(コロナ特集)バングラデシュにおける新型コロナ感染の意外な展開


駐バングラデシュ大使 伊藤直樹

 バングラデシュでは,8月下旬から新型コロナウィルスの感染がやや減少傾向にあるものの,そのリスクは低下していない。毎日の新規感染者数は2,000-2,500名,陽性率は16-18%で推移。実行再生産数(Rt)もようやく1の水準を切ったところである。3月に感染が発生して以降,予想に反する展開や意外な出来事があった。バングラデシュに赴任して一年足らずであり,この国を良く理解できておらずに感じたところもあろうが,コロナ感染の動向とあわせ以下に記したい。

感染の動向(リスクがある中での「平常化」)
 犠牲祭のイード休みを越して,街の賑わいや渋滞はコロナ感染前とほぼ同じレベルに戻った。8月第2週以降,政府機関には全員が出勤することが決定され,潜在的なリスクがある中で「平常化」へと進みつつある。「もはや峠を越した。(外務次官)」という認識も広がりつつあるようだ。

(国父ラーマン初代大統領)

 3月8日,新型コロナウィルス国内感染の第一例目が発生した。17日に国父ムジブル・ラーマン初代大統領の生誕100周年の行事が予定されていたが,祝賀ムードが一変した。ハシナ政権に衝撃が走った。すべての関連行事がキャンセルされ,印のモディ首相やムカジー元大統領の来訪も取りやめとなった。その一方で,政府の対応は素早く,コロナ対策としての一連のパッケージを3月から4月前半に打ち出し,累計でGDP比約4%におよぶ。また,3月26日の独立記念日から公休日とし,公共交通機関をすべて止め,全国規模のロックダウンとした。この公休日の措置は,2ヶ月余,ラマダン後のイード明けまで続くこととなる。
 右期間中,経済への影響が顕在化した。縫製工場の労働者が賃金支払いを求め路上デモを行う等があり,4月26日に縫製工場の再開,5月10日に商店の営業再開と,規制を段階的に緩和せざるを得なかった。その都度,陽性率の上昇が見られた。公休日が始まった頃は11-12%,それが14-15%,そして15-17%へと上がった。 ラマダンが明け,感染が目に見えて拡大した。PCR検査の機関も整備され、検査の件数も増加し,陽性率も20%台となった。政府部内には,感染の度合いに応じ,地区ごとに規制のレベルを分ける「ゾーン規制」のアイデアが浮上した。きめ細かい対応への期待が高まり,ダッカ市内では一部の大使館が所在する地区を含む40カ所が対象との報道もあった。ところが,この構想は,4地方都市とダッカ市内の1地区で試験的に導入された以上には実現しなかった。役所の間で対象地区や具体的な制限に合意できなかったのである。それもあり,6月後半から7月初めは新規感染者4,000名,7月中旬は陽性率25%にまで上昇した。一旦,経済活動を復活させると,感染防止を理由にそれを再び規制することが難しいのは何処の国でも同じである。

コロナは金持ちの病気
 3月初め,当地WHO所長がこう述べた。「バングラデシュでも必ず感染が起きる。そして,特にダッカのような大都市における人口稠密,医療水準の低さを考慮すれば,爆発的な感染となってもおかしくない。ソーシャル・ディスタンスが守られことは期待できない。」特に,人口が密集するスラムへの影響を心配していた。最初の発生例が公表されるちょうど1週間前のことである。保健省幹部も同様の恐れを抱いていた。
 3月以降,確かに感染は全国規模で広がった。しかし,症例死亡率は低く(約1.3%),ダッカのスラムでは静かな感染にとどまった。これも予想外の事態であった。今やバングラデシュでは,「コロナは金持ちがかかる病気」とすら言われている。ダッカ市内のスラムの人口密度は1平方キロあたり205,415人。しかし最近のスラム3カ所の調査(イースト・ウェスト大学)では,対象者(255名)にコロナ感染に該当する症例が見られなかったと報告されている。また,4−7月の別の調査(国立の医療施設がUSAIDとゲーツ財団の支援で実施)では,サンプルを6箇所のスラム720世帯から採取し,感染率6%と少し違う結果が示された。とはいえ,死亡はスラム以外の都市部約3,300世帯の調査(感染率9%)とあわせて1例と,希少であった。

