(コロナ特集)新型コロナ感染爆発とニューヨークと総領事館
在ニューヨーク総領事・大使 山野内勘二
はじめに
今や、新型コロナ・ウィルス感染者は、全世界で約1335万人、死者は約58万人だ。凄い勢いで増大している。この寄稿文は7月15日脱稿だが、事態は日々動いている。従って、この拙文が読まれる段階では新たな事態が生じているはずだ。新型コロナに関する全体像、国際社会に対するインパクト、或いは歴史的な意義等は、後世の賢者・識者の研究・論評を待ちたい。だが、一つ明らかな事がある。新型コロナの感染爆発に起因する事態は、第2次世界大戦後で国際社会が直面した最も困難なもの、との認識だ。広く共有されている。
特に、米国は、感染者343万人、死亡者13万6千人を超え、世界最大の感染国である。ベトナム戦争の戦死者約5万8千人と比較するとそのインパクトを実感できる。中でもニューヨークは最大の感染地だ。米国最大の都市NY市を含むニューヨーク州の人口は1900万人、感染者総数は40万人、死者3万2千人。日本の数字(人口1億2600万人、感染者2万3千人、死者984人)と比較すれば、ニューヨークが新型コロナの感染爆発の深刻な影響を受けたのは明らかだ。それでも、クオモ知事、デブラジオNY市長、医療関係者、公共サービス従業員等々の努力により、ニューヨークは今、経済再開の最終段階にある。
私はニューヨーク総領事として、新型コロナ感染爆発の渦中にいた。此処で見聞し、感じたことを記す。
1.感染爆発前夜
今や、新型コロナが話題にならない日はなく、常にトップニュースだ。が、2020年の年頭では全く話題ではなかった。時計の針を年頭に戻してみると、新型コロナが瞬く間にニューヨークを席巻したことを実感する。
最初の大ニュースは、日産のカルロス・ゴーン被告の海外逃亡だった。ハリウッド映画の如き逃亡劇だった。国際ビジネスの拠点故に、当地ではビジネスに直結する法務の観点から大きな関心を集めていた。
次に、混迷を深める中東情勢だ。米軍によるイランのソレイマニ司令官殺害が大きな衝撃を与えた。イラン側の報復攻撃もあり、一触即発の危機的状況と報じられた。ギリギリで事態は収まったが、外交安全保障面でのニュースを独占していた。
実は、新型コロナに関する世界初のニュースは、昨年12月31日に中国湖北省武漢市当局が行った「原因不明の肺炎患者が27人いる」との発表だった。が、当地では全く知る由もなかった。未知の病気が流行している旨をニューヨークタイムズ紙が初めて報じたのは、1月8日のグローバル・セクション。その後、武漢の状況が報じられたのは1月23日だ。この段階では、米国とは直接関係のない出来事だった。
この時期の最大ニュースはトランプ大統領の弾劾問題だった。CNNは連日集中的に報道。1月18日、下院本会議が権力濫用と議会妨害という2項目の弾劾訴追決議を可決。アンドリュー・ジャクソン、ビル・クリントンに次ぐ史上3人目の大統領弾劾だった。そして、舞台は上院に。2月5日、上院はトランプ大統領を2項目とも無罪と評決。大統領選を控え、民主党vs共和党という対立構造が露わで結果は予想されたものだった。瞬く間に話題から消えた。
そして2月10日。ニューヨークタイムズ紙が初めて1面で写真を付して新型コロナを大々的に報じた。内容は、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号。関心のレベルが1段階上がった。最大の理由は米国人の乗客がいた事だ。日本国内への感染防止の観点から、水際対策として陰性を確認するための2週間の船内隔離は止むを得ぬ措置だった。が、船内に隔離された米国人乗客がSNS等で発信し、CNNインタビュー等にも応じた。新型コロナの問題が、より身近な問題として認識された訳だ。実際、当館にも、同号の米国人乗客の家族から問い合わせがあった。曰く、両親が老後の旅行を楽しんでいたところ母は陰性で下船したが、持病を抱えた父は陽性で船内に取り残され、しかも常備薬も切れて非常に困っている、と。当館から本省にも連絡し、在京米大と連携して人道的観点から最善の措置が取られて一件落着し、この家族からは謝意を表された。
とは言え、この時期の最大関心事は大統領選挙。焦点は民主党の候補選びだった。2月中旬、昨年来本命視されていたバイデン前副大統領が完全に失速し、38歳と若いブディジェッジ市長が急上昇していた。が、2月29日のサウス・カロライナ州予備選で流れが変わる。苦戦していたバイデンが黒人票を集め圧勝。これを機に、ブディジェッジ、クロブシャー両候補が撤退。中道派が一体となってバイデン支持に回る。そして、16州の予備選が集中する3月3日のスーパー・チューズデイで、バイデン候補が圧勝。鮮やかな復活劇だった。
2.ニューヨーク初の感染確認〜事実上のロックダウン
