(中国特集)イタリアから見た中国
駐イタリア大使 大江 博
中国に対する国際社会の眼は、最近急速に厳しくなっている。米国は、トランプ政権以降対中姿勢を硬化させたが、それは、バイデン政権になっても維持されている。人権、民主主義といった問題については、バイデン政権になって、中国に対して、より強い態度で対しているとさえ言えるだろう。EUは、国により、差はあるものの、米国に比べると、中国に対し、より融和的であったと言える。2020年末に署名された中国-EU投資協定は、2022年には批准される予定であったが、2021年5月には、欧州議会が、同協定の批准に向けた審議を一時凍結する事を決定した。EUによる新疆における人権侵害に関する制裁に対して、中国政府が欧州議会議員等に対して報復制裁を発動したことがその大きな理由である。この様な決定が行われた事自体、最近のEUの中国に対するスタンスの硬化を象徴するものであろう。
その様な中で、イタリアは、他のG7のメンバーに比べて中国寄りだと見られる事が多かった。その様な見方が定着したのは、特に、2019年3月に習近平主席がイタリアを訪問した際に、G7のメンバーとして初めて「一帯一路」の覚書に署名して、翌月には、当時のコンテ首相が、第二回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムに参加した時であった。(なお、公平のために記せば、同「一帯一路」フォーラムの開幕前日には、コンテ首相は、安倍総理(当時)をローマで迎え、その際、コンテ首相からは「自由で開かれたインド太平洋」に対する支持が表明され、両首脳は、その維持・強化のため具体的協力案件の形成に向けて連携していくことで一致した。但し、「自由で開かれたインド太平洋」という概念は、特定の国を念頭に置いたものではないというのが、日本政府の公式見解であり、イタリア政府が、「自由で開かれたインド太平洋」を支持出来るという事を言う時に、この概念は特定の国を念頭に置いたものではないので支持出来るとわざわざ言う事が多いのは興味深い。)
中国は、その時点で、かなりのEU諸国との間で「一帯一路」の覚書を結んでいた。中東欧各国は、中国との経済関係強化を狙い、中国との間の経済協力枠組みを推進するとともに、「一帯一路」の覚書に署名していた国も多かったし、ギリシャ、ポルトガル、マルタといった国も、「一帯一路」の覚書を中国と結んでいた。しかし、G7のメンバーとして初めてイタリアが「一帯一路」の覚書を結んだ事は、日本を含む国際社会から衝撃を持って受け止められた。中国は、経済的に弱い国との間から覚書を結んでいたので、経済の停滞が続き、巨額の政府債務を抱えていたイタリアが狙われたのであろうし、イタリアから見れば、中国資本の誘致、中国市場へのアクセス拡大は魅力のあるものであり、中国市場への進出を進めるドイツ等他の欧州諸国と比較しての遅れを挽回する意図もあった。また、当時のコンテ政権は2018年の選挙で躍進した「五つ星運動」(M5S)を中心とする政権であり、反エスタブリッシュメントを売りにする同党の特に外交上の経験の少なさを中国がうまく利用した面もあったのかもしれない。勿論、イタリア政府は、「この覚書は、他の国が結んだものとは違い、色々な条件をつけて、中国の勝手にはさせないようにしてある」と弁明していたが、ジェノバ、トリエステ等のイタリアの主要港のインフラ整備に中国企業が参画する事や両国が共同で資源探査を行なうといった事が含まれており、多くの国を納得させることにはならなかった。いずれにせよ、こうした覚書を結んだが、その後、コロナ禍の経済、貿易の停滞もあり、覚書に基づく具体的な成果は上がっていない状況である(同「覚書」に関する現在のドラギ首相の発言については後に述べる。)。トランプ政権時の駐イタリア米国大使は、私に対して、「ディ・マイオ外務大臣から、米国は、いつから、イタリアの対中政策にそんなに懐疑的になったのかと聞かれたので、イタリアが中国と一帯一路の覚書を結んだ日からだと言ってやった」とよく言っていた。
そんな中、イタリアでは、他のEU諸国に先駆けて、コロナウイルスの感染が広がった。当初は、中国から持ち込まれたウィルスという事で、米国等で見られるヘイトクライム程ではないものの、中国人を中心として、アジア人に対する差別も見られた。イタリアNo.1と言われるサンチェチェリア音楽院が、「当面、アジアからの留学生のレッスンを中止する」と発表したとの報道まで出た。音楽院はその後、報道を否定したが、一時、中華レストランには客が入らず、日本レストランまで客足が遠のいたという事もあった。
しかし、そうこうしている内に、北イタリアを中心にコロナウイルスの感染が急速に広がり、ベルガモ等では、正に、医療崩壊と言われる状況となった。その時に真っ先に支援を申し出たのは中国であった(なお、イタリアはEUに助けを求めたが、ドイツやフランスは医療防護具の輸出禁止措置をとるなど、EU各国は自国内の対応に必死でイタリアを助けられなかった。)。中国から大勢の医療チームが到着し、北イタリアで医療活動に従事した。また、人工呼吸器からマスクに至るまで様々な支援物資が届き、コンテ首相(当時)は、全面的な感謝を表明した。その時点では、イタリア人全般に中国からの支援は好意的に受け止められたと言って良いであろう。
