余談雑談(第116回)文系と理系

元駐タイ大使 恩田 宗

 学問を文系と理系に分けるのは日本だけらしい。旧制高校での教育が文科と理科に分かれていたからではないかという。「文科の発想・理科の発想」(太田次郎)によると文科と理科で学生もはっきり違っていてどちらの学生かすぐ分かったらしい。文科の学生はよく授業を怠けて哲学書や小説を読んでいるか仲間と談論(だべり)にふけっていたが理科学生は数学などは授業に出ないと分からなくなることもあり生真面目な勉強家が多かったという。

 文系と理系の学問は研究対象が人間活動か自然界かで分けられているが一般には数学が必要か否かだと考えられてきた。今でも大学進学の際には数学の好き嫌いで何れかに決める学生が多い。最近は経済学心理学論理学なども数学を盛んに使い理系の地学生物学などは特別な分野を除き数学とは縁が薄いらしいが数学が理系の学問の基礎的な学問であり哲学が文系のそれに当たると言って大きく間違っていないと思う。

 小説「博士の愛した数式」(小川洋子)は引きこもりの数学者の家で働く家政婦が数学と博士の純粋さや魅力に惹かれていくという話である。彼女は素数が「2を除き」全て4n+1 か4n-1(nは自然数)のどちらかに入ると教わり無限に存在する素数をこんな簡単な定式で括れることに感嘆する。数学では命題はできるだけ簡明な定式で表わすのが良いとされるが無限の中の一つであっても例外があれば明記しなければならない。 

 哲学思想も簡明で印象的で叡智が凝固したような言葉で表わすと根拠がそれほど明確でなくても強い説得力を持つ。観音菩薩が全存在は実体なしと悟って述べた「色即是空、空即是色」との断言は仏教信者ではないがそうかもしれないと思う。ヘーゲルの弁証法は弟子達により「万象は正反合の三段階で発展する」と要約された。分かりやすく聞きかじっただけでこれこそ歴史を動かす原理かもしれないと思い込んだ記憶がある。

 人はよく「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言う。十九世紀の英国人歴史家の友人への手紙の中にある言葉である。第一文は原文では「腐敗しやすい」と幅がある。彼はこの二つの文に続いて「偉大な人間はほとんど常に悪人である」と同様に含みを持たせた言い方をしている。人間とそのすることは黒白とはっきり断定し難いものであると考えていたからだと思う。数学的厳密さを求める訳ではないが第二文も「ほぼ絶対に」と例外がありうると含みを残すべきだった。筆が走ったのかもしれない。腐敗追放を唱え絶対的権力を掌握したかに見える習近平政権がこの箴言の例外になりうるとは思わないが。