最近の世の中についての一老人の繰り言 ─日中、日韓関係を中心に─


元駐中国大使・駐韓国公使 谷野作太郎

 昨今の世の中は、長期にわたるコロナ禍は言うまでもなく、外にあってはウクライナ戦争、内にあっては安倍元総理への狙撃と落命など誠に多事多端の情況にあります。

 1年ほど前のことにはなりますが、筆者が往時、インドに駐在していた頃の大使館の「戦友」(今、欧州駐在大使の任にあり)が手紙を寄せ、懐かしげにインド時代のことを振り返りつつ、「コロナ禍の下、大使、大使館として期待される活動もほとんど出来ない。このまま、定年、退職を迎えるのかと思うと・・・」という切々たる内容でした。恐らくこうしたウツウツとした心情は何もこの人だけでなく、世界中に駐在する多くの大使、総領事が共有する思いでしょう。あらためて、この面においても、コロナ禍の罪の深さを思い知った次第です。

 そんな中、以下、筆者が現役時代に深い縁を得た中国と韓国について、両国の日本との関係も含め、これもウツウツとした思いを抱えながら、筆者の思いの一端を書きつらねてみたいと思います。

1.中国について

(1)外務省現役時代、事務方の一員として長年、「中国」にかかわって来た者として、近年の中国の変容、それに伴う日中関係(とくに政治、外交関係)の悪化、劣化は残念でなりません。

 中国の政府関係者(外交部など)によると、「中国の対日政策は全く変わっていない。変わったのは、一方的に中国を悪者に仕立て、官、民、メディアあげて反中を煽る日本の方だ。」と言うのですが、勿論、これはとんでもない一方的な言い草です。

 中国の発展自体について、私たちは何ら異存はない。しかし、その道筋は、日本も含め、アジア、世界から支持され、祝福を受けるものであって欲しい。しかし、現状はどうか。南シナ海、東シナ海での立ち振る舞い、香港、台湾への対応、透明性を欠いたまま膨張を続ける軍事費(もっとも、これは今に始まったことではありませんが)、そして、日本周辺での軍事活動の活発化、・・・。賢明な本稿の読者諸賢には、そのいちいちについて説明の要はないでしょう。世に言う中国の「戦狼外交」、その下での中国の大使館、総領事館のホームページも、中には大変ひどいものがあります。

 今年は、日中(中日)国交正常化50周年。日本では、ここに来てようやく各種の記念行事が開催されつつありますが、これも、今の情況では一過性のものに終わりかねません。

 そこで、私たちは(日本も中国も)、ここであらためて、50年前、両国の国交正常化交渉を通じ、当時の両国の政治の領袖たちは、何を語り、何を約束したのか、ということを思い起してみたいものだと思います。それは、

(1)日中両国の平和・友好・協力関係は、両国の利益であり、アジア、世界の利益である。
(2)日中両国は、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない(日中共同声明第6項)。
(3)日中両国は、アジア・太平洋地域において、覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国、あるいは国の集団の試みにも反対する(日中共同声明第7項)。
(4)歴史を鑑として未来を拓く。

というものでした。

 これらは今日なお、いや今日のような日中(中日)関係であるからこそ一層の重みを持つ言葉だと思います。「反覇権」ということは、時として、ひとりよがりになりがちな世界の大国を拘束するという上でも、有益なメッセージでしょう。

 このこと(「反覇権」)についてはこんなことがありました。かなり前のことになりますが、中国外交部のある高官と面談の折、筆者の方からこの「反覇権」という考え方は、アジアにおいて今なお有効なのではないか、アメリカに対するアジアからのメッセージにもなると述べたところ、先方から「タニノ タイシ。あの時、我々が「反覇権」、「覇権反対」と言い立てたのは、専らあのソ連が念頭にあったということは、あなたもご存知のはず。そのソ連邦が崩壊した以上・・・」と、今や、「反覇権」は用済みと言わんばかり。相手は、外交部で比較的モノ分りの良い人と思っていただけにこれにはびっくりしましたね。