(ロヒンギャ難民キャンプでは幸い感染は拡大していない)

ロヒンギャ難民キャンプでも静かな感染
 約110万人が保護されるロヒンギャ難民のキャンプにおいても、幸いにして恐れていたほどには感染が広がらなかった。陽性者は79名(死者9名)と100名に達していない(8月15日現在)。国連の各機関も,感染爆発を懸念し,衛生観念の向上,検査設備の増加や隔離・治療センターを12カ所設立するなど,最悪の事態に備えた。国連のプロジェクトでロヒンギャ難民自身が2百万枚ものマスクを作り,キャンプ内と地元コックス・バザール住民の利用に供した。
 IOM(国際移住機関)ダッカ所長も,「とても奇妙なことに,難民キャンプの隔離・治療センターはほぼ空である。コロナ感染のレッテルが貼られることを恐れて検査や治療をしないかと言えば,そうでもない。ひっそりとシェルターで亡くなっている事例もない。」と述べている。ただし,疫学の専門家にも感染が広がらない理由はつかめていないようだ。さらに、今年は洪水の規模が例年より大きく,期間も長いため,避難シェルター内での感染が懸念されたが、実際に広がったとは報じられていない。
 こうした静かな感染という意外性の理由として、遺伝要因,後天的な免疫取得,ウィルスの弱毒性,生活様式等々が言われるが,若年人口が多いこと以上に有力な説明はないと聞く。遺伝と言っても欧米での南アジア出身者の死亡率は決して低くないようだし,ウィルスの弱毒性についても、これまでのところ、それを裏付ける材料はない。ただ,感染が恐れていたような形で爆発せず,人が死なないこと,それが市民の間でコロナの脅威に対する認識を変えたように思われる。
 当地常駐の米国CDCの専門家は,6月時点で,バングラデシュでは感染が収束せずとも,時間が経過すれば無視する行動をとる,結局のところ,集団免疫かワクチン以外で感染は収まらないという見方を示していた。それが現実のものになりつつある。コロナ治療の病院や病床に空きがある(9月1日時点で,COVID専用約15,000病床のうち約3,800病床のみ,ICU543病床のうち300病床のみ使用中。)。このことも,そしてPCR検査の数が7月初めの一日あたり1,8万件をピークに,有料化とともに減少したのも,そうした人々の意識の反映と見られる。

潤うバングラデシュの製薬業界
 更に意外であったのが,コロナ禍での製薬業界の活況である。4月時点で,バングラデシュ国内の複数の製薬会社によって,「治療薬」の製造計画が公表される。その後,製造,治験を経て,実際に,レムデシベル、ファビピラビル、イベルメクチンといった医薬品が治療の現場で使用されており,街の薬局にまで出回っている状況である。
 そして,輸出も行われている。6つの製薬会社がレムデシビルを製造し,今年度に70億タカ(約87億円)の輸出収入が見込まれるという。アフガニスタン,ネパール,パキスタン,インド等の近隣諸国に加え,ナイジェリアからは専用機が薬の買い付けにダッカまで飛来した。中東,アフリカ,南米まで市場が広がる。バングラデシュは,80年代のエルシャド政権下ほぼ100%輸入していた医薬品の輸入代替をめざした。近年では,WTOにおけるLDCに対する特許例外の規定を使うことで,2032年末まで認められているジェネリック医薬品の国内生産が拡大している。144か国に輸出の実績があり,国内需要の98%を国産でまかなう。高額納税企業のトップ5に製薬企業が含まれるほどである。一時は,国内でワクチン開発に着手という報道まで流れたが,さすがに治験段階には達しなかったようである。それに代わり,中国とインドとの間で,どちらがバングラデシュに対してワクチンを供給するかを競う「ワクチン外交」が展開されている。

JICAの協力(PPEの品質基準,病院)
 3月にWHOの当地所長は,縫製業が強いのでマスクや個人防護服(PPE)の生産は可能だとしても,WHO基準を満たすことができるかを懸念していた。それを聞いて,JETROやJICAに相談をし,バングラデシュに進出している日本企業がPPE等を生産する,ないしその支援が出来ないか,調査をお願いした。コロナ禍で,欧米市場向け輸出の減少で当国の繊維業界が影響を受けていること,そして医療関係の製品生産や輸出に活路を見いだそうとした企業がいたことにも触発された。

