(中国特集)カザフスタンから見た中国


前駐カザフスタン大使 笠井達彦
(注1)

カザフスタンはユーラシア大陸のど真ん中の中央アジアに位置する。周辺には、本稿のテーマである中国以外にロシア、モンゴル、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、カスピ海を経てアゼルバイジャン、ジョージア、イランがある。日本の7倍の国土に、人口はたったの1900万。そのような国が人口14億の中国の隣にある。両国は強固な政治関係、実務関係、経済面のつながり、「一帯一路」への協力等を有するも、その背景にはいくつかの「ニュアンス」がある。

 「カザフスタンから見た中国」というテーマを検討するには、本来は政治、外交、安全保障、経済、文化、社会等多くの側面から検討すべきだが、紙面の関係もあり、また、既に多くの書籍や論文等があるので(例:「中国・カザフスタン関係の展開と課題 | コロナ禍後の新時代、中国企業はどう動く」 – 海外ビジネス情報 – ジェトロ (jetro.go.jp))、総論についてはそちらに譲ることとし、本稿では筆者が重要と考えるセグメントを、現地で得た意見交換やエピソード等を交えながら、上述の両国関係にある「ニュアンス」を浮き出たせることを主眼にした(注2)。なお、本稿は学術論文ではなく、個人の見解であり、時には脱線しつつ、読者が寝転がりながら読んでいただけるような平易な書き物とした。

1.歴史的・民族的因縁の深さ

 第一に強調しておきたいのは「中央アジア(カザフスタンを含む)と中国・モンゴル(注3)との歴史的・民族的因縁の深さ」である。歴史的に見れば、「中央アジア」には、古よりスキタイ/サカ、フン、チュルク系、匈奴、クシャーナ、大月氏、エフタル、ウイグル、カラハン、漢、唐、金、遼、メルキト、ナイマン、モンゴル系(チンギス・ハン、キプチャク、チャガタイ、ティムール)、ロシア等の民族及び国が駆け抜け・栄枯盛衰した。また、様々な人物が登場し、様々な出来事が起こった。世界史の教科書でおなじみの、例えば、インドの仏教法典を求めた玄奘三蔵が通ったとか、タラス河畔の戦いで中国の製紙技術がイスラム・ヨーロッパ世界に伝わったとか、チンギス・ハンが漢/メルキト族の鉄器製造技術を用いて武器を作りヨーロッパを席巻したとか、ナイマン族がキリスト教(ネストリウス派:景教)を唐に伝えた(注4)等である。筆者は、在勤中に、かつてのユーラシア北方民族を構成していた上述のメルキト、ナイマン、コンラット、ケレイ等の多くが現代カザフスタン社会で今なお重要な社会構成要素である「大中小ジュズ」(氏族)の中に残っているのを知って驚くとともに、中央アジアと中国・モンゴルとの歴史的・民族的因縁が現代にも続いていると確信した次第である。

 脱線するが、ユーラシア大陸のこの地に初期に定住した上記の「サカ」族は大した民族だった模様で、金細工に長け、全身が黄金に包まれた「黄金人間」をあちこちに残し、現在は有名な遺跡となっているが、筆者のキルギス時代の酒飲み友達の民族・民俗学者は、‟旧約聖書にはスレイマン山等の中央アジアの地名が登場しているので、旧約聖書を書いたのはユダヤ人ではなくキルギス・カザフ人”とか、“最初の男性「アダム」はキルギス・カザフ語で「大人の男性」を意味する名詞で、女性「イブ」はキルギス・カザフ語の「イジェ」(「年配の女性」を意味)がなまったもので、最初の人間もキルギス・カザフ人”とか、“お釈迦様「シャカ・ムニ」は「サカ族の王子」なので、仏教の開祖もキルギス・カザフ人”とか、“日本の神道は中央アジアの土着信仰のテングリアン教だった”とかを宣う。ここまで来ると、もう何が何だかわからなくなってくるが、全くの嘘とまでは言い切れないところが、中央アジアの不思議さである。