スーパー・チューズデイを翌々日に控え、バイデン対サンダースに関し報道が過熱していた3月1日の日曜日の夜。クオモ知事がニューヨーク州初の新型コロナ・ウィルス感染者確認をツィッターで発表。対岸の火事ではなくなった瞬間だ。今や有名になったクオモ知事の定例記者会見も翌3月2日から始まった。
事態は急速に悪化。新型コロナの市民生活への影響は圧倒的だった。例えば、当地の日本コミュニティーにとり特別な3月11日。東日本大震災に対しニューヨーク市民が示した連帯と支援に対する感謝を表す式典が予定されていたが、キャンセル。関係者の苦渋の決断だ。また、万延元年遣米使節団の米国訪問から160年を記念して5月に予定されていたジャパン・パレードも延期された。更に、ピッツバーグで開催予定だったG7外相会合もテレビ会議へ変更と発表された。ウォール街は記録的な株価の乱高下に見舞われる。経済対策も矢継ぎ早に表明されたが、年初は2万9000ドルを超えていたダウ平均株価が1万9000ドルを割り込んだ。
そして、感染確認から2週間後の3月14日。クオモ知事は、新型コロナ陽性の82歳の女性がNY市内の病院で死亡と発表。ニューヨーク州初の新型コロナ死亡事案だった。直後から厳しい措置が導入される。3月16日夜以降、ニューヨーク市内の全てのレストランは、テイクアウトとデリバリーを除き営業禁止(今もレストラン内での飲食は禁止されている)。3月22日からは、病院、警察、消防等の市民生活に不可欠なサービスを除きテレワークが義務となる。劇場もスポーツ施設も全て閉鎖。「眠らない街」との異名を持つニューヨークが3月末には、ほぼゴーストタウンと化す。
そして、感染は尋常ならざる速さで爆発する。3月14日に初の死者が確認されて1ヶ月後の4月15日には、感染者21万3779人、死者1万1586人に急増。まさにパンデミックだった。特にNY市の状況は厳しく、医療崩壊寸前でセントラルパークに夜戦病院の如き病床が並び、米海軍の病院船「コンフォート」がハドソン川沿いに接岸した。見えないウィルスとの闘いそのものだった。
3.総領事館の使命
上述のような新型コロナの厳しい状況に直面して、総領事館の任務を改めて虚心坦懐に考えた。1丁目1番地は、在留邦人支援だ。当館管轄地域に居住する約8万人の在留邦人にとって、総領事館は『最後の砦』だ。それ故、ロックダウン下にあっても、総領事館が確実に機能することが不可欠だ。館員が感染すれば、総領事館機能は極端に低下し本来の任務を果たせなくなる。総領事館から決して感染者を出さない。固い決意で健康管理に万全を期した。
邦人支援は多岐にわたるが、柱は3つだ。第1に適時・適切な情報提供。第2に邦人からの相談・問合せへの24時間体制での対応。第3に諸手続きのための領事窓口の維持。
(1)情報提供
クオモ知事が記者会見を始めた3月2日以降、当館は「領事メール」を在留邦人約7万8千人に対し、会見が連日続いた6月19日まで毎日送付し、それ以降も週に2,3度送付している。
此処には、①管轄5州の知事等が行う記者会見の概要、②連邦政府や各州が発表する新型コロナ関連の情報、③各州・各地域の感染者、死者等の統計、④総領事館からの連絡等を掲載。また、重要な発表や安全に直結する要注意な事態が生じた場合は、深夜でも随時、送付した。1日に2回3回送付することもあった。加えて、メール登録してない在留邦人等のため、同じ情報を当館ホームページ、Facebook、ツイッターにも掲載。更に,当館ホームページ上に、医療情報、生活情報に加え、管轄5州が講じている措置や企業向けの支援策等を分かりやすく整理して掲載した。
報道、意見、更には噂や流言飛語まで膨大な量の情報が飛び交っている中で、客観的で正確な情報を日本語で分かり易く整理して提供する意義は大きいと確信。全館体制で対応した。
(2) 24時間対応
在留邦人にとり、困った時にいつでも相談できる総領事館であることが新型コロナの状況では特に重要だ。365日24時間、総領事館に電話で相談・問い合わせが出来る体制を確保した。緊急性がある時には、週末、深夜を問わず、当館領事が対応した。
(3)領事窓口
当地では外出禁止・自宅待機要請が発出され街がほぼゴーストタウンと化した。が、旅券、査証、各種手続き等が必要な在留邦人等はいる。その方々のためには領事窓口がオープンしている事が不可欠だ。一方、館員が公共交通機関を利用すること等も勘案して、感染リスクを抑えつつ邦人支援を全うする観点から、2班交替出勤体制を敷き、週3日、午前10時半から午後1時まで、窓口時間を短縮した上で予約制を導入。全在外公館の中で最も多忙な領事業務を抱える公館の1つである当館として、感染リスク抑制と任務遂行の両立を図るギリギリのバランスだった。
幸い、ニューヨークの経済再開が進み、7月15日現在、領事窓口は週4日まで戻っている。
(4)本省への報告
