(コロナ特集)ドイツのコロナ対応雑感


駐ドイツ大使 八木毅

 ドイツのコロナ対応は国際的には比較的「うまくいった」と受け止められている。国内の世論調査でも政府の対応に対する評価は高い(7月初めの世論調査では、メルケル首相の仕事ぶりを「良い」とする回答が86%)。何と言っても、①死亡者数が米国、ブラジルはもちろん、他の欧州主要国(英国、イタリア、フランス、スペイン)に比べて圧倒的に少なく(7月半ばの時点の累計で約9000人。ただし、日本の10倍近い)、また、医療システムの崩壊にも至らなかったこと、②欧州主要国の中では比較的緩やかな移動・接触・営業制限措置で感染の波を抑え込んだこと、③矢継ぎ早に大規模な経済対策を打ち出したこと、などが大きかった。他方、現地でこの間の出来事を見ていると、外国の一部報道で散見される「すべてがうまく行った。さすがドイツ」といった見方にはやや違和感を感じる。当然のことながら、他国と同様、ドイツにとってもコロナ禍は「未知との遭遇」であり、実際には「手探り」「試行錯誤」の積み重ねが続いている。そこで、以下においては、過度の批判も過度の美化も避けつつ、こうしたドイツの姿をいくつかのエピソードをまじえて紹介したい。なお、本稿は筆者個人の見方である。

1.感染対応の初動
 ドイツで最初の新型コロナ・ウィルス感染者が確認されたのは1月27日に遡る(南部のバイエルン州)が、当時の国内の関心は、中国の武漢を含む湖北省に在住・滞在するドイツ人の退避に集中していた。ようやく危機感が高まってきたのは、北イタリアの状況が先行して急速に悪化し、ドイツ国内でも西部(ノルトライン=ヴェストファーレン州ハインスベルク郡)でカーニバルをきっかけに集団感染が発生した2月下旬あたりからで、2月27日には政府危機対策本部が設置された。3月に入ると感染者数が急激に増加し(3月9日に累計で1000人を突破)、最初の死者が発生した(3月9日)ことから、「危機モード」に突入する。見本市等の大型行事の中止、延期も相次いで決定された。
 このあたりまでは連邦政府では保健大臣、内務大臣とロベルト・コッホ研究所(連邦保健省の下で、感染症対策を主管。略称RKI)所長が前面に立っており、メルケル首相の姿はあまり見えない状態であったが、3月11日に至ってメルケル首相が初めてコロナに関する記者会見を行い、コロナ対策が「首相マター」となったことを印象付けた。内外で広く注目を集めたのは3月18日のメルケル首相の国民向けのテレビ演説であり、年末の恒例の国民向けメッセージ以外では在任15年で初めてという異例のテレビ演説で、同首相は「第二次大戦以降、我々の団結がこれほどまでに問われる試練はなかった」「旅行・移動の自由は自分(注:旧東独出身のメルケル首相自身)のような者にとって、苦難の末に獲得された自由であり、その制限は絶対的に必要な場合にのみ正当化される」と述べて、国民に各種制限措置への協力を訴えた。RKIがドイツ国内のリスク評価をそれまでの「中程度」から「高い」に引き上げたのも前日の3月17日であった。