 これ以上深入りすることはしないが、本稿読者には、まずは、中央アジアと中国が表裏の関係を歴史的・民族的に有しているということを認識していただきたい。

 この関連でもう一点指摘しておきたいのは、民族的混住は現在も残っていることで、今でも約150万人のカザフ人が中国に在住しており(新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州ほか)(注5)、逆にドンガン族(イスラム教を信奉する漢民族)がカザフスタンやキルギスに数多く在住している。なお、中国新疆のウイグル人同化問題が世界の耳目を引きつけているが、中国在住カザフ人に対する同化も同様に行われている由である。筆者が意見交換したカザフスタンの専門家によれば、カザフ当局はそのカザフスタン帰還を慫慂するも、そのカザフ人が中国にいる限りは中国内政問題と認識し、新疆ウイグル人の中国同化問題も同様と認識しているとの話であった。

(参考1)12世紀終わり頃のユーラシア大陸
(出典)亜細亜が好き!|地図|モンゴル帝国のユーラシア支配 (sakura.ne.jp)

(参考2)カザフスタンにおける大中小ジュズ(氏族)(以下は筆者による聞き取り調査。なお、上記参考1に記載の民族とのDNA的つながりは未検証)

●大ジュズ(アルマティ、シムケント付近に多く在住)=シャプラシトゥ(ナザルバエフ初代大統領)、 ドウラト、コンギラット、ジャライウル、スアン、シルゲトィ、アルバン、ウイシプ
●中ジュズ(東カザフ、北カザフ、カラガンダ、ヌルスルタン付近に多く在住)=アルグゥン、メルキト、ナイマン、ケレイ(中国新疆、モンゴル付近に多く在住)、ウアク(キプチャクゆかり)
●小ジュズ(西カザフ付近)=アダイ、シェルケシ、ベリシュ、エリムル、バイウル
●その他(正確にはジュズに入らない)= トレンギット(チンギス・ハンゆかり)、トレ(同じくチンギス・ハンゆかり)、コジャまたはコンジャ(ムハンマドゆかり)、スナク(同じくムハンマドゆかり)、ドンガン(漢民族でイスラム教信奉)

2.カザフスタンの中国への眼差し=畏怖心

 二番目に見ておきたいのはカザフスタンが中国をどのように感じているかである。独立後=ソ連崩壊後、カザフスタンは全方位外交を展開している。ただ、全方位外交とは言っても、カザフスタンとしての優先順位はあり、やはり最重要の外交相手は「ロシア(+ユーラシア経済同盟諸国)+CIS」と「中国(+上海協力機構諸国)」である。カザフスタンはこのロシアと中国との間で最高レベルを含めて政治・実務交流を常に意識し、努力を欠かさない。そして、その他の国々はバランサーである。筆者がカザフ在勤中に感じたのは、カザフスタンは中露の二つのシーソーの中央に立ち、時と場合に応じて欧州、米国、日本、韓国、他の中央アジア諸国をバランサーとして使い、カザフスタンの利益の最大化を目指しているという点である。その意味でカザフスタンの外交はしたたかである。

 だが、最重要パートナーであるロシアと中国を更に注視していくと、両者で違いがある。ロシアについてはしばらく前まではソ連という共通空間を有し、現在もユーラシア経済同盟やCISを形成しているので、カザフスタンはロシアがやることを概ね予想・理解出来るし、そこに恐怖心は感じられない。他方、中国については重要という感情と同時に、中国人が大挙してカザフスタンに押し寄せるかもしれない、中国資本が金に糸目を付けずカザフ経済を買ってしまうかもしれない、他の近隣中央アジア諸国で起きた対外債務の罠にはまり土地をとられるかもしれない、中国人の微笑みの裏に何が隠れているか分からない、中国に呑み込まれるかもしれない等の恐怖心も感じられる。これを背景に中国に対する用心深さや慎重さも見え隠れし、場合によっては、このままじゃ危ないとカザフ当局または国民が感じる場合には、「揺り戻し」が見られる。そのような「揺り戻し」のエピソードをいくつかご紹介する。

