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第48回 歴史教育とアイデンティティー

元駐タイ大使 恩田 宗

 近年各県の高等学校で日本史を必須科目とするようになった。喜ばしいことである。どんな国でも自国の歴史の教育を大切にしている。国民の自国へのアイデンティティーを育み愛国心の涵養をはかるためである。自国の歴史――その輝かしい過去と誇るべき伝統文化、偉人や英雄、遭遇した苦しい試練とその克服、誇るべき勝利と屈辱的敗北からの復活の物語など――についての記憶の共有は人々の国家への帰属意識を高め連帯心と忠誠心を強める。米国のような移民の多い国家や多民族からなる国家では国民の団結を維持する上での歴史教育の持つ意義は大きい。

 島国に住み日本語という孤立語を話す日本人は日本人意識や日本への帰属意識を強く持っている。むしろ視野の狭い愛国主義的な歴史教育は望ましくない。中国で見られるとおり愛国を強調しすぎる歴史教育は国際性のある市民を育てない。日本の歴史教育の問題は近代史について国民的合意のある総括がまだ出来ていないことである。そこをどう教えるか十分な検討が必要である。

 アイデンティティー(Identity)という言葉は古くからあった。しかしこれこそ本当の自分だと心の核心で実感するものを指す心理学用語として初めて使われたのが1959年で、それが時代の問題意識に合致し他の分野でも広く使われるようになったのだという。人も集団も生きるためには統合され安定したアイデンティティーが必要だと考えられるようになった。それの拡散・動揺を意味するアイデンティティー・クライシスは人にしろ集団にしろ問題があることを指摘する際に使われる流行語になった。

 最近の心理学者の中にはそのような固定的なアイデンティティー概念は現実に合わないと主張する人達がいるという。人は不断に揺れて変る複数の「私」を持っていてそうした幾つかの「私」を束ねたものがその人の自己の姿だというのである。「脱アイデンティティー」(上野千鶴子編)によれば「多重人格(は)多元的現実の間を行き来するには適合的人格類型だ」とすら考える学者がいるらしい。

 中東では宗教や民族によるアイデンティティーの違いで殺し合いが続いている。命をかけて守るべきものと受け止められているからである。映画の一場面でアラブの貧しい村の母親が抱いた子に「何処に行っても親兄弟や一族との繋がりを否定してはいけないよ。神様(アッラー)が悪魔(シャイターン)からお前をお守り下さるよう祈ってあげるから勇気を持って生きなさい。」とあやしていた。母親の腕の中で育まれたアイデンティティーは生涯変ることがない。そうしたものをどこまで相対化できるか学校の歴史教育に化せられた課題である。