海外の法学者から見た日本の判例:下田事件判決(Shimoda case)に思う


元広島市立大学広島平和研究所准教授 福井康人

1.はじめに

 もう5年ほど前になるが、私が広島で勤務していた広島市立大学に平和学研究科が設立されて、平和研究所勤務との併任になった。修士課程が先ず出来て、軍縮国際法及び国際刑事法(歴史学から東京裁判等を担当する教員と共同で講義)を担当することになった。当時、大学院で研究を深めたい人がいれば使ってみたい教科書として、旧ユーゴー国際刑事裁判所(ICTY)裁判長を務めたアントニオ・カッセーゼが書いた国際刑事法iの教科書(パウラ・ガイエタ・ジューネーブ国際開発研究大学院准教授が改定した第3版)があった。

 この教科書にも注で関係する判例が多数引用されているが、同書とセットになった判例・コメンタリー集は世界中の国内判例も含めてバランス良く選んであり、両書とも有名な教科書であるii。その中には約125件の国際刑事法に関連する重要な判例が掲載されているが、日本の判例も1件掲載されおり、それがいわゆる下田事件判決(Shimoda case)であるiii。この判決は「原爆訴訟」として有名なので、日本の国際法判例集には必ず出てくるが、同書では各判例について、判旨、国際法の観点からの評価及びコメンタリーの構成で統一した記述がある。また、学習者のみならず教員や実務者側から見ても、客観的に書かれており、読んでいて興味深い。

2.下田事件判決はどう評価されているか

 下田事件判決の内容の詳細については日本語版の判例集にも詳しく出ているので、ここでは読者の便のため簡単に紹介すると、同書では武力紛争法の戦闘の手段の判例に分類され、原爆の使用の可否と言った非常に政治的で難易度の高い論点を包含する判例である。もっとも、東京地裁で争われたのは、米国の原爆投下の被害者が日本政府に賠償を求めて提訴された民事訴訟であり、最終的に原告が敗訴して1963年には結審済みである。

 この判例が世界中で日本の判例として広く知られているのは、判例の論旨であり、その背景には当時の日本の国際法学者の大家3名(横田喜三郎、高野雄一、田畑茂二郎)が鑑定人や証人として参加し、結果として内容的に非常にレベルの高い判決となっている。当初は大阪地裁と東京地裁で訴の提起が行われ、その後に同一訴因なので訴の併合が行われ、東京地裁に統合された。このため地裁レベルの民事訴訟であるにもかかわらず、日本の裁判所の判例で最も広く知られるものとなっており、その証拠に本稿に取り上げた国際刑事法の判例集も日本の判例として唯一取上げている。

 即ち、同判決では、先ず、広島及び長崎における原爆の使用が当時の国際法に照らして合法か否かが検討される。即ち、当時に有効であった1868年のセントピーターズブルグ宣言、1899年の毒ガス禁止ハーグ宣言、1923年のハーグ空戦規則、1925年の毒ガス等禁止ジュネーブ議定書等の条約に違反していなかったかが論じられる。また、新兵器としての原爆の使用の合法性についても論じられ、その上で、実際に原爆が広島及び長崎で使用された点について、関連しうる条文について検討される。それ以外にも、当時の広島と長崎の状況が陸軍の占領に耐えうる防備都市であったか等、同書では判決文から11の論点を抽出して取り上げている。

 その結果、裁判所は、平和条約がそのように規定しない限り、現行の国際法の下では、個人が国家に対して損害賠償請求を国内の裁判所に提訴することはできないとする。更に、日本が独立を回復する平和条約には連合国に対する日本及び日本人の戦争に起因する損害賠償請求権は、戦争状態にあったこと及び米国の主権免除の法理に鑑み放棄されるとしてiv、東京地裁は原告の請求を退けている。この判決では、広島及び長崎への原爆の使用が当時の国際法に照らしても正当化しがたい点について言及しつつも、最終的に日本が戦争に起因する請求権を放棄する平和条約を締結している事実に依拠し、原告の請求を認めなかったことについては、賛否両論の見解が示されている。