 一つ目のエピソードはカザフスタンの土地自由化に際するものである。ソ連崩壊後に制定されたカザフスタン憲法では、土地は国有だが、別途の土地法により個人の土地所有が認められる形となっている。ただ、土地法は対象・目的等を限定して特定の場合にのみ個人の土地所有が認められる形となっている(その意味でカザフスタンの土地改革はロシアのそれよりも遅れている)。2015年末に土地法が改正されたところ(農地競売と外国人に対する土地の賃借期間25年までの延長)、翌年春にカザフスタンの地方都市で国民が中国(人)によるカザフスタンの土地の所有・占有を危惧し、反対集会を開催し(実際、中国農民や企業がカザフスタン内の土地を購入・場合によっては中国系カザフ法人・カザフスタン在住ドンガン人を通じて土地を購入・囲い込む例があった模様)、この動きは直ぐにカザフスタン全国に広がった。この結果カザフ当局は後退し、2016年5月には同法律施行の5年間猶予を決定した。以上は上述の中国は怖い・このままじゃ危ないとカザフスタンが感じる場合の揺り戻しの一例である。なお、この猶予決定の5年後である今年5月に「国民の声を反映した改正法」が制定されたが、種々の問題も予想されている。

 二つ目のエピソードは、首都ヌルスルタン市におけるLRT(Light Rail Transport)建設プロジェクトを巡る動きである。2005年にナザルバエフ大統領(当時)の発意で首都アスタナ市(現ヌルスルタン市)におけるLRT整備プロジェクトが開始された。当初は首都の一般交通網約60kmを整備することで検討されたが(当初は仏政府・仏企業が強い関心を示した)、その後の複数回の習近平・ナザルバエフ・トップ会談により、同プロジェクトを一帯一路プロジェクトとして建設することとなり、中国企業による建設、中国開発銀行による資金16億米ドル提供が合意された。2015年に工事が開始された後に種々の問題が指摘され(高架にする必要なし、駅数が多すぎる、市内終着点からの他の公共交通機関への連結がない、採算が取れない等)、また、不正・腐敗疑惑も出てきて、2018-19年に工事が頓挫し、結局、首都のあちこちで建設途中で野ざらしになったLRT高架が残されている。これも、上述の中国は危ないとカザフスタンが感じる場合の揺り戻しの別の例である。

(参考3)ヌルスルタン市で野ざらしになっているLRT高架建設現場

Photo CABAR.asia

 三つ目のエピソードは、筆者がかつて在勤したキルギスとの比較で見ると(その意味では正確にはエピソードと言えないかもしれない)、キルギスでは中国系の零細・小規模ビジネス(中華料理店とか小売等)が数多くあったのに対し、カザフスタンではエネルギー等の大ビジネスはあっても(カシャガン油田開発への中国企業資本参加、シムケント製油所等、トルクメニスタンから中国広州市への天然ガス・パイプライン、カザフスタン経由鉄道「シルクロード・ランドブリッジ」企業及びホルゴス自由区での流通商業ビジネス、中国車等販売ビジネス(カザフスタンの至る所で中国製乗用車、トラック、バス、建機が走っている))、中国系の零細・小規模ビジネスは少なかった。これは、ひょっとして、カザフスタンが中国の一般小規模ビジネスの進出を抑制しようとしている結果なのかもしれない。

3.「一帯一路」構想;カザフスタンの前のめり感

 以上のようにカザフスタン側に中国に対する根強い畏怖心と慎重さがあるのとは異なり、中国の一帯一路構想(陸路部分)に対しては、カザフスタンは極めて積極的(前のめり)である。ご承知の通り、一帯一路構想は、2013年に習近平がカザフスタン訪問の際に打ち出したもので、中国は欧州への鉄道輸送においてカザフスタンを要所として位置づけ、欧州へのコンテナー輸送列車「中欧班列」の運行数を急増させている。カザフスタンは国境にホルゴス自由港を設置し、国内鉄道網を整備し、中国の連雲港を租借している。

