第109回 日本人のつけるべき英語力

元駐タイ大使 恩田 宗

 どれだけの日本人がどの程度の英語力をつけるべきか種々議論されてきた。

 今世紀の初めに出版された「あえて英語公用語論」で著者の船橋洋一は小渕内閣の「二一世紀日本の構想」懇談会の提言を踏まえこう論じている。英語は今や人類の「共通語」である、ある事を英語と日本語でネット検索したところ得た情報量は件数にして200倍の差があった、日本がこの言語的な孤立から脱するにはエリートだけでなく国民全体が実用に耐える英語力をつける必要がある、そのため英語を第二公用語と定め30年後に国民の30%中央政府職員の50%が日英バイリンガルの多言語国家になることを目指すべきである、と。

 その8年後、日英バイリンガルの小説家水村美苗は「日本語が亡びるとき」を著わし次のように主張した。英語は「普遍語」であり英語に依れば世界が分かり世界に知ってもらえる、日本の開かれた知識人は読み書きを英語でするようになり日本語のものは読まなくなる、日本語は知的活動に関係しない「現地語」に堕してしまう、中学校では英語を週4時間、国語を週3時間教えているが心を作り心の拠り所である「母語」の教育にもっと時間を割くべきである(英独仏では5時間教える)、他方日本は英語で効果的に発信できる人が少なく国益を損なっている、学生の一部を国費をもって英語力ある人材に育てるべきである、教育の悪平等は止めるべきである、と。 

 他に様々な提案がなされてきたが皆宙に浮いたままである。英語教育は開始年齢を下げ英会話教育を加えただけで大きくは変わっていない。その間英語の知的世界での支配力は強まっており科学研究は英語に依らねば前に進めない情況だといい日本の研究者はそれへの適応に時間を奪われているらしい。  

 然し、2020年1月、計量経済学者の佐和隆光はJT紙でこう言っている。論文の英語での読み書きは何とかしてきた、会話も米国で講演などしたお陰でどうやら出来ている、最近は自動翻訳ソフトが進歩したので論文も少し手直しすればそれで間に合う、会話は数年すれば機器で交わせるようになるだろう、英語は学校では読み書きの基本を教えればよく英語学習に費やしている膨大な時間の一部は他に回せるようになる、と。

 日本語は明治に漢字で新単語を創り語彙を豊かにした。昭和の敗戦後はカタカナ語が急増し今は広辞苑の見出しの10%日常会話では30%を占める。国民全てが学校で英語を習うようになったからである。敗戦後の中学校では漢文の授業時間を割き英語学習に振り向けた。今後もし英語学習から他に回せる時間が出ればその一部は日本語を形作る基となった漢文の学習に返すべきだと思う。