 筆者は、今あらためて、昔、この件で鄧小平氏が述べていたことを思い出しています。

 1978年、日中平和友好条約交渉の時、「反覇権条項」をめぐってもめていた時に、鄧氏は、「“反覇権条項”は、将来、中国が覇権国家にならないためにも必要なのだ」と渋る日本側の説得に当たっていた、ということ。

 その鄧小平氏は、1974年の国連総会でこうも述べていました。「中国は、覇権国家にはならない。もし、中国が覇権国家になったならば、世界の人民は、中国人民と共に、その覇権国家を打倒すべきである。」党の指導幹部終身制の改革を実現したのも鄧小平氏でした。今、鄧小平氏は下界の情況をどう見ているのでしょうか。

(2)日中両国の関係について、あらためて二つのことをお話ししたいと思います。
 第一は、故周恩来総理が中日(日中)関係のガイドラインとしてよく口にした「小異を残し、大同に就く」(求(大)同、存(小)異)という言葉です。
 ちなみに、日本ではよく「小異を捨てて、大同に就く」という言い方がされます。しかし、そのような言い方は、本家、本元の中国にはありません。「小異」は残る、残す(「存小異」)のです。とくにむずかしい外交交渉の末、お互いに70点、80点ぐらいのところで妥協して得られた「合意」には、そのようなものが多い。日中、日韓の関係には、そのようなものがいくつもあります。

 ところが、近年、その「小異」を日中(或いは日韓)双方でいたぶり、これに双方のメディアも参戦し、国民感情も盛り上がるという風がある。大切なことは、残った「小異」を双方で用心深く管理しながら、より高みにある「大同」に就くということだと思います。

 後段でお話しする日韓関係のうち、2015年に得られた慰安婦問題についての合意(決着)のあと、私は、よくこのことを思ったものです。あの時、「不可逆的」、「最終決着」という言葉が日本側でよくよく使われました。これをタテにとって、今後はこの問題で何を言っても、何をやっても(やらなくても)よいのだという当時の風潮が気になった次第です。もっとも、この件については、その後、折角得られた合意を一方的に反故にした文在寅政権のやり方こそ、大いに責められるべきなのは言うまでもありませんが。

 第二は、日中関係について日本の政治家方が語る時、枕言葉としてよく使う「日中両国はお互いに引っ越しできない関係なのだから」という言い方です。今のような情況の両国関係の下、そうおっしゃりたくなる気持ちも分からぬではありませんが、話の冒頭にそう言ってしまっては、そのあと少しは前向き、建設的なことを言ってみても、聞いている側にはすんなりと心に落ちない、メッセージとしても萎えたものになってしまいます。「お互いによい隣人を得たものだ。だから双方力を合わせて・・・」、今すぐそのように言えなくても「引っ越しできない隣人同士」という言い方をもって日中関係を語ることには、ひっかかるものがあります。ちなみに、このことは日韓関係についても同様です。

(3)厳しい日中関係ですが、それでも両国の経済関係は少なくとも数字の上では引き続き順調に伸びているようです(このことは、中国と欧米との関係においても同様)。今後、「経済安保」の中でのビジネスパートナーとしての中国の位置づけという難題が控えていますが、そんな中、これまでのところ、日中経済関係は貿易、投資の面で引き続き高い水準を維持しているようですし、日本企業の海外拠点数も中国が1位。日本企業にとって中国は、現在、今後とも依然「稼ぎどころ」としてナンバーワンということのようです。そんな情況の下、過日(9月末)、日本の経済界の首脳方が中国の李克強首相とオンラインで会談し、双方は、日中の政治、外交関係が冷え込む中、日中両国は重要なパートナーであるとの共通認識の下、貿易や投資の促進などで関係を深めて行くという方針で一致したという報道がありました。中国は、この種の経済界との対話は、欧米とはつとに、かなり頻繁にやっている。そこに、ひとり、日本の経済界の姿だけが見えない(垂駐中国大使の談)と私も聞き及んでおり、今のような日中関係の下、日本の経済界の重鎮方はどうして声をあげないのだろうか?(この点は、韓国との関係でも同様)と思っていたものですから、遅きに失した感はあるものの、ほっとした次第です。

