余談雑談(第89回)各国首都の名所

元駐タイ大使 恩田 宗

 広重晩年の大作「名所江戸百景」(全百十八図)の冒頭第一図は「日本橋雪晴」である。画面中央に五街道の基点の日本橋、その上に富士山と将軍のいる江戸城、右下に日に千両が動いたという魚河岸が描いてある。絵としてはゴッホが模写した「亀戸梅屋舗(うめやしき)」や「大はしあたけの夕立」に比べると劣るがこの取り合わせがお江戸を表象する図柄だったのである。

 一国の首都にはその国の歴史や国民性を思わせ絵にもなる象徴的な場所がある。北京は広大で荒々しく威圧的な天安門広場、バンコクはメナムに映える金色の寺院や王宮、モスクワは東洋風の専制と過飾を感じさせる赤の広場である。ワシントンでは同名の記念碑の四方に全てが集まっておりパリでもコンコルド広場に立てば街の多くの名所名物が望める。ロンドンは几帳面な作りの見事な議事堂を左に見て王宮周辺までかロンドン橋から眺めるテムズ左岸であろうか。

 東京は皇居前広場だと思う。広場といっても美しい黒松と芝生の和洋折衷の庭園である。正面に白壁の櫓や城壁・城門が見え江戸の昔を偲ばせる。後ろは日本資本主義を体現する堅実な高層ビルが立ち並びその谷間に明治を感じさせる東京駅も見える。冬でも暖かい日は処々にホームレスが寝そべり現代日本の問題も提示している。 

 丸の内側の景観は近年少し変わった。右手の一画を東京会館と日本商工会議所と三菱地所が共同で再開発し150㍍の大ビルが建った。皇居側もNPO「江戸城再建を目指す会」の天守閣再建計画がもし実現すれば一変するかもしれない。家康が立てた天守閣は築後50年の四代将軍家綱の時の大火で焼失し平和な時代に無駄な経費を使う必要なしということで以来360年そのままできた。幕末の広重は勿論のこと松尾芭蕉や新井白石や大石内蔵助や初代団十郎や紀伊国屋文左衛門の見た江戸城も天守閣なしだった。今になっての再建は歴史を貴ぶことだろうか。ディズニー・ランドにはシンデレラ城が不可欠だが皇居のゆかしいたたずまいには伏見櫓と富士見櫓で充分だと思う。

 なお、広重の「百景」は黒船来航の年に初版が出され完結版は五年後で広重はその年病没した。画の全てが間近に迫る世の激変をよそにお伽の国のように泰平無事な江戸風景である。彼のそうした画は良く売れたという。然し「本朝画人伝」(村松梢風)によると利を得たのは版元だけで画料は低く常に貧乏したらしい。それでも彼は湯豆腐は「鯛を塩焼きにして鍋に入れほどよく煮えたところへ豆腐を入れ」て食べ、何も言わず飄然と写生に出かけ何日も家を空けるという生き方で通した。幸い後妻のお安が金策上手なしっかり者で争いはしたが仲は良かった。遺言は「居宅を売り払ひ久住殿の金子を返済」し「本類諸道具売り払ひ何方なりとも立ちのき・・・どふともかって次第身の納まりよろしく勘考いたさるべく候」だった。今生きていたら東京の名所第一図にはどこを選ぶだろうか。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。