(コロナ特集)メキシコのコロナ・ウイルス感染症対応
駐メキシコ大使 高瀬 寧
「メキシコは世界に模範例を示している。なぜなら、強制的な手段なしに、(感染者数)曲線を平準化し、病院が満床になることを回避できたからだ。」(ロペス・オブラドール大統領)
メキシコにおける新型コロナ・ウイルス感染症は、この原稿を執筆している7月12日現在、感染者数が約30万人に達し、未だ、収束への方向性が見えていない。現時点でメキシコが世界に模範例を示しているとはとても言えない。しかし、その初期の対応は、ロペス・オブラドール大統領が述べたとおり、国民の支持を得て、都市封鎖といった強制的な措置をとることなく、爆発的な感染拡大と医療崩壊を何とか回避していたといえる。メキシコは、未だ感染拡大の中にあるが、初期のメキシコ政府の対応を中心にこれまでの動きを振り返ってみたい。
メキシコにおいては2月28日に初めての感染例が確認された。欧州諸国に比べると1カ月ほど遅く、「この間に準備できた」(ガテル保健省次官)はずであり、確かに欧州諸国のように爆発的な拡大とはならなかったものの、感染者数、死者数共に増大を続け、今や累計感染者数は約30万人(世界第7位)、死者数も3万5千人を超えている(世界第4位)。メキシコの場合、単位人数当たりの死者数が世界平均の3倍以上と高いが、これは、肥満、高血圧、糖尿病等の罹患率が高いためと言われている。
最近の傾向を見ると、6月末には、毎日の新規感染者の数が若干減少したものの、7月に入って新規感染者の数が7,000人を超えた日もあり、感染拡大のスピードが落ちているとはいえ,収束の方向に向かっているとはいいがたい状況である。
感染防止対策
新型コロナ・ウイルスの感染が拡大した初期、感染拡大防止のための対策を導入する段階において、メキシコ政府の対応は明確で、かつきびきびしたものであった。この初期の段階の対応を主導したのが、ガテル保健省次官である。
ロペス・オブラドール大統領は、感染症については保健省に任せておけば何とかなると考えており、この問題に無関心であったと言われている。実際に、緊急事態宣言が発動される直前まで地方遊説を続け、遊説先では国民と抱き合って挨拶し、ツーショットを撮る等して、メディアから顰蹙を買った。他方で、ガテル次官については、「優秀な専門家で、きちんと国民に説明する」といった高い評価を表明し、「自分(大統領)はすべてを知っているわけではないので、専門家の対応を尊重する。」と述べた。確かに大統領が感染症対策に大きく介入した形跡はあまり見られなかった。
ガテル次官は、医師であり、疫学で博士号を取得した専門家で、政府機関での経験も豊富である。医師として、専門家として、そして公務員として誇りと責任感をもって対策を主導していたやにみられた。同時に「メキシコ人の大半は貧困層であり、まず社会的弱者から救済することが重要である。」と述べる等、ロペス・オブラドール大統領の基本方針を支持する発言を行っている。また、ロペス・オブラドール大統領もマスクを着用しないのだが、ガテル次官は「マスクは感染防止対策として有効でない」という立場をかたくなに守っている。さらに、閣僚がPCR検査で陽性となっても、「自分(ロペス・オブラドール大統領)は、熱も、咳も、のどの痛みもない。症状がないから検査は受けなくてもよい。」と述べる大統領の横でにこやかにうなずいている。
このように、少なくとも大統領と感染症対策責任者の間で対立がなかったことも、政府の対策に対する国民の理解を得やすくした一因といえよう。
3月末、毎日の新規感染者数が100人を超えてくる中で、メキシコ政府は衛生上の緊急事態宣言を発出する。そして、必要不可欠でない経済、社会活動を抑止するとともに、自宅待機(stay home)を強く呼びかける。感染症防止対策に関して、日本とメキシコで似通っている点が2点ある。一つは、PCR検査の数が少ないこと。二つめは、外出禁止令といった強制的な措置は取らず、国民の理解、協力を得ながら対策を進めたことである。
メキシコ政府は感染防止対策に関する国民の理解を得るためにいくつかの工夫を行った。一つは、毎晩7時から行われる記者会見である。2月下旬から始まったこの記者会見は土曜、日曜を含め毎日行われ、感染者数、死者数、地域ごとの分布等の感染状況を報告し、医療体制の強化等政府の対応をテーマごとに報告し、記者の質問に答える。基本的にガテル次官が毎回質問に対応しているが、「とても重要な質問をありがとう」と言いながら自らの主張したいメッセージを滔々と述べるところはメディア対応の良いお手本といえるかもしれない。
テーマ毎の報告も種々趣向を凝らしていた。ある時は、「ガテル次官に聞こう!」というタイトルで、テレビ会議を通じて子供たちからガテル次官に質問させる特集を行った。聴覚障害のある子供が、「マスクをしていると唇が読めないのだけれど、入院しても大丈夫かな。」と聞くと、ガテル次官は「医療関係者は皆さんの事情を最大限考慮するから、心配しないで」と優しく答える。また、ある時は社会保険庁の看護婦長が報告者として登場し、「自分(看護婦長)はこの制服を長年誇りにしてきたが、今は制服を着て外に出るとウイルスに感染しているのではないかと、皆から白い目で見られる。」と涙ながらに訴え、ガテル次官が感染症対策に従事する医療関係者への理解と協力を呼びかけた。
今一つの工夫は「スサナ・ディスタンシア」という名の女性ヒーロー(左側画像)の起用である。
「スサナ」はスペイン語圏でよくある女性の名前であるが、「スサナ・ディスタンシア」は日本語に訳すと「あなたの健康的な距離」という意味で、社会的距離をとることの象徴として登場した。そして、その後は新型コロナ・ウイルスと戦う、感染防止対策全般を象徴するヒーローとして国民の間に広まっていった。