2.EU諸国との関係
 欧州統合の推進はドイツ外交の文字通り基軸であり、「欧州のためのドイツ」「欧州の一体性」「欧州の連帯」が様々な機会に強調される。ドイツは現在(本年下半期)EU議長国を務めているが、議長国としての優先課題には「ともに 欧州を再び強くする(Together. Make Europe strong again.)」とのタイトルが掲げられている。しかしながら、コロナ対応のある時期までにドイツによって取られたいくつかの措置は「一体性」「連帯」を十分考慮したものとは言いがたく、他のEU諸国との間で軋轢を生じさせたことは否定できない。
 まず問題になったのは、ドイツが3月4日に医療用マスク、手袋、防護服など感染防護装備の輸出を禁止したことである。ご多分に漏れず、ドイツもこれら装備は輸入に頼るものが多く、国内での備蓄も十分でなかったため、当時としては他に術がなかったということなのであろうが、既に感染が拡大していた他のEU諸国、特にイタリアからは「むき出しの自国優先アプローチ」との批判を浴びることとなった。もっとも、これら物資の輸出禁止措置はドイツに限られるものではなく、こうしたEU内での連帯、連携の不足が中国の「マスク外交」につけ込まれる下地となったと言えよう。(その後、EUレベルでの調整の結果、EU内での感染防護装備の輸出禁止は撤廃された。)
 より深刻な問題を惹起したのは国境管理と入国制限である。ドイツは3月16日から国境を接する諸国(フランス、オーストリア、ルクセンブルク、デンマークなど)との陸上での国境管理(「十分に合理的な理由」のない者の入国を拒否)を導入し、さらに18日からはこれを一段と拡大・強化した(上述の諸国とイタリア、スペインからの陸路、空路、海路での入国を「緊急の理由」がない限り認めないこととした)。人の移動の自由は欧州統合の主要な柱の一つであるが、シェンゲン協定以来、数十年をかけて実現し、慣れ親しんできた自由な往来が、文字通り一夜にしてほぼ不可能となり、国境の「遮断機」が復活したことのインパクトは大きかった。例えば、フランスとの間では、国境をまたいで通勤する市民が多数いたが、「通勤」は「合理的な理由」「緊急の理由」とはされたものの、毎回、証明書を提示する必要があり、また、国境通過地点が削減されたため、長い渋滞が生じたり、大幅な遠回りを余儀なくされるなど、関係の市民には非常に大きな負担を強いることとなった。また、ドイツによるこれらの国境管理、入国制限は該当する近隣諸国との事前の協議なしに一方的に導入された模様であり、特にフランス、イタリア及びルクセンブルクからは強い不満が表明された。(ただし、同様の国境管理、入国制限はドイツだけでなく他のEU諸国も導入した。その後、これらのEU近隣諸国に対するドイツの措置は6月にかけて撤廃された。)
 さらに、この前後には、感染状況が悪い近隣諸国からドイツに渡航した人々(例えばRKIによりリスク地域とされていたアルザス・ロレーヌ地方から来たフランス人)に対して生卵を投げつけるなどの嫌がらせが行われたり、侮蔑的な言葉が投げつけられるなどの事例が多数あったと報道されている。戦後75年を経て既に完全に克服されて、過去のものになったと信じられていた近隣国との非常にネガティブな感情が、コロナをきっかけに、いとも簡単によみがえったことは、ドイツにとっても近隣諸国にとっても大きな衝撃を与えた。