総領事館の任務は、在留邦人支援以外にも多岐に渡るが、新型コロナの厳しい状況で、在留邦人支援に加え重視したのは、世界最悪の感染地ニューヨークに関する本省への正確な情報提供だ。同時に、日本の実情、日本の新型コロナ戦略等を当地のメディア・有識者に伝えるべく最大限の努力を行った。この点については、後述のとおり、国際場裏での日本の発信力に関する課題を実感した。
4.経済再開への道〜クオモ知事のリーダーシップ
新型コロナの感染爆発に直面した全てのリーダーが直面したのは、公衆衛生と経済活動・雇用のバランスを如何に取るか、という問題だ。公衆衛生の観点からは、経済活動を一時止めてでも感染を防ぐことが至上命題だ。が、雇用や経済成長が損なわれる社会的政治的コストは甚大だ。ホワイトハウスの対策チームのファウチ博士とトランプ大統領の発言を比べれば、プライオリティの差は顕著で、感染防止と経済再開のバランスが如何に難しいかが分かる。2020年は大統領選挙の年。連邦上院下院、知事、市長、更に地方議会の選挙も行われる。新型コロナ対策は重要だが同時に早く経済再開したいとの思いもある。政治の現実が此処にある。
そんな状況でクオモ知事の評価が一気に高まる。最大の要因は、3月1日の感染確認以降、毎日行って来た記者会見だ。日々刻々と変化するニューヨークの現状と課題と今後の展望について、時にグラフを用い、詳細な数字も諳んじ、分かりやすく説明する。どんな質問にも淀みなく回答する。
特に、面目躍如なのは、新型コロナ感染拡大がピークアウトした後の5月4日の会見だ。其処で打ち出した経済再開の指針は、感染対策と経済を適切に両立させ、州民に分かりやすく周知する秀逸なものだ。客観的にして公衆衛生上の合理性があり、分かりやすく予測可能性の高い指針だ。その概要は、基準(入院患者総数等)を定め、地域別(州内10地域)に段階別(全4段階)に再開を進める、というものだ。
個人的見方だが、ニューヨークがこれだけの感染爆発になった最大の理由は、初動のまずさであり、其れは知事の責任と言い得る。しかし、クオモ知事は、感染爆発が起こってしまったことを所与として、感染は欧州に由来する旨指摘しつつ連邦政府の対応を批難した。この点は、米国のディベート文化の神髄を見る思いだ。トップ・リーダーにとって戦略的コミュニケーションが不可欠な資質という点を如実に示している。
クオモ知事の会見は全米に生中継されるようになる。ニューヨークが米国内、いや、全世界で最大の感染地であるのも理由だが、クオモ知事の会見が人々の期待するリーダーシップを体現していたからだ。
其処で、或る共和党幹部との公邸会食での大統領選挙に関する会話を思い出す。2019年7月のことだ。私から「民主党候補として最も恐ろしいのは誰?」と問うたところ、この幹部は「クオモ知事だ。彼が民主党候補だったら2020年選挙は安穏としてられない。だが、クオモは、トランプの強固な支持基盤を熟知している。2020年でリスクを取るより、2024年を目指すと推察する」と即答した。
今般、クオモ知事は新型コロナ対応で強力なリーダーシップを全米に印象付けた。2024年を論じるのは早すぎるが、クオモ知事の今後からは目が話せない。
5.浮き彫りになった課題〜日本の発信力
国際世論に決定的な影響力を持つのは欧米の主要メディアだ。新型コロナに直面し、如何なる国も各々の政治経済社会の現実と制約の中で、最善と信じる対策を取っている。勿論、完璧とは程遠く、メディアは自由に批判する。
日本に関しては、官民あげて取り組み、感染者、重篤者、死者の数は欧米各国と比べて桁違いに少なく、対策は全体として機能したと言える。だが、日本に関する論調は芳しくなかった。当初のダイヤモンド・プリセスは言うに及ばず、感染者数が小さいのは検査数が極端に少ないからとの批判は根強い。或いは、死者の少ない理由が不明で「奇妙な成功」と論じたり、要するに「文化」だと結論付けたものも散見された。徐々に論調は良い方向に変わって来ているが。
日本には科学的根拠に基づいた明確な戦略があり、国民の責任感ある行動で未知のウィルスを乗り切った事を世界に伝えることが重要だ。そのため、誰が何をどのタイミングで如何なる媒体で発信するのか、欧米メディアにとって理解しやすいナレティブで発信する技術を磨くことだ。国際社会の中の厳しい競争と過酷な現実の中で、国際世論を味方する発信力を持つことは、日本が平和と繁栄を維持するための国家戦略だと確信する。
最後に
新型コロナは未だ第1波すら終わっていない。ニューヨークでは収束しつつあるが、経済再開を先行したテキサス、フロリダ、カリフォルニア等では感染が急速に拡大している。世界をみれば、ブラジル、インド、ロシア、アフリカでの拡大は深刻だ。ウィルス開発を含め国際社会の新型コロナとの闘いはまだ続く。
この5ヶ月で世界は一変した。今は、一刻も早いコロナ収束に全力で取り組みつつ、コロナ後の時代に備える時だ。