーランドもリトアニアも誇りに思っている。しかし、その後まもなく、1795年ポーランド・リトアニアは、三国分割により消滅した。大国の力の前に屈した。リトアニアは、第一次世界大戦中の1915年ドイツとオーストリアの支配下に移り、戦後、1918年独立を宣言した。その独立も長くは続かず、1940年、ソ連の一共和国となり、再びこの短い独立と自由を失った。その奪い取られた独立と自由を取り戻すため、50年以上闘い続け、そして1990年旧ソ連構成共和国の中でいち早く独立宣言を行った。その独立を経済的、精神的脅迫のみならず、実力行使で阻止しようとしたソ連軍の前にリトアニアの自由を守るために市民が非武装で立ち上がった。戦車のキャタビラ―の下敷きとなった14人の死者、600人の負傷者という犠牲を出してようやく勝ち取った独立と自由である。チベット、ウイグル、香港の市民の状況に敏感でないはずはない。

新政権による外交政策の多様化と「17+1」離脱
 2020年10月リトアニアは、総選挙の結果、祖国同盟、リベラル運動及び自由党による連立政権(保守・中道右派)が成立したところ、この新政権は対中政策の見直しを継続し、リトアニアの外交政策を多様化することを優先する政策をとり、インド太平洋地域において日本のような民主主義、同志国のパートナー及び台湾のような活気に満ちた民主主義の地域を重視する姿勢をとった。この政策に基づき、リトアニアは、オーストラリア、韓国に新たに大使館を開設し、在日大使館の人的、財政的資源の強化を予定している。さらに、台湾に貿易事務所を開設すること及びビリニュスに台湾の事務所を開設することを認めることとした(これは、3月3日発表された)。
 上述の市民感情は、リトアニア国会に強く反映された。2021年2月オンライン形式開催された「17+1」首脳会議は、これまで出席してきた李克強首相に代わって、中国からは習近平主席が自ら議長を務めたにもかかわらず、リトアニアを含む六か国は首脳の出席を見送った。この同じ月に、リトアニア国会の外交委員会等は、中国のウイグル情勢に関する決議案を作成することに合意した(この決議は、5月20日可決)。さらに翌月3月2日、国会は、リトアニアが「17+1」から離脱することを支持する決議を採択した。この時に、ランズベルギス外相は、この北京・東欧間の協力フォーマットはリトアニアに「ほとんど何の利益ももたらさなかった」と発言した。そして、5月22日、リトアニアは「17+1」からの離脱を宣言した。「17+1」の参加国の内、最も多額の中国の投資を受け入れたのは、2000年から2018年までの累計投資額24億ユーロのハンガリーで、第二位は14億ユーロのポーランドであった。リトアニアは、エストニア、ラトビアと共に、約1億ユーロと大きく異なっていた。バルト三国のGDPは、ポーランド、ハンガリーと比して確かに小さく、それを差し引いても、このバルト三国に対する中国の投資額は際立って少ない(注1)。確かにリトアニアに利益をもたらさなかったことは明らかであるものの、リトアニアの「17+1」からの離脱は、経済的な理由ばかりでなく、前述のとおり、現政権の外交政策の帰結であることは明らかであろう。

中国側の激しい反発
 台湾代表処の設置、「17+1」からの離脱、チベット、ウイグル、香港への対応について、中国側は非常に激しく反対した。この台湾代表処の設置は、リトアニアにとっては、ヨーロッパに存在する他の台湾の多くの事務所(注2)と同様に実務的な台湾事務所の設置を許可したことであり、他の欧州諸国と何ら変わるところはないとの立場である。メディアの多くは、リトアニアが「台湾」の名称の使用を許可したかのように報じているが、名称の問題は重要ではないというのがリトアニアの主張である。旧知のリトアニア外交官によれば、リトアニアは、中国側に「一つの中国」政策を守り続けることを繰り返したという。これに対し、中国側よりは、他の国にある事務所は、ずいぶん前に設置されたもので、時代が変わり、今、リトアニアが同じことをすることは許されないと説明されたという。7月20日中国外務省の趙立堅報道官は、「中国は、いかなる形であれ、中国と国交がある国と台湾との公的な往来や、いわゆる出先機関の設置に断固として反対する。台湾当局が『二つの中国』や、『一つの中国一つの台湾』といったものを作り出そうとするたくらみは絶対に達成できない」と反発した。さらに8月10日、「環球時報」社説は「リトアニアのような小国が、大国との関係を悪化させる行動を取る事は度し難いことだ」と批判した。冒頭で引用した社説と共に、中国は、「小国を相手にする」という軽侮の意識が明白に受けて取れる。
 政治学者の櫻田淳氏は、「中国共産党政府が、万事国際関係を『格上。格下』意識で裁断する姿勢を続けると、梅棹忠夫の定義による『西欧』世界(西欧諸国やバルト三国を含む北欧諸国)は、益々、中国との確執を深めるのではないか、これは中華世界と『西欧』世界との『文明の衝突』の相を表す事例であろう」と論評している。

米国・欧州からの支持
 中国から制裁、圧力を受けているリトアニアに対して、欧州議会が、台湾との協力に関する決議を採択し、また、ラトビアとエストニアの国会議員がリトアニアの国会議員と共に台湾を訪問した事例も最近のことである。国会議員レベルのみならず、中国から直接の制裁を受けているリトアニアを「西欧」世界が大きく支持している。12月8日、欧州連合(EU)の欧州委員会は、EUと加盟国に経済的手段を使って圧力をかける第三国に対して、貿易関連の制裁を科せる制度案を公表した。EUは、第三国が経済的な手段を使ってEUや加盟国氏に政策変更を強要することを「経済的な強制」と定義している。この制裁案は、リトアニアに圧力を強める中国の存在が念頭にあることは明らかである。「西欧」世界と中華世界の対立の構図が明確になってきた。
 米国との関係では、11月23日、ランズベルギス外相は、訪米し、米国との間でインド太平洋に関する戦略対話を初めて行った。この対話の中で、米国に対しリトアニアの台湾貿易事務所の設置、台湾事務所のリトアニア設置、リトアニアの在豪大使館、在韓国大使館の設置、在シンガポール大使館設置計画は、リトアニアの一連のインド太平洋、東アジアの共通の価値を有する国々との協力強化政策の一環であると主張した。我が国との関係では、7月3日、茂木外相(当時)がリトアニアを訪問し、リトアニアのインド太平洋地域におけるEUや日米を始めとする同志国の結束を重視する姿勢を評価すると述べた。
 筆者は、在勤時の2014年、ロシアによる事実上の国境封鎖、食品の禁輸により、大きな損害を被った業界があったにもかかわらず、ロシアに対する政策を変えるような国民の声はなく、耐え抜いたリトアニアの国民性を目の当たりにした。ランズベルギス外相は、11月共同通信のインタビューに、「権威主義に基づく力の支配は許容できない」と力強く答えた。

(注1)佐藤俊輔『China Report』Vol.34 諸外国の対中認識の動向と国際秩序の趨勢、日本国際問題研究所、2019年。
(注2)台湾外交部のホームページによれば、リトアニアの他に、オーストリア、ベルギー、チェコ、デンマーク、EU、フィンランド、仏、独、ギリシャ、バチカン、ハンガリー、アイルランド、伊、ラトヴィア、ルクセンブルク、オランダ、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、スペイン、スウェーデン、スイス、英に事務所を開設して入る(2021年12月6日閲覧)。