しかし、その後、中国からの支援物資に不具合が多く見られたこと、そして何よりも、中国政府がイタリア政府に対して、公式に感謝の意を表明するように要請していたという事や、イタリアの市民が地元医療関係者に感謝している様子が、中国人医師団に謝意を示しているかのように編集された「フェイクニュース」等の偽情報の存在(例えば、ツイッター等で中国のナラティブ拡散用の多くの不明なアカウントが作成され、そうしたアカウントから「#ありがとう中国(Grazie China)」等のつぶやきが拡散された)が明らかにされるや、中国に対するイタリア人の国民感情は一気に悪化した。
また、その後、ドイツが北イタリアのコロナ重症者を自国に搬送して治療に当たったり、EUもフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長が「イタリアが最も必要としていた時には誰もいなかった。したがって、全欧州を代表して心より謝罪する」旨を発言し、その後、巨額の欧州復興基金への創設が合意され、イタリアがその最大の受益国となったことも、イタリア世論において親EU感情が促進され、中国からの協力の必要性を薄める効果を持った。
また、経済安全保障の分野では、2019年3月の緊急政令により、「ゴールデンパワー」と呼ばれる民間企業への政府の介入権を強化し、EU外に本社を置く企業が5G事業でイタリアと契約する場合、国家安全保障上の脅威と看做されれば政府が介入できるようにはなっていたが、同年12月にイタリア両院国家安全委員会が5Gへの中国企業関与につき警告した時には、翌月、経済振興大臣は、「5Gの安全性を保護するが、誰にも門戸は閉めない」とし、特定企業を排除しない旨明言した。したがって、2020年7月、通信大手テレコム-イタリアが5G用の機器を巡り入札からファーウェイを除外すると発表した時は、驚きを持って受け止められた。こうした背景には、特に米国からの強い巻き返しがあったのではないかと考えられる。
本年2月、コンテ前政権が連立与党内の内紛で瓦解した後、マッタレッラ大統領は前ECB総裁のドラギ氏を首相候補として指名し、ほとんどの主要政党が参画する大連立政権としてドラギ政権が誕生した。「大西洋主義」と「親EU」を政権の基本方針として掲げるドラギ政権になり、コンテ政権の頃より明らかに中国に対する見方は、より厳しいものとなっているが、その背景としては、欧米と歩調を合わせる伝統的なイタリア外交に大きな方向性が戻ってきたことや、一帯一路に潜む中国側の隠れた意図に対する認識が高まったこと、5G等の経済安全保障上の問題が認識されたことがあるが、それに加えて、香港情勢、新疆ウイグル情勢、更にはミャンマー情勢に対する中国の態度に対する反発が非常に大きいと感じられる。(なお、新疆における人権侵害については、前述のとおり、EUによる制裁が発動された直後に中国からの対抗制裁が発動されたが、イタリア外務省はこれに対し駐伊中国大使を外務省に召致し抗議を行った。また、議会においても、下院外務委員会が、新疆ウイグル自治区における少数民族ウイグル人の抑圧等の人権問題を中国との関係で最優先事項とすべきと政府に求める決議を可決した。)
ドラギ政権は、具体的な行動としても、本年4月に中国によるミラノの半導体企業の買収を阻止する等、複数の中国による投資を止めている。さらには、本年のG7において、中国への厳しい認識がG7各国で共有されたことは記憶に新しいが、その際の記者会見において、「一帯一路」覚書について問われたドラギ首相は、同覚書を「慎重に検証していく」旨発言した。
問題はドラギ首相がいつまで首相職を続けるかであるが、就任時は、来年1月に退任するマッタレッラ大統領の後継大統領となるまでの短期になるのではないかと見る向きも多かったが、中国問題を含む地政学的な変化への対応や巨額の欧州復興基金の活用をうまくマネージできるのは、ドラギ首相以外にいないとして、少なくともドラギ首相の首相としての任期が切れるまでの続投を求める声が大きくなってきている。多くの人が「マッタレッラ大統領の後任候補者は大勢いるが、ドラギ首相の後任候補者は誰もいない」と言う言い方をするのが象徴的である。
本年2021年は、イタリアはG20の議長国であり、G7で最大のテーマとなった中国問題について、いかにG20において引き継げるかが一つの焦点となる。G20は中国を含めたフォーラムなので、合意を得るのはより難しいが、ドラギ首相の議長としての手腕が問われる。
今後のイタリアと中国の関係を占うに当たって、留意すべき点の一つとしてあるのが、ポストコロナの経済再建の中で、イタリアのGDPの10%以上を占める観光についての中国の扱いである(なお、コロナ禍の中で昨年の「伊中観光・文化年」は散々なものとなったが、両国間では来年を再度観光・文化年と位置付ける考えであるようである。)。現在、イタリアを始め、EUは、ワクチン・パスポートの導入により、観光客を回復しようとしている。EU諸国の中には、中国のワクチンをワクチン接種プログラムに取り入れている国もあるが、EUがワクチン・パスポートの対象として認めているのは、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ、ジョンソンアンドジョンソンの4つのワクチンのみであり、イタリアもまた、これらの4つのワクチンのみをワクチン接種プログラムに組み入れている。観光客誘致及びインバウンド需要で中国に大きく依存してきたイタリアがこの問題にどう対処するかは、注目すべき点である。中国は、中国のワクチンを打った者にのみ、入国制限を緩和しようとしているが、この問題は、単にEUと中国との関係に留まらない。EU内にも中国のワクチンを接種している国はあるし、途上国を中心に中国のワクチンを接種している国は多い。これらの国の中国ワクチン接種者を移動制限との関係でどう扱うかは、特に、観光業への依存度の高いイタリアにとっては、頭の痛い問題である。