 このようなカザフスタン側の前のめり感は不思議ではない。同構想はカザフスタンにとって最重要課題である「海への出口の確保」に直結するからである。資源輸出を重要とするカザフスタンにとり、その輸出経路の確保は最重要である。海の無いカザフスタンでは現状でいずれかの国の港湾まで資源を鉄道で輸送し、その後は海運とするのが最も現実的である(エネルギー製品の一部はパイプライン、トラック、航空輸送もあるが、それぞれ制約あり)。その意味でカザフスタン側に迷いはなく、「光明の道;カザフスタン2050戦略」と重ねてこれを実現しようとする。その意味で、2013年の習近平による「一帯一路(鉄道部分)」構想は「渡りに船」であった。

 脱線するが、鉄道輸送は海上輸送に比して輸送日数は短いが、コストが高い。筆者は10年前、日本から欧州物流拠点である独ブレーメンハーベンまでの自動車一台あたりの輸送コスト等を調査したことがある(注6)。その結果は、南回り航路(インド洋・スエズ運河経由またはアフリカ喜望峰周り;50-60日間の輸送期間(以下同様))及び北極海航路(25日間;冬季は利用不可)の自動車1台あたりの運賃は約500-600米ドル/台と安価なのに対して、シベリア鉄道経路(20日間)は2200米ドル、シルクロード・ランドブリッジ(18日間)は1800米ドルと高かった。輸送はどのような製品か、仕向地がどこか、一回限りの輸送か定期的な輸送か等で結果は異なり(航空便の可能性もある)、変数が多すぎるので最終判断は難しいが、「鉄道輸送は海上輸送よりもコストが高い」との結論は間違い無いと思う。そのコスト差によりカザフスタン経由のシルクロード・ランドブリッジが今後如何に便利になろうと、海上輸送への需要は常に存在するというのが10年前の結論であった。また、上記調査は海上輸送が必ずしも必要ない中国企業の欧州への輸送の場合はどうかと考え、追加調査したところ(調査数は限定的)、中国沿岸部にある企業が鉄鋼材といった製品を欧州に輸出する場合、運賃の安い海上輸送を使い、中国内陸にある企業はケースバイケースで海上輸送かカザフスタン経由シルクロード・ランドブリッジかのいずれかを選択する由であった。

 上記は10年前の調査であるが、今でも「鉄道輸送は海上輸送よりもコストが高い」との結論は有効と推測しつつ、それをカザフスタンに当て嵌めてみると、もともと鉄道輸送しか選択肢がないカザフスタンは不利で、国際競争力を保持するために資源の輸出価格を下げるしかない。更に、海上輸送の場合には一隻で数万トンの貨物を運搬できるのに対し、鉄道輸送の場合には、一両の貨車に60トンを積んで50両編成としたとしても最大3000トンの貨物輸送しかできない。その点でも資源輸出に頼るカザフスタンにとって不利である。筆者としては、コロナ禍に起因する世界経済悪化によりシルクロード・ランドブリッジの採算性がどうなっているか、カザフスタンにとり不利な状況が出来ているのではないかと危惧している。

 もう一点付記しておけば、中国からカザフスタンに入ってくる鉄道貨物は全てが欧州に行くわけでない。カザフスタン鉄道省関係者によれば、中国からカザフスタンに入ってくる貨物の50%は北上しロシア経由シベリア鉄道で欧州に輸送され、残りの50%はカザフスタン国内向け、ウズベキスタン・トルクメニスタン、キルギス向け、少量がカスピ海をフェリーで渡り、アゼルバイジャン、イラン、ジョージア等に運ばれるとの由であった。

4.カザフスタン政治に対するインプリケーション

 筆者はかつてユーラシア中央でのチンギス・ハンのナイマン、メルキト、ケレイトほかとの攻防を追ったことがある。そこで分かったのだが、あの当時の戦いは、日本のサムライ的な「主君のためなら命を捧げる」とか「主君と最後まで戦う」と忠義立てるのは側近や上級武将のみで、その他は戦場で剣を振り回すと同時に戦いの趨勢を常にフォローし、最終的に勝ちそうな側に付くということをやっていた・・・だから、昨日まで戦場で刀を交えていた敵の武将が朝になると配下の兵士とともに自分の陣に来て、その後は敵と戦う・・・・やがて、寝返った武将・兵士で自分の軍が大きくなった時に大将は勝利宣言し、敵大将は自軍の自滅で負けを認識し、敗走する、ということが戦いのパターンであった由である。

