(中国特集)アンゴラから見た中国


駐アンゴラ大使 丸橋次郎

はじめに
 筆者のアンゴラ在勤は初めてだが、外務省入省後、駆け出し外交官として在ポルトガル大使館に勤務していた1980年代後半、アンゴラが在ジンバブエ大使館の兼轄時代に首都ルアンダに出張したことがある。当時は、未だ東西の代理戦争のひとつの舞台となっており、キューバ兵が駐留する内戦の最中であった。
 しかし、内戦終結に向けての調停活動も活発化する中、早晩達成されるであろう和平も見据え、日本政府としても、石油をはじめ天然資源が豊かなアンゴラにそろそろ本格的にアプローチする機会ではないかとの思いで、本省担当課長が来訪、アンゴラとの本格的接触が始まった時に筆者は通訳として立ち会うことになった。
 当時のルアンダには、既に主要商社やメーカー等の日本企業の駐在員が在住しており、これらの方々から異口同音にいつ大使館が開設されるのかとの期待が表明されたのを覚えている。
そして今回、30年余りを経て昨年10月末に赴任した。コロナ禍という異常事態とは言え、ルアンダの邦人駐在員が当時より大きく減っているのは、大使としてのみならず、ルアンダの一在留邦人としても寂しい思いがする。
 今やアフリカもアフリカ開発会議(TICAD)を通じて、年々日本にとり近くて重要な存在になっているとは言え、その中で、ポルトガルの旧植民地であるアンゴラは、英・仏語圏諸国に比して、独立が10年以上遅れ、その後も内戦が断続的に2002年まで続いたこともあり、種々遅れをとってきた。また、公用語がポルトガル語ということも、日本人(企業)にとっては疎遠の一因になっており、多くの日本人(企業)にとり、引き続き遠い存在であることは否めない。

アンゴラ・中国関係の始まり
 対ポルトガル独立戦争を戦ったアンゴラの3つの解放戦線(MPLA、UNITA、FNLA)は、それぞれ民族的基盤が異なったこともあり、共に手を携え国造りすることができず、1975年11月、首都ルアンダを押さえていたMPLAが独立を宣言するも同時に本格的な内戦に突入した。MPLAはソ連、キューバを中心とする社会主義ブロックから、UNITAは南ア、中国(独立戦争時はFNLAを支援)、FNLAは米国から、それぞれ支援を受けた。中国がUNITAを支援したのは、ソ連が支援するMPLAが政権に就くのを阻止しようとの思惑があったからと言われる。
 こうした東西関係を中心とする複雑な国際情勢により、アンゴラが中国と国交を樹立したのは1983年に至ってからだ。本格的な政府間協力が始まったのは1990年代、東西関係の消滅に伴い、ソ連や東独等の社会主義国からの支援が途絶えた時であった。2002年の内戦終結後は、復興資金に対するアンゴラのニーズと中国の資源需要が合致し、アンゴラ産原油を担保にした中国による、いわゆる「アンゴラ方式」と言われる借款が始まり、アンゴラは今やアフリカの中で対中債務残高が最も多い国となった。

アンゴラ・中国関係の現在
 筆者の手元にある最新の統計におけるアンゴラと中国の経済関係は次の通りである。
[貿易]中国が最大の原油輸出先国(全体の約71%)で最大の輸入相手国(全体の約15%)

出典:アンゴラ中央銀行(BNA) 2021年  出典:アンゴラ中央銀行(BNA) 2021年

[債務]2021年上半期時点での公的対外債務残高(約505億ドル)中、対中国が約43%(約217億ドル)

出典:アンゴラ中央銀行(BNA) 2021年上半期

[在留企業・在留中国人]約200社、約2万人(二重国籍を含むポルトガル人以外では最大)(当国駐在大使の発言) 
[直接投資]2019年時点でアンゴラは、アフリカでコンゴ(民)(約9.3億ドル)に次いで第2位の投資先国(約3.8億ドル)(中国商務部 2020年)。
[主なプロジェクト] ルアンダ新国際空港建設(約56億ドル、2023年開港予定)、カクロ・カバサ・ダム建設(約45.3億ドル、完成後はアンゴラで最大の水力発電となる)、カビンダ州カイオ深海港(約8億ドル)、クネネ州干ばつ対策事業(合計約5億ドル、中国企業4社による水運システム、ダム、パイプラインの整備)。

