第106回 好き嫌い

元駐タイ大使 恩田 宗

 「好き嫌いで決めろ」と題した本がある。東京地検特捜部長を務めた後弁護士やTV解説者として評判をとった河上和雄が書いた随筆集である。論理をいくら積み上げても結論の出ないことがある、そんな時は好き嫌いで決めればいい、と書いている。彼は昔の同僚達から起訴求刑も好き嫌いで決めていたのかと問われ「そうさ」と応じ、あらゆる証拠を冷静かつ客観的に検討するのは当然だがそれでも迷った末の決断は自分の人生観に依るしかない、と言ったという。 

 昔から事の処理に当っては感情を交えてはならないとされてきた。感情は合理的思考を妨げるからである。儒教は感情のまま生きるのは動物で人間は知性を磨き礼や孝の教えを守るべきだと教えた。西洋の哲学はアリストテレス以来論理的思考に依ってこそ真理に到達し得ると考えてきた。ストア哲学などは感情のない人を理想的人間としていた。

 然し感情は人間の根源的な属性である。生き物が取り入れ口と消化器と排泄口しかないような原始的生命体だった時代には目前に来たものを食べるか避けるか逃げるかは生死に関わる選択だった。好き(受容)・嫌い(拒否)の情動は何億年もその有効性が試されてきた機能である。口当たりが良ければ食べ不味ければ吐き出せばほぼ間違いない。感じが良ければ近づき気味悪ければ遠ざかる。怒れば闘争心が湧き愉しめば悩みも薄らぐ。感情は言われてきたほど不合理なものではない。

 感情はまだ学問的に解明されていない。その種類や体系的分類についても定説がない。「好き嫌いの正体」(林成之)によると、目で捕えた情報は脳の前頭前野で理解し判断される前の中途の経路で好き嫌いの感情が付いてしまうという。感情の混ざらない思考はあり得ないということになる。感情は統御の効かない厄介なものでもある。ネット上の人気投票の動態を調べたT・ヴァンダービルトは著書「好き嫌い」の中でこう言っている。人の好みは何故それを好むか理由が分らず、他人の意見や些細な事やその場の状況でも変る、総じてあまり頼りにならないものである、と。然し河上が言っているのは人格の一部として信念化した好き嫌いである。伝家の宝刀と同じで無闇に使うものではないがいざと云う時の頼りにはなると思う。

 「万学の天才」ライプニッツは結婚も与件を理性的に吟味すれば必ず正しい結論を出せるので迷いはしないと言っていたらしい。その彼が独身で終わったことにつき「ライプニッツ」の著者酒井潔は、理性主義全盛のあの時代の学者は彼だけでなく結婚しなかった人が多い、デカルト、パスカル、スピノザ、ボイル、ニュートンなど皆そうである、と弁護する。結婚も最後は好き嫌いで決断すれば容易な筈であるが理性信奉の彼等にはそれが出来なかったのかもしれない。