3.下田事件判決へのコメント

 ではこのカッセーゼ他編集の判例集では、同判決はどのように評価されているであろうか。コメンタリーでは、下田事件判決は戦争犯罪の重要な特徴、特に文民と戦闘員の区別や敵対行為に関与していない人に保障される保護が取り上げられているにも関わらず、戦闘手段の合法性の問題が条約違反の検討の枠組みの中であたかも偶然に取り上げられているとする。また、米国の違法行為に加えて、1945年の原爆、即ち核兵器の使用については、爆撃を指示・実施した者への責任の帰属の問題が存在するにもかかわらず、この問題は関係者の調査を経れば明らかになるのに、当時の国際法に違反していたかについても取り扱う必要があったとして、国際刑事法の立場から辛口の見解が述べられている。更に、東京地裁が関係者の個人としての刑事責任を問わずに、国家の責任としてすり替えられていると批判的である。もっとも、同裁判が判示した当時の戦時国際法の評価は適切であったと評している。

 同裁判は核兵器による日本の被害者が、米国の裁判所には諸般の事情で提訴が困難であることから、日本の裁判所において日本政府を被告として損害賠償請求を行った民事訴訟である。しかしながら、その判示した内容に一次規則としての国際人道法及びその違反を是正する二次規則としての国際刑事法の論点が正確に取り上げられていたため、国内裁判所の地裁レベルの判例であるにも関わらず、広く注目された。もっとも、ICTYで戦争犯罪者を次々と裁いて来たカッセーゼらには、どうも国際刑事法的な論点には若干の不満を感じていることが伺える。しかしながら、この点は本来の裁判の目的が異なるので、致し方ないものと思われる。

4.結びにかえて

 このように、下田裁判は裁判の本来の趣旨とは別の観点から注目されてしまったが、政治的にも核兵器の合法性等の難問を抱えた裁判に、世界中から注目される判決を日本の裁判所が判示しえたことは評価すべきである。見方によっては非常に冷淡に見えるが、平和条約による請求権の放棄という揺るぎのない法的根拠で最終的には纏めている。昨近の世界の終戦方法にも差があり、一方的な大虐殺に終わったり、過酷な賠償条件を課されたりすることもある。日本の場合も無条件降伏を受入れての降伏であったので、平和条約の条文を丹念に見ると不平等条約的な面も見られるが、致し方ない面がある。

 尤もこの点は、例えば、平和条約で講和が実現している日韓間でもさらに新しく訴訟が発生するなど今日的側面も抱えている事案でもある。更に、核兵器の保有・威嚇・使用の合法性が今もコンセンサスを得て解決しておらず(即ち、核兵器禁止条約は発効しても、核兵器国を初め反駁している国は少なくない)、いかに困難な問題を孕んだ訴訟であったかがわかる。

 毎年8月になると広島及び長崎で平和祈念式典が開催され、総理を始め関係閣僚・議員・知事等も出席する。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」vに基づいて、関係地方自治体の協力を得て、国家の行事として行われているが、これは原爆犠牲者を追悼し、将来に向かって平和を誓うという形で、下田事件では法的に救済できなかった人々を含む犠牲者に対し、国家・国民的な誠意を示す方法であろうと筆者は理解している。

<注>

 ⅰ Antonio Cassese, Paola Gaeta et ali., Cassese’s International Criminal Law (3rd. edition), (OUP,2013), pp.1-414.

 ⅱ Antonio Cassese et ali., International Criminal Law: Cases and Commentary, (OUP, 2011), pp.1-592.

ⅲ  Ibid, pp.132-138. Japan, Shimoda et al V. The State, The Tokyo district court, Judgement of 7 December 1963.

 ⅳ 日本との平和条約第19条第(a)項には、「日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。」と規定している。

 ⅴ 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第41条は、「国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。」と規定しており、同式典は日本政府が国家として実施する行事である。