3.制限措置の導入と緩和
 ドイツの移動・接触・営業等への制限措置の流れを大づかみに言うと、3月初めの大規模行事の中止の要請から始まり、3月中に、メルケル首相と16州首相との累次の協議に基づいて大幅に強化され、復活祭休暇明けの4月半ばから下旬にかけ一部が緩和され、5月初めに大幅に緩和された(その後も現在に至るまで徐々に緩和が進められている)。この間のドイツ国内での議論をふり返ると、制限強化についても制限緩和についても積極論、慎重論の双方があり、特に厳しい制限が浸透した4月頃からは制限緩和を巡って甲論乙駁の議論が闘わされた。この過程で興味深く感じられた点をいくつかかいつまんで紹介したい。
 まず、ドイツで取られた措置は感染状況がより悪かった他の欧州諸国(イタリア、フランス、スペインなど)に比較して緩やかなものであった。もちろん、①自宅外への外出は本人と家族のみ(家族でない場合は1名のみ同伴可)、②レストランは閉鎖、③店舗も食料品店、薬局、銀行などを除いて閉鎖、などなど、当時の閉塞感、圧迫感は非常に大きなものであったが、それでも、通勤、買い物、スポーツ、散歩等のための外出は一貫して認められており、制限違反に対する反則金も厳しく科されたとは言えない。ドイツで「ロックダウン」よりは「シャットダウン」と呼ばれることが多い所以である。
 また、ドイツが連邦制であることによる影響も大きかった。そもそも、感染予防のための措置については、連邦の「感染予防法」に基づき、具体的な措置(罰則も含む)は各州政府に委任されている。実際には、連邦政府と16州政府との間で(特に節目ではメルケル首相と州首相との会議で)協議・調整が行われ、そこでの合意に基づいて各州が政令を定めて、具体的措置をとる。教育も基本的に州の権限とされているので、学校閉鎖・再開も州教育大臣会議によって議論、決定された。大変に興味深かったのは、制限が導入・強化された3月から4月の段階では、「人命を守る」との大義の下で連邦と州の調整メカニズムが比較的スムーズに機能し、メルケル首相の指導力、調整手腕も大いに賞賛されたのであるが、制限が長引いて閉塞感が昂じ、関係業界からの悲鳴が高まって、4月半ばあたりから制限の緩和が議論される段階になると、連邦と州の間、各州の間で足並みの乱れが表面化したことである。例えば店舗の再開一つをとっても、4月15日の連邦・州の合意では、売場面積800平米以下の小規模店舗のみ営業再開可となっていたのに対し、いくつかの州は面積にかかわらず家具店等の店舗の営業再開を認めた。また、メルケル首相と州首相との会議の前に、次の緩和措置を勝手にブチ上げる州首相も相次いだ。この間に非常に頻繁に使われたのは、「ツギハギの絨毯」(各州のバラ付きを揶揄したもの)、「出し抜き」(州首相の独断専行を揶揄したもの)に当たる言葉であり、2020年の流行語大賞の候補であろう。結局、5月6日の合意により、その後の制限措置は基本的に各州の決定に委ねられることとなり、連邦はやや後景に退くこととなった(ただし、一つの市、郡において過去7日間の新規感染者数が10万人あたり50人以上となった場合には、当該市、郡において制限を再導入するとの「非常ブレーキ」の歯止めがかかっており、また、連邦・州の調整メカニズム自体が無くなった訳ではない)。
 もう一つ特徴的であったのは、制限措置に対して多数の訴訟が起こされ、そのうちの相当数の主張が裁判所によって少なくとも一部は認められたことである(最も訴訟提起が盛んであった時期である5月上旬の報道によれば、その時点で900件弱の訴訟が起こされ、約10%の事案で申立人が全部または一部勝訴したとされる)。訴えの内容は前述の店舗再開に当たっての面積制限、宗教施設での礼拝の禁止、入域者に対する14日間の隔離などなど非常に多岐にわたり、また、行政裁判所のみならず、連邦または州の憲法裁判所などあらゆるレベルで提起された。一般に危機対応は政府(行政)の独壇場と思われがちであるが、ドイツでは司法も重要な役割を果たしたと言えよう。