(JICAによるPPE製造支援)

 7月にJICAの技術協力事業により,スノウテックスという地場の企業によるPPE生産にK2という日本企業(繊維の検品会社)が協力をし,WHO基準を満たす品質の確保ができるようになった。第一弾として4,000着のPPEが出荷された。品質基準を確かなものとするため,WHO,当国保健省,バングラデシュ工科大学,USAID,そこにJICAが加わった。これをきっかけに,当国でもWHO基準に基づく生産が定着していくことを期待している。実現に至る背景に,当地で15年以上事業を行うK2社湯田社長のバングラデシュの窮状を少しでも救いたいという強い思いがあったことが特筆される。
 バングラデシュにおけるJICAの医療協力として,海外投融資を通じたシップ・アイチ病院の設立がある。日本人の医療従事者を迎え,日本式の病院運営を目指して新築中であったところ,6月1日にコロナ治療専用の病院に指定された。このため,邦人用に想定されていた個室病棟が隔離用の個室20床として転用されている。当地に,いかに質の高い病院が少ないか,また、日本式の運営や設備に正式なオープン前から期待と信頼が寄せられているかを示している。さらに,在留邦人のコミュニティにとってありがたい存在は,山形・ダッカ友好病院のラーマン先生。山形大学に留学し,日本で医師となった。同病院は,コロナ禍で新たにICUを整備,人工呼吸器も導入し,重症者の治療もできるようになった。「コロナであろうとなかろうと,早期に治療を開始すれば,重症化させずにすむ。」との考え方で柔軟に対応している。

「命と経済活動のバランス」
 7月に新年度を迎えるにあたり,予算編成のための国会が開かれた。その一つのセッションで,ハシナ首相が発言する。「政府は危機をコントロールできている。重要なことは人命の損失と経済活動とのバランスをとることである。」国際的な経験のながい首相顧問リズビィ氏も,コロナの感染が広がるという危機の中でも救いは,人々が飢えていないことだという話をしてくれた。
 感染の拡大を考えるときに,命や飢えということを第一に考える。政府の経済対策でも,貧困層に対する食料配給を,また縫製業の工員をはじめ賃金の支払いや雇用の確保を優先した。まさに失職や離職がただちに命に関わるからだということを改めて認識させられた。8月2日,ハシナ首相は献血の行事で,国父(ムジブル・ラーマン初代大統領)の夢は,我々がバングラデシュを飢えと貧困のない,発展,繁栄した国とすることができれば実現すると述べていた。ハシナ首相等の発想は,こうした国父の考えとも関連しているのであろう。これも意外な話であった。

日本の支援と投資環境改善の兆し
 我が国はバングラデシュに対し,350億円にのぼる財政支援の供与を決め,8月5日に合意に署名した。1971年に独立したバングラデシュに対する開発協力の長い歴史の中で初めての財政支援であり,コロナ対策による財政負担を軽減するための協力である。同日,安倍総理がハシナ首相と電話で会談された。コロナ禍への協力とともに,一週間後に署名した第41次の円借款(約3,382億円と史上最高額)についても直接説明された。ダッカのメトロ,空港ターミナル,マタバリの深海港,アライハザールの工業団地と、2020年代前半に日本の協力でインフラ整備が大きく前へ進む。今やバングラデシュ向けODAはインド向けに次いで二番目に大きい。バングラデシュは2020年代にアジアで最も高い経済成長を遂げることが予測される。
 安倍総理は,税制,通関,外国為替などに係わる投資環境の改善も要望された。これを受けて,ハシナ首相は直ちにフォローアップを指示した。当初はコロナ危機によるサプライチェーンの途絶により、中国から日本企業の移転が進むと淡い期待を抱く政府関係者もいた。ここに来て,ASEAN諸国との競争も意識して,投資誘致のため規制緩和や改革に本腰を入れて取り組む必要性が理解されてきたようである。コロナ禍ゆえに投資環境が改善する。これも想定外のことである。日本企業が近年悩まされた懸案の解決と、日本からの投資が増大することを期待したい。