竹内行夫著「外交証言録―高度成長期からポスト冷戦期の外交・安全保障」(岩波書店、2022年)

吉川元偉(国際基督教大学特別招聘教授)

 474頁の大著である。しかも中身が濃い。著者は、執筆の動機について、重要な外交政策に関し、「レジェンド」ではなく事実を伝えることが「世代の責任」であるとしている。学者や外交実務家のみならず国際関係に関心を持つ多くの方に読んでもらいたい一冊である。  
 著者の竹内行夫氏は、1967年に外務省に入省し、駐ワシントン特命全権公使、条約局長、北米局長、総合外交政策局長、駐インドネシア特命全権大使、最後に外務事務次官を約3年間務めて2005年に退官した。退官後は2008―13年最高裁判所判事を務めた。
 著者自身、冒頭の「はしがき」において、回顧録は自己弁護や美化に陥りやすいと自戒している。そこで、記者会見録のようなリアルタイムの記録を引用するなどして客観的な「証言録」の作成に努めたとする。この点は、編者が、著者は「徹頭徹尾、ファクトに基づく証言を行った」と「あとがき」で記していることからも分かる。著者は「説明願望」が強いと自分でも認めているが、本書ではそれが政策決定過程の詳細な説明となって活かされ、史料的価値を高めている。
 評者は、著者より外務省入省年次が7年下であり、著者が経済協力局無償資金協力課長時代に首席事務官を、事務次官時代に経済協力局審議官ついで中東アフリカ局長を務めた。有名な「千本ノック」も受けたし、博覧強記ぶりも存じ上げているが、政策にこだわる頑固さと細部を決しておろそかにしない執着心が持ち味だと思う。本書では、著者の持ち味が随所に見られる。
 さて、本書の扱う期間は冷戦期から2005年までの約40年間であり、扱う問題は日本外交の理念、安全保障、米国、中国、北朝鮮、ASEAN、北方領土、国連、ODA政府開発援助、外務省改革など幅広い。本稿では、評者が現役外交官時代に関与した問題を中心に、数点に絞って感想を述べてみたい。

日本外交の理念
 著者は、外交政策の基本は「国際社会に関する時代認識と日本の国家像を基盤にしたリアリズムである」と言う。そして、著者が現役時代に求めた国家像とは「グローバル・シビリアン・プレーヤー」であり「軍事力を国家の力の源とするのではなく、民生国家として国際社会において尊敬され信頼される道義国家」であった。著者の信念は、日本ほどその国益が武力の不行使、核兵器不拡散や自由貿易・気候変動対応などの国際公益と一致する国はないということにあり、日本が歩むべきは国際秩序作りにおいて指導的役割を発揮する「道義国家」の道であり、2000年代初頭には既にそのような国家になっていたと述べている。「人間の安全保障」のもとでの国際協力や、ODAを和平定着のために活用する「平和の定着イニシャチブ」がその例として挙げられる。
 他方、その後の推移を見るとODA予算は減少しており、著者はこれを「戦略的自殺行為」であると嘆き、日本の経済力の低下が外交力の低下につながらないような知恵を絞るべきであると強調する。

国連平和維持活動(PKO)への参加
 著者は、宮沢喜一総理大臣の秘書官として、国際平和協力法案とカンボジアへのPKO派遣に関与した。冷戦後の平和秩序構築のために果たすべき日本の責任と憲法が禁じ国民の支持もない武力の行使というジレンマをどう解決するかが、国際平和協力法案の難しい点であった。与野党対決の困難な国会審議を経て1991年11月にやっと成立した法律であったが、大きな試練は、92年の自衛隊と文民警察のカンボジア派遣後に起きた。93年4月に国連ボランティアの日本人青年が殺害され、5月には文民警察官が殺害された。国内には自衛隊撤収かとの議論もある中、宮沢総理が派遣継続を決定した。その後カンボジアでの総選挙は成功裡に終了し、日本の初めての国連PKO参加は高い評価を受けて終わった。本書は、警察官殺害後宮沢総理が直面した「孤独な決断」について詳細に記録しているが、感動的な内容である。
 評者は、国連政策課長としてカンボジアからのPKO部隊の撤収と新たなPKO参加を担当した。カンボジア派遣以来PKOへの国民的理解は広がったが、現在国連PKOに派遣されている日本の自衛官は僅か4人であり派遣拡大につながっていない。