4.大規模で迅速な経済対策
 経済対策に向けたドイツの動きは迅速であった。既に3月中に総額7560億ユーロ(うち補正予算による支出は1225億ユーロ、新規国債発行額は1560億ユーロ)の最初のパッケージが決定され、また、6月には総額1300億ユーロ(うち補正予算による支出は210億ユーロ、新規国債発行額は617億ユーロ)の第二次パッケージが決定された。これらの対策は、①ワクチンを含む医薬品・医療機器等の開発・製造の支援、病院をはじめとする保健・医療システムの強化から、②中小企業や個人事業主に対する給付金(上限15万ユーロ)や主に大企業を対象とする経済安定化基金のような流動性支援、③操業短縮手当(日本の雇用助成調整金に類似)の要件緩和・支給額引上げのような雇用維持、④付加価値税の時限的引下げ(7月1日から12月31日の間、19%→16%、軽減税率は7%→5%)、「子供ボーナス」(児童手当の対象者に対し一人当たり300ユーロ追加支給)の支給のような需要喚起、⑤電気自動車の促進やAI、量子技術、5G・6G、「水素戦略」の推進のような未来志向の投資、さらには、⑥学生に対する無利子融資や給付金の提供、文化・芸術団体への支援までを網羅する非常に広範なものであり、特に⑤や⑥からは、狭義の「危機対応」にとどまるのではなく、ドイツ経済を長期的に強化し、かつ、社会の基盤である教育や文化をしっかりと維持していくとの意図が看取される。
 一連の経済対策はこれまでドイツが遵守してきた均衡財政からの大幅な転換を意味する。良く知られているように、ドイツは基本法(憲法)によって均衡財政が義務付けられており(いわゆる「債務ブレーキ」)、非常事態に際してのみ連邦議会の議決により例外が認められる。実際に2014年以降、ドイツは新規国債発行を行っていなかったが、今般の経済対策により、総額2178億ユーロの新規国債を発行することとなった。ドイツのGDP(2019年)が約3.3兆ユーロなので、その6%超に当たるものであり、このような思い切った方針転換が短期間で実現したことは、国内の危機感の強さを物語る。
 他方、非常に迅速に決定されたために、実施の段階で問題が生じていることも否定できない。例えば、前述の中小企業や個人事業主に対する給付金は多くの州において「オンライン申請可、早ければ数日中にも給付」という点が「売り」であるが、簡便な手続きを悪用する事例が多数発生しており、報道では7月初めの時点で給付金に関する詐欺事案はドイツ全体で5000件を越え、総額2200万ユーロに及ぶ。また、付加価値税の時限的引下げも、実際に最終的な販売価格に反映させるか否かは各事業者に委ねられているため、事業者によって、また、同一事業者内でも商品によって、対応が異なることがある。
 もう少し大きな観点からは、ドイツの経済対策の規模が他のEU諸国と比べて抜きんでて大きい点も問題となりうる。各国の経済対策を正確に比較することは難しいが、報道(例えば6月25日FT)では、ドイツの対策全体の規模はGDP比約40%、フランス30%弱、スペイン10%強となっている。これはドイツがこれまでの均衡財政のおかげでより大きな「火力」を有していることの反映であるが、強いドイツがより大きな経済対策を打つことで、結果的にはコロナ危機を通じてEU内の経済的格差がさらに拡大することになる可能性が指摘されている。ドイツはコロナ禍の初期に、イタリア、フランス、スペイン等が主張した「コロナ債」に消極的であったが、5月に入って、フランスとともに5000億ユーロに上る「欧州復興基金」を提唱したのも、こうした懸念も影響したのではないかと推測される。

 コロナ対応は極めて多岐にわたるため、書き切れなかった重要なテーマも多い。コロナ対応のコアとも言える医療・保健面での取組から、海外に滞在していたドイツ人の大規模な退避オペレーション、学校・教育分野での措置、やや技術的ではあるが追跡確認アプリ導入など、また、より大きなテーマである医療・衛生上の必要性と経済・社会的利害のバランス、科学(特にウィルス学、感染症学)と政治との関係もある。さらに、コロナ対応のドイツ内政への影響や対EU政策(例えば「欧州復興基金」の提案)への波及もあろう。このようなテーマを通観して感ずるのは、ドイツと日本がかなり似たような問題に直面し、同じようなレベルで苦労しているということであり、これは、やはり、両国が経済大国であり、高い水準の科学・技術を有し、そして自由、民主主義、人権、法治国家という基本的価値観を共有していることによるところが大きいと考えられる。両国がお互いの経験、知見から学ぶ余地も大きいはずであり、コロナという歴史的災禍を乗り越えるため、日独両国の交流、協力が一層強化されることを願わずにはいられない。