余談雑談(第80回)文化財の破壊盗掘

元駐タイ大使  恩田 宗

 ISの暴徒がイラクやシリアの文化財を破壊した。ハンマーを振るって面白そうに壊している映像を見て人間はまだこれほど愚かなものかと失望した。

 パルミラのベール神殿の爆破に至っては悲しいとしか言いようがない。あの神殿は紀元前数十年の建設でAD273年にローマがパルミラを徹底的に破壊したときも辛くも生き延びそれ以後も基督教の教会やモスクなどとして使われた。「隊商都市パルミラ」(小玉新次郎)によると西アジアで最もよく保存されてきた神殿だった。
 
 ISは資金調達の手段として文化財の盗掘密売もした。パルミラはシルクロード貿易で繁栄し最盛期の2~3世紀には彫刻で飾られた地下墓室を盛んにこしらえた。今までに6〇基ほどが発見されており第2次大戦前出土の彫像は多くがルーブルやロンドンのミュージアムに納まり日本にも少数来ている。H・アサド・パルミラ博物館長は動乱後も逃げず現地に留まり2015年8月にISに惨殺された。出土品の仮保管所のありかにつき口を割らなかったかららしい。
 
 盗掘されるのは動乱の地に限らない。新聞報道によると、メトロポリタン博物館は展示中のクメール石像2体が近年の盗掘品だとカンボジア政府に指摘され返還に同意したが同様の石像を所有する他の3博物館はどうするかまだ決めていない。又、インド系美術商が米国に密輸入した2千数百点の古美術品が押収されたが彼はヒンドゥー寺院から11世紀のブロンズ像を盗ませたことでも訴追されている。出所の怪しい品を彼から購入していた2〇に近い博物館のうち返還に応じたのはまだ数館である。

 中国では富裕層や彼等の博物館の旺盛な需要に応えるため洛陽周辺で青銅器などの盗掘に拍車がかかっているらしい。盗掘は買い手があるから行われ貴重高価なものは最終的には米欧の博物館に落ち着く。近年博物館が増えているがその蒐集欲が文化財の保存研究という本来の目的を裏切る結果を招いている。
 
 パルミラはローマとペルシャの間にあって独立の小帝国を築こうとしたため宗主国だったローマに滅ぼされた。当時ローマは北辺を蛮族に荒らされ73年間に皇帝22人が謀殺や急死で交代するという混迷ぶりだった。女王ゼノビアはローマにもう残る力が少ないと見誤ったのである。もう少しその衰退を見守り機会の来るのを待つべきだった。アサド前館長はゼノビアの墓がある筈だとその発見に情熱を注いでいた。ゼノビアは今度は事態を慎重に見極め安全が確認されるまでは隠れ続けるのではないだろうか。ペルシャ的な豪華絢爛さを好み自らをクレオパトラに比していたという気位の高い美女である。その時が来れば眩い姿を現わすに違いない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。