第112回 恩になった外国人

元駐タイ大使 恩田 宗

 日本はあまり間をおかず明治維新と敗戦後の民主化という二度にわたる政治体制の変革を成し遂げた。国家の大改造を他にあまり例のない手際のよさで達成し得たのは日本人だからこそ出来たことと誇りたいが二度とも外国人の助力或いは強制があってはじめて出来たことである。 

 維新政府は近代国家の建設を政治法制、学術医療、文化教育、軍事外交、金融工業などあらゆる分野において現場で一から西洋人に教わった。彼等を高給(幹部級は大臣並)で招聘し今から思えば驚くほど信頼して帳簿の付け方から始まり全てをその指導にゆだねた。「お雇い外国人」の著者梅渓昇は、彼等の多くは危険や不便や思い通りに行かないやるせない思いに耐えよく日本の為に尽くしてくれた、それを調べていると彼等に対する言い知れない愛着をおぼえる、と書いている。陸奥外相の重用したH・デニソンを陸奥に仕えた石井菊次郎(後の外相)は「天が日本を幸いして天下されたような人物」だと評価している。そうした人物が政府の各部門に何人かいて銅像などにもされたが時とともに大方は忘れられている。お雇い外国人の数はピークの明治6~8年には527人に達し工部省にその4割5分、その他各省に数十人ずつだった。大部分は数年で帰国し後釜には経費節約の為可能な限り日本人を当てたので明治30年頃には大方居なくなった。国民国家の体制造りも終わっておりその頃になると日本は帝国主義戦争もできるようになっていた。  

 敗戦後の日本の非軍事化と民主化は占領軍の総司令部(GHQ)が指令し日本政府が実行した。GHQでは数百人が日本改造の設計図作りに昼夜働いたという。日本政府の方も自から進んで改革を実施したが徹底した日本の改造(大規模な農地改革、指導層を一挙に若返らせた公職追放、象徴天皇と戦争放棄の新憲法など)はGHQが躊躇する日本政府に強要して実現させた。それでも旧体制の完全破壊を望んでいたGHQの理想主義的ニューディール派は中途半端だと不満だったらしい。米ソ対立を背景に日本の国力を温存すべしとの軍事的要請に押し切られたのである。彼等の多くは憤慨・落胆して日本を去ったがその後の日本を見れば役割は充分果たしたと自負してよい。  

 明治の日本は日清・日露の戦争で軍事力を証明し文明国の仲間に入った。世界相手の戦争をして敗れた日本の国際社会への再復帰は日本語に堪能な米国人達が翻訳や執筆・講演で日本の文化・歴史や現状につき世界を啓発してくれたことによって助けられた。中でもE・ライシャワーは米国政府への影響力で、D・キーンはその翻訳・著作の多さ(著作集は500頁本で15巻)で突出している。キーンは晩年日本に帰化し日本で亡くなったが日本人に向けた自叙伝の中で「自分達だけが特別だという確信を日本人のように強く持っている国民は他にない」と書いている。ライシャワーも日本むけの自叙伝で自分達を他に例のないユニークな国民だと考えるところが日本人の最大の弱点だ言っている。日本を知り日本を愛し日本のために尽くしてくれた二人が言うことである。心に銘じて自戒したい。