イラク戦争への対応
 本書の重要な証言対象の一つはイラク戦争である。2003年2月に始まったイラク戦争とその後の中東情勢は、ポスト冷戦期の国際政治上最大の問題の一つである。
 著者は、「イラク問題の本質と米国との対話の真実について書き残しておきたかった」と言う。まずイラク問題の本質はポスト冷戦期の最大の脅威の一つである大量破壊兵器(WMD)であり、日本の取り組みの基本的要素として、日米同盟、国際協調、日本の主体性の3点を挙げる。日本の対応は、先ずはイラクのWMDについて、同盟国で唯一の超大国である米国がネオコン的単独行動に走ることを戒め、安保理による国際協調を主導するよう説得することから始まったとしている。そして、これは、対米追随と言われるようなものではなく、日本の主体的な外交であったと総括している。
 本書は、開戦直前まで3回行われた日米戦略対話での議論内容を詳しく記録している。日本は、米に対し次の3点を申し入れた。(1)外交努力を尽くすべし。そのために安保理を使う。(2)問題の核心はWMD問題であるから「米国対イラク」ではなく「国際社会対(WMDを有する)イラク」という構図で考えるべし。(3)戦争後の統治や復興について検討しておくべし。米がこれらの指摘も踏まえて単独行動から国際協調へ舵を切ったとの評価が記録されている。本書では、日本政府がブッシュ大統領の対イラク最後通告(現地時間2003年3月17日)時点までにイラクの戦後復興を含めて米と協議を進めていたことや、小泉純一郎総理大臣の米国支持表明(3月18日)も詳しく記録されている。
 イラク戦争は、5月には終結するが、その後多くの深刻な問題が発生する。一つは、戦争の根拠であったWMDが実はなかったとの結果が出たことである。この問題について、著者は、日本政府が着目していた国連査察団の報告書が異なる内容であった点に留意している。もう一つは、戦争後のイラクは統治と治安で問題を抱え大きな混乱が起きたことである。著者は、「確かに、イラク戦争によってフセイン独裁政権が打倒されて、その後の拙劣な占領統治の結果、イラク国内が混乱して周辺地域に不安定化要因をもたらしたことは事実だろうと思います」と認めている。
日本は武力行使に参加しなかったが、WMD問題への対処としての米英による武力行使を支持し、その法的根拠としては既存の安保理決議が存在したとする。戦後はODAと自衛隊派遣による人道復興支援活動を行ない、その活動は高く評価されたというが、その間邦人の人質事件が起きたし、外務省の同僚や民間人が殺害された。日本の政策については、著者は日本が何を失い、何を得たのか、客観的な検証をやって欲しいと述べる。

外務省改革
 本件は、著者が次官に就任した際の最重要懸案の一つだった。そもそもインドネシア大使だった著者が急遽外務次官に任命された人事自体が、外務省改革の一環であった。本書は、外務省改革について網羅的に記録しており、特に政治家と外務省の関係部分は有益な教訓に満ちており、是非読んでもらいたい箇所である。
 当時ニューヨークの国連代表部にいた評者が匿名で登場する場面がある。2002年の夏、家族と休暇中の筆者に本省の人事課長から電話があり、詳細は話せないが至急一時帰国して欲しいとの指示であった。ニューヨークの自宅に戻る時間はないので翌日早朝地方空港で成田行きの航空券を買って帰国し、外務省に出頭したところ、川口順子外務大臣は外務省改革の一環として外部の人材を経済協力局長に任命したいと考えているので、評者が内部候補者として大臣の面接を受けて欲しいとのことで驚いた。早速当時次官であった著者から詳しく状況説明を受けて面接に臨んだが、本書を読んで初めて面接に至るまでの全貌を知った。結局すでに候補であった経済産業省の古田肇氏(現岐阜県知事)が局長に就任した。当時この人事については省内でも異論があったが、著者と大臣及び総理官邸との間で行われた種々の議論を知って、そういうことだったのかと納得した。

外交逸話満載
 回顧録は、往々にして自己美化になりかねないという著者の「自戒」について冒頭で触れた。本書に自慢話が全くないとは言わないが、他の人の多くの知られざる業績・貢献にも光を当てていることを特筆したい。その一例を挙げれば、99年、東チモールの圧倒的多数の住民が住民投票で独立を希望する中、インドネシア政府が住民投票結果を受け入れず国際的に孤立したが、その際川上隆朗駐インドネシア大使がハビビ大統領に深夜に至るまでの「友情ある説得」をして、同政府が安保理決議に基づく多国籍軍の受け入れを認めた顛末が記録されている。評者は、当時国連代表部にいて東チモール問題を担当していたので、このエピソードがあらためて日本の外交努力として記録されたことを嬉しく思う。

外交官の仕事と家族
 本書が、外交政策だけではなく、仕事と家族について触れている点も評価したい。一般に外交官、特に大使は、立派な公邸に住み、シャンペン片手にレセプションで談笑している優雅な職業という風に思われているかも知れないが、現実は相当違う。本書は、著者が駆け出しの外交官時代からの生活が描かれており、在外での生活の様子や「社交」の大切さを知ることができる。その中には、ワシントン在勤時に父親の訃報を受けたとの記述もある。
 更に、配偶者と子供たちの役割や苦労についても触れている。著者のインドネシア大使時代に、夫人が20年前のインドネシア赴任当時に学んだインドネシア語を使って文化行事を行なったことや以前の赴任時にインドネシアで出産したことが広く知られて信頼を得たエピソードが紹介されている。転勤の度に転校を強いられる子供たちへの気遣いの気持ちもさりげなく言及されている。多くの外交官は似たような経験をしているので、懐かしくまた嬉しく思う同僚が多いことであろう。

 著者は本書を現役外務省員に読んで欲しいと書いているが、それは若手を含めて省員が自由な議論を通じて政策形成に参画し外交力を強化することを願う切なる思いを示すものであろう。