 アフリカの中で中国のプレゼンスが大きいのはアンゴラに限った話ではない。筆者が以前在勤した同じポルトガル語圏のモザンビークでは、空港にはじまり、大統領官邸、外務省等の建物やアフリカ最長の吊り橋は中国の企業の建設であったし、エチオピアのアフリカ連合(AU)本部も中国の建設による。こうした光景はアフリカではすこぶる当たり前である。アンゴラでは現在、首都ルアンダ市内には中国企業によって建設された特段目立つ公的建造物はないが、郊外には中国が建設したサッカー場や国営テレビ局の大きな放送局がある。おそらく数年後には中国企業によって建設されたルアンダ新国際空港が開港しよう。
 アンゴラ政府は中国との関係をどうみているか。前述のとおり、東西冷戦終了後に東側諸国をはじめ国際社会からの支援が減少した中で中国が果たしてきた役割は大きく、中国がアンゴラの特にインフラ整備に果たしてきた貢献には感謝している。ただ、2014年以降の原油価格の低下で事情が変わった。原油価格の下落で債務返済に使用する石油(外貨)が多くなり、台所事情が苦しくなってしまった。かかる状況の下、2017年、38年間続いたドス・サントス大統領を継いだロウレンソ大統領は就任演説で、中国の他、我が国を含む米、仏、伊、韓等、先進国を戦略的パートナー国として特に関係を重視していくと述べ、対外協力関係をより多角化するとの姿勢を示した。
とは言え、実体的に中国を遠ざけようとする姿勢はみられず、2018年には「一帯一路」の覚書に署名している。日常の密な関係は、アンゴラ政府関係者や企業関係者からの話からも伺える。例えば、筆者が会った政府関係者の多くは訪中経験がある(残念ながら訪日経験者は少ない)。また、当国に駐在していた日本企業関係者によると、アンゴラ政府の省庁、特に財務省、鉱物資源・石油・ガス省、電力・水省等では常に中国人の姿があった由である。
 今や、中国の協力はインフラ面に限らず保健や農業分野、ファーウェイの職業訓練センターに代表されるIT人材育成分野、同社によるアンゴラ最大の携帯電話事業会社UNITELに対する5Gやモバイル決済導入のための技術協力等、広範囲に及んでいる。学術面でも孔子学院を通じた中国語指導(修了者500名程度)、中国の高等教育機関への留学生受入(年間200名以上)と関係強化が着実に進んできた。アンゴラで最高峰と言われる私立カトリカ大学の科学調査研究所は中国から研究助成を受けており、その報告書の中で、アンゴラが中国からの融資でいかに裨益したかを説いている。
 コロナ禍においては、中国から感染が拡大した上、2020年1月末に確認されたアンゴラ初の感染疑い者が中国人であったことから(後刻陰性と判明)、一時は中国や中国人に対するネガティブなイメージが広がったが、武漢市出身の当国駐在中国大使が当地メディアで積極的に中国内の感染状況や対策を発信、イメージの改善を図った。昨年8月には、マスクをはじめとする医療器具を習近平国家主席夫人からロウレンソ大統領夫人への贈り物として提供し、大きくメディアで報じられた。さらには、医師団派遣、中国企業によるCOVID-19検査施設の設立、シノファーム製ワクチンの提供などもあり、どこの国よりも迅速に頼りになる中国を誇示した。アンゴラ政府が発行するワクチン接種証明書がポルトガル語、英語に加え中国語で記載されていることからも、その影響力が窺える。
 市井ではどうだろうか。中国人は中国人で集まりコミュニティをつくるというのはアンゴラでもみられる。首都ルアンダ郊外には中国が建設した町、キランバ地区がある。そこには中国建設の集団住宅(住民は一般市民)や2つの大きな中国市場(写真1、2)があり、中国語で書かれた看板が多数見受けられる。食品から建築資材まで何でも安価で揃う中国市場は庶民の生活に大きな役割を果たしている。最近は市内の高級ショッピングモールの電気店にも中国製品が多く並び、中国車(ジーリー)のTV広告も頻繁に流される。富裕層ではこれらのモノは日本製に越したことがないと知っていても、身近で低価格な中国製品を使用し始めている。一方で中国人が絡む犯罪ニュースもしばしば聞かれ、アンゴラ人が諸手を挙げて中国を歓迎しているとは言い難いが、中国人、中国企業の存在がごく普通の光景になっているのは間違いない。

(写真1)中国語で書かれた看板が並ぶキランバ地区の中国市場
(出典:キランバショッピング公式Facebook)
(写真2)同じくキランバ地区に位置する別の中国市場入口(「頑張れアンゴラ。中華街はアンゴラの人々と共にCOVID-19と闘う」との横断幕が見られる)
(出典:2020年7月27日付ヴェール・アンゴラ紙)

