第103回 墓

元駐タイ大使 恩田 宗

 墓地販売の電話がかかってきた。人は死ぬと多分消滅してしまうので本人に墓は使いようがない。たとえ霊魂が生き続けるにしても物質の館は必要ない。然し生き残る者にとり墓は死者の骨を納め後々訪れ話しかけたり涙したり願い事もする重い意味をもつ施設である。 

 墓の在り方は宗教や時代により異なる。最後の審判で復活するまでは死したままで待てと説くイスラム教では、所により違いはあるが、遺体は共同墓地に土葬し目印の石を置く程度で墓参りの習慣もない。輪廻転生を信じるヒンズー教や小乗仏教では死者の魂は生まれ変わってしまうので遺体は焼いて河に流したり灰を壺に入れ仏塔に預けたりして墓は造らない。古代日本の庶民は河川敷など居住地外辺に遺棄又は埋葬し汚れた所として近づかなかったらしい。そこに石や木製の卒塔婆を建てるようになったのは平安後期で、墳墓に詣でる慣習が定着したのは室町時代になってからだという。石碑の墓が全国的に一般化したのは明治になってからのようである。 

 日本では墓に行けば死者の霊に会えることになっている。「千の風になって」の主人公が「私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません」と断っているのはそれが例外的なことだからである。郷里の寺の両親や祖父母の墓に手を合わせると彼等と思いが通じ合えたような気持になる。死者との意思疎通などということは到達しつつある自身の死生観とは矛盾するが子供の頃身についた考え方が心の底に生き残っていて感情はその方に従うのである。詩人八木重吉(1898~1927)も学生時代に受洗し熱烈な基督教徒となったが生き物についての感覚は仏教徒的でこんな詩がある。(彼の妻がすりみ作りに)「・・・ごりごりいわしを すりばちでつぶしている、なむあみだぶつ なむあみだぶつ・・・」。

 「文化進化論」の著者A・スメディーは、認知不協和(矛盾する考え方を同時に抱くことにより起こる不安)は欧米人に比較し東アジア人にはあまり見られない、人の考え方や行動の違いは育った文化と遺伝に原因し(前者のウエイトが60~50%)、宗教的信念は強力に垂直に伝達される、と言う。人は皆〇〇教徒に生まれてしまうということらしい。それ以後は人それぞれであるとしても。

 日本最大の墓は仁徳天皇陵だが最も華麗なのは奥州藤原三代の墓堂、金色堂(1124)である。清衡は1105年中尊寺建立に当たっての願文にこう書いている。古来官軍や夷虜の戦死者の数は多く屠殺された鳥獣魚介も無量である、故なくして命を失った全ての生き物の冤魂がこの寺の鐘の音で浄土に導かれることを願う、と。清衡も浄土に往生したのであれば普段は金色堂にいない筈である。