これらの施策が功を奏して、実際に人々の外出も減った。メキシコ政府の目標は通常の60%減であったが、携帯電話を使った調査によると多くの都市でこの目標が達成された。私の見た感じでは、メキシコ市では街中の人や車は70%以上減っていたのではないかと思う。
なお、メキシコは都市封鎖を行わなかったが、国境封鎖も行わなかった。墨米国境で必要不可欠でない陸路の移動を制限したほかは、入国制限措置を導入しなかった。実際には他の国の出入国規制により、空港は閑散としており、アエロメヒコ航空も米連邦破産法適用申請に追い込まれるが、全日空による日本との直行便は運航を続けている。国境封鎖が相次いだ他の中南米諸国から帰国できないでいた日本人の方々が、チャーター機等でメキシコまで来て帰国された例も多く、在メキシコ大使館も6月末までに28件の乗り継ぎ支援を行っている。
今一つメキシコ政府が重要視した政策が医療崩壊の回避である。一方で感染者数や入院者数の爆発的な拡大を抑止しながら、医療資源の供給に努めた。前政権が建設途中で投げ出した病院を完成させ、見本市会場やレース・サーキットに仮設病院を設置し、軍の病院を転用し、また、私立病院と提携を結んで、コロナ・ウイルス用の病床を増やした。また、中国や米国から人工呼吸器を含む多くの医療機器を輸入した。ロペス・オブラドール大統領が、習近平国家主席及びトランプ大統領に電話をし、6月中旬の時点で、中国からは人工呼吸器616台、マスク・フェイスカバー等約1,500万点他を20回以上に及ぶシャトル航空便で輸入、また、米国からは人工呼吸器322台を輸入している。メキシコ全国平均のコロナ・ウイルス用病床稼働率は50%を下回って推移しており、州ごとに見ると,たとえば一時期のメキシコ市のように稼働率が80%を超える例があるものの、おおむね医療崩壊は回避してきたと言えよう。
国民もこれら政府の対策をおおむね支持していた。世論調査によると年初から下降傾向にあった大統領の支持率が、3月の60%から4月には68%に回復している。これには政府のコロナ感染症対策への支持も含まれていたものと考える。ちなみに、5月、6月の大統領支持率は再び下落に転じている。
冒頭のロペス・オブラドール大統領の発言はこのような状況を受けてのものである。4月時点で、保健省は、感染は5月上旬にはピークを迎え、その後収束に向かうとの推計を示していた。ロペス・オブラドール大統領は感染者数を表すグラフ上の曲線が急激に上昇しないままピークを迎えるであろうとの見込みをもって、感染者数曲線を「手なずけた」と表現した。しかし、感染者数はピークを迎えないまま増大を続ける。
新たな日常、または段階的緩和
6月1日、毎日の新規感染者数が、2,000人から3,000人と増え続ける感染の拡大局面の中で、メキシコ政府は緊急事態宣言を解除し、新たな日常に戻る段階に入ったと表明した。具体的には各州ごとに信号方式の感染症危険情報を発表し、この信号の色に応じて徐々に社会的、経済的活動を再開していくこととした。緊急事態宣言が発出されてから2カ月がたち、社会的にも、経済的にも、そして政治的にもメキシコの人々の我慢が限界に達していると判断したのであろう。その判断には頷けるところもあった。しかし、このころのメキシコ政府の対応にはいくつかの混乱が見られる。
段階的緩和に入る前の5月中旬に、自動車産業が必要不可欠な産業に認定される。必要不可欠な産業と認められれば、信号の色にかかわりなく操業を再開することができる。米国で自動車産業が再開していく中で、メキシコがこれに間に合うであろうかとやきもきしていたころであり、当国に進出している日系自動車関連メーカーもメキシコ政府に必要不可欠な産業としての認定を求め、当館もこれを支援した。必要不可欠な産業への認定は良かったのだが、具体的な操業開始がいつから認められるのかが明らかとならない。一旦官報に掲載された保健省令がその日のうちに撤回されるという事態も見られた。結局、保健省の定める衛生基準を満たしながら操業を再開することが認められ、日系企業のほとんどがこれまでに操業を再開している。
そしていよいよ6月1日を迎えるが、この日発表された信号情報はほぼ全国的に赤であった。すなわち、一方で新たな日常に戻る段階に入ったと宣言しながら、他方で必要不可欠でない活動の停止と自宅待機の呼びかけは実質的に維持された。そのような中で、大統領の地方遊説は認められることになる。
この信号情報に対して、多くの州知事が異議を唱えた。すると、連邦政府は信号情報の発出基準を大きく変更し、6月第3週以降はメキシコ32州の約半分の州が「橙色」となり必要不可欠でない活動も徐々に再開できることとなった。また、連邦政府は、各州政府が各地の状況に応じた再開方針を定め、関連措置をとっていくことを認めた。現時点では、社会的、経済的活動の再開に向けた具体的施策は、その実施時期を含め各州政府に大きく移譲されており、連邦政府の主導的な役割はかなり減じたとの感がある。
終わりに
7月8日、ロペス・オブラドール大統領は、大統領就任後19か月目の初めての外遊として、ワシントンを訪問した。米・墨・加協定(USMCA)の発効を祝うためである。ロペス・オブラドール大統領はUSMCAをコロナ後の経済再活性化のための最重要施策の一つと位置付けており、トランプ大統領と共に大いにその意義を讃えた。この米国訪問の前には初めてPCR検査を受け、米国に向かう商用機の中ではきちんとマスクも着用していたとのことである。
(了)