 今後はどうか。アンゴラとしては、ダヴェス財務大臣の言葉を借りれば、中国との関係を、これまでの借款中心から民間投資を中心とした新たなパラダイムに発展させていきたいとしている。政府が推進する国営企業民営化の入札説明会には中国人の姿が必ずみられる他、中国企業を対象にした法令講座も開催されている。当国駐在の中国大使は、最大の発展途上国である中国にはアフリカ支援の使命があり、アンゴラと中国の経済関係は市場経済がもたらす自然の流れと述べる。これまでの石油依存の経済構造から産業多角化を目指すアンゴラにとり、中国の役割は増えることがあっても減じることはなかろう。

日アンゴラ関係の今後
 本稿のお題は「アンゴラから見た中国」ではあるが、やはり立場上、日アンゴラ関係促進という使命も念頭に、アフリカ、アンゴラが日本により近くなる方途についても触れたい。
 アンゴラ経済、特に債務状況の悪化とコロナ禍の影響もあり、最近の日本企業、日本人のプレゼンスは以前に比して小さくなっていることは残念に思う。今や、アフリカに限らず世界で、量的に中国と競う時代ではないことは明らかである。しかしながら、日本への期待や日本に学びたいとの気持ちは未だ多くの途上国にある。アンゴラでも、第二次大戦の敗戦から見事な復興を遂げた日本、世界で唯一の被爆国である日本を知っている人もいる。本年8月、草の根無償資金協力のサイト視察のため地方に赴いた際、地元メディアから広島の原爆記念日について問われ、正直、感激した。廃墟となった日本が現在の発展を実現し得た経験に学びたいとの声は多く聞こえる。内戦で苦労したアンゴラの人々には共通の思いがあるのだろう。
 経済多角化のため非石油分野の産業発展を目指すアンゴラは、民間投資誘致を声高に叫んでいる。筆者がこれまで会ったアンゴラ政府要人は異口同音、ODAよりも民間投資を期待するとすら述べる。しかし、そのためには、輸送、電力等のインフラ、法整備等の投資環境整備が不可欠であり、経済協力と民間投資の両輪が必要である。
 経済協力において、日本が中国をはじめ他国との関係で比較優位を有する分野は人材育成というのは常に言われる。我が国もJICAが技術協力の一環として専門・職業教育面で様々な支援を実施しているが、基礎教育分野での支援は必ずしも多くはない。アンゴラでは閣僚レベルには優秀な人材も多いが、一般職員の能力が伴わないため仕事が進まない。アンゴラのみならずアフリカでは若者人口が多く、人口ボーナス期と言われる。しかし、それが真にボーナスになるのは、彼らに雇用があってのことだ。それには教育が必要となる。なかでも初等中等教育分野での人材育成が国の礎であることは我が国の戦後復興を見ても明らかである。日本人専門家が各国の経済省庁に派遣されることがあるが、教育分野でも、倫理観、勤勉、効率性等、日本の価値観を伝えつつ基礎教育充実に向けたアドバイスが出来るような専門家の派遣も一案ではなかろうか。時間はかかるが、地道に続けることで必ず成果がみえる分野であり、大きな支援となろう。
 今ひとつアンゴラが日本に期待する民間投資についてである。そもそも日本企業の対アフリカ進出は、歴史的背景や企業文化的な理由もあり、欧米や中国企業に比較して小さいが、アフリカの潜在力の大きさは明らかである。TICADのお陰でアフリカへの関心は高まりつつあるが、アジアや欧米を中心に展開する日本企業にとり、グローバルな物差しからすればアフリカの優先度が高くないのは致し方ない。日本のグローバル企業の視点からは、残念ながらアフリカがトップ・プライオリティにくることはないであろう。その中でアフリカへの関心をさらに高めるには、アフリカに特化した企業(企業規模は問わない)やビジネスの構築、それに向けた一層の奨励策が必要ではなかろうか(TICAD8に向けて議論は始まっている)。この観点からも、若者に焦点を当てることは有益かも知れない。例えば、現在のところアンゴラには派遣されていないが多くのアフリカ諸国で活躍している青年海外協力隊経験者の若者にアフリカで新たなビジネスを生み出すような奨励の仕組みがあればと思う。TICADの中でアフリカと日本の若者を繋ぐフォーラム設置も一案かも知れない。
 本年は日アンゴラ外交関係樹立45周年に当たるが、5年後の50周年には、ポスト・コロナの下、日アンゴラ関係で、より明るいニュースが聞かれることを期待したい。

 (以上は筆者個人の見解であり、筆者が属する組織の見解を示したものではない。)