 このようなことを考えていたら、「あれ、これって今のカザフスタンみたいだな!」と思い始めた。現代のカザフスタンでも、諸問題が発生する時にリーダー達がそれぞれ自分の意見を主張するが、中間層以下は当面はだんまりを決め込み、何らかのきっかけでいずれかのリーダーの意見が大勢を占めると思ったら、賛同し、物事がようやく回り出す。筆者のこの観察が正しければ、カザフスタンの外交姿勢も同様である。おそらく、カザフスタンは、現在の国際政治の中で中国側が大勢を占めるか、ロシア側が大勢を占めるか、あるいは、欧米が大勢を占めるかを見極めようとしている・・・・逆に言うと、それまでは、玉虫色的などっちつかずの対応をとる、ということが起きる。それがナザルバエフ初代大統領が打ち出し、トカエフ大統領が継承している「カザフスタンの全方位外交」なのであろう。

 最後にもう一度脱線する。筆者がキルギス時代に知り合った社会・民族学者は、飲み会の席で、同じチュルク系のキルギス人、ウズベク人、カザフ人の違いを説明しつつ、「遊牧民族であるキルギス人にとって重要なのは家族、家畜、友人であり、土地の重要性は二次的であった。だから、中国との国境交渉の際に固執しなかった。農耕民族であるウズベク人にとっては土地がまさに重要で、しっかりとした法律や契約書で土地を守った。カザフ人はその中間で、その時々のアクサカル(長老)が行った色々な判断をその時の民衆が支持するかどうかだ。」と表現していた。上記は言い得て妙である。2019年に就任のトカエフ大統領はこれまでナザルバエフ初代大統領が敷いた大きな方針に追従している。しかし、何らかのきっかけでトカエフ大統領がこれまでの方針から逸脱するかもしれず、その場合にカザフの官僚組織、社会がどちらを支持するかで、社会が大きく変動するのであろう。アクサカル(長老)の意見は今でもカザフ社会を左右する。

5.おわりに

 以上思いつくところをつらつらと書いてきたが、書けば書くほど、歴史・民族面では曖昧な知識、経済社会面ではコロナ禍の影響を含めて最近の状況についての知識が欠如した状態で書いたことを痛感している。もし、読者の皆様から別の視点、最近の情勢等につき筆者に教えていただけることがあれば、嬉しいと感じている

(注1)筆者は外務省及びアカデミアで一貫してソ連/ロシア経済移行をフォローし(専門は「旧ソ連社会における貨幣流通論」)、欧州開発銀行(EBRD)で移行期経済への投融資に携わったこともある。また、一橋大学・九州大学での客員教授も務めた。

(注2)本稿執筆依頼時に筆者は退官しており、それまでの諸資料を処分済みの状態で執筆する本稿が、果たして国際関係を描写するのに十分かという点に不安を感じるものの、アカデミア的手法ではなく実務経験等で取り纏めた本稿が、従来とは異なる新視点を読者に提供できるかもしれないと思った次第。中央アジアではキルギスに2005-08年、カザフスタンに2019-21年に勤務。本稿にはカザフスタンのみならずキルギス在勤中に得たエピソードも付け加える。

(注3)中央アジアの歴史・民族を考える際にはモンゴルを避けて通れないので、本稿ではこれらを含めて論を進めることがある。

(注4)唐に景教(ネストリウス派キリスト教)を伝えたのはソグド人との説もある。空海が唐の長安での留学中に仏教寺院のそばに景教寺院「大秦寺」があり、空海は同寺院の僧の影響を受け、真言宗がより独特の色彩を帯びたとの説もある。

(注5)モンゴルにも西部バヤン・ウルギー県を中心に約11万人のカザフ人が在住しており、カザフ文化・社会を色濃く継承。

(注6)同調査は元々17年程前に経産省が行ったもので、筆者は10年ほど前のEBRD勤務時に日本の輸送業者や日本・中国企業にリモート・ヒアリングしつつ発展させたもの