余談雑談(第92回)漢字

元駐タイ大使 恩田 宗

 ものを鉛筆やペンで書いていた頃は右手の中指に筆だこができよくそこが痛んだが今はパソコンで全てが楽になった。書き変えも紙面を汚さずに済むので有難い。漢字を書くのも簡単になった。
 ど忘れした漢字や蘊蓄(うんちく)・矍鑠(かくしゃく)など口にはしても手では書けない漢語がすぐ出てくる。日本語の文章の中の漢字の数は減少し続けてきたがそれに歯止めがかかっているらしい。

 漢字は種類が多く読みも多様で複雑である。書きかえとパソコンに打つと変え・換え・代え・替えと出てくる。実質的な違いはあまりありそうに思えずどれにすべきか分らずに迷う。わからずも分ら・解ら・判らと同様である。早い速い・始め初めなどは意味に違いがあるが必ずしも厳密に使い分けられていない。早耳・早食い・早変わりと書き、芭蕉の句にも「五月雨をあつめて早し最上川」とある。森鴎外も小説に「是は(彼)が始めて言った」と書いている。読みは音訓ありそれも一つに限らない。皆・止める・日日・他人の家・その他・故郷をみんな・やめる・ひにち・ひとのうち・そのほか・ふるさとと読んで貰いたいときはルビを振る必要がある。

 漢字に関する決まりの緩さに悪乗りしているのが子供の名付け方である。最近は人気の漢字名に多くの人が集中し他人との差をつけるため変わった読みをしている。心桜は人気上位の女の子の名らしいが、ここあ・ここな・こころ・こさき・こはる・さくら・しおり・しおん・しお・みくら・みさき・みお・みさ・みら・みゆ、などと読ませている。事態はネットを通じ過熱化して止まらないらしい。いずれ混乱のなかから名前読みルールのようなものが形成されることを望む他ない。 

 漢字で歌の表記を試みた万葉の歌人も初めはひねった工夫や無理な使い方をしていて讀むのが難しい。柿本人麿の「東(ひむかしの)野炎(のにかぎろひの)立見而(たつみえて)反見為者(かえりみすれば)月西渡(つきかたぶきぬ)」の「西渡」は「かたぶきぬ」との読が定着しているが「にしわたる」だとする人もいるらしい。万葉集最後の歌人大伴家持の晩期の歌になると「打奈婢久(うちなびく)波流等毛之流久(はるともしるく)宇具比須波(うぐひすは)宇恵木之樹間乎(うえきのこまを)奈枳和多良奈牟(なきわたらなむ)」とほぼ一字一音で貫かれていて読みやすい。家持以後も日本語の書き方は進化を続けた。彼の時代から一世紀半後になると平仮名の伊勢物語や古今集が成立し国風文化が開花した。その頃になると識字層でも万葉集を読める人は少なかったという。学者にしても解読できない歌が多かったとみえ勅命を受けた源順が寺詣でをして「左右」は「まで」だと解いたとの話が残っている。

 維新から一世紀半、今はもう徳川時代の古文書や江戸庶民が楽しんだ草双紙や読本を原本のままで読める人は少ない。その間言葉遣いだけでなく筆記用具が大きく変化したからである。これからはパソコンに頼りになるが日本語の書き言葉に漢字が今より増える可能性もある。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。