 ところで、ある日本の経済人が、「かつては、中国は日本製品を分解して学んでいたものだが、今度は、日本が中国から学ぶ覚悟が必要だ」とおっしゃっていることを、これも新聞報道で目にしました。たしかに、日本にとって中国は上から目線でなく、水平協力、標語的に言えば、「共創(いたずらに競争ばかりでなく)、共鳴(お互いに刺激し合い、メロディを奏で合う)」の時代にとっくに入っていることを我々は認識すべきです。

(4)最後に、最近しきりに話題になる「台湾問題」についてひと言。

 50年前、日中国交正常化の折、当時の大平外務大臣が述べたことは今日なお依然として有効です。それは、「中華人民共和国と台湾との対立問題は平和的に解決されることを希望する」ということ。

 なお、大平氏は1973年の国会で、「台湾問題の政府統一見解」の中で、前段において、同じ趣旨を述べたうえで、後段では「この問題(中華人民共和国と台湾の対立問題)をめぐっての日米安保条約の運用については、わが国としては、今後の日中両国関係を念頭において慎重に配慮する所存である」とも述べています。

 そんな中、今日の情況は、中国側が台湾に対し「嫁に迎えたい」、「早く“中国”という一つの姓で家庭を持とうよ」と迫るのに対し、台湾側は「今のようなあなたではいや!」(約5割の現状維持派、或いはこれに近年増えてきている3割強の独立志向派を加えると計9割弱、これが今の台湾住民の圧倒的民意)ということになります。それを押し切って、強引に事を進めようというやり方は、「力による現状変更に反対する」という黄金律を盾に国際社会は決して許さないでしょう。

 日本では連日のように「台湾有事」の字句が新聞紙上踊る昨今です。「台湾有事」は「日本の有事」とも。北朝鮮の情況も含め、日本を取り巻く安全保障の環境が厳しさを増す折から、日本としては、国の守りをしっかりしたものにすることは勿論ですが、それと共に台湾問題については、「有事」という事態を回避するためにはやはり、ここは日本として「外交」の出番です。それは、米中対立の狭間で、“Don’t force us to choose between the U.S. and China” と呻吟するアジアの多くの国々、そして「台湾有事」となった場合、その最前線に立たされる沖縄の人たちの願いでもあります。ウクライナ停戦に向けての中国の役割を期待する声も強い。先に(8月)、中国の天津で、秋葉国家安全保障局長と中国の楊潔篪政治局委員(外交担当)の間でじっくり時間をかけた会談が行われたことは(若干、遅きに失した感はありますが)結構なことでした。

 ちなみに、ウクライナ戦争を契機として、あらためて、国連の改革、強化の必要性が叫ばれていますが、実は、この点に関して、日本と中国の間で、1998年、あと味の悪さを残したあの中国国家主席、江沢民氏の日本公式訪問の際、認められた共同宣言の中に「(日中)双方は安全保障理事会を含めた改革を行うことに賛成する」(下線、筆者)と明記されています。またあの時は、中国との関係で、日本の国連安保理常任国入りが最も近づいた時でもありました(中国外交部高官の内話によれば、実はあの時、中国側は、日本の国連常任理事国入りを支持するという案を内々、懐に入れていたのだが、「歴史問題」についての日本側の大変固い対応に会い、結局相討ちになった。残念だったと。一寸、信じ難い話ですが。)。右の共同宣言の部分、中国側は、この立場を今も変更がないのか、一度問いただしてみたいですね。
 いずれ本年中にも日中首脳会談への道が開かれることを期待しています。

 付記:その後、中国では、第二十回共産党大会が開催され、習近平氏が予想通り引き続き当総書記を続ける中、その下での共産党中央の新しいリーダーたちが選出されました。そこでは、習近平氏の衷臣たちが選ばれ、他方、大方の予想を裏切って、李克強氏(国務総理)、胡春華氏(副総理、改革派のホープ)といった人たちが、引退に追い込まれるなど、正直なところ、「習氏はここまでやるか!」というのが大方の感想でしょう。
 新しい党中央のリーダーの顔ぶれについては、これからの中国にとって一番大切な「経済」について、この分野を熟知した経験もある人材が一人も見当たらない、ということが早くも日本のチャイナウォッチャーの間でとり沙汰されています。
 私が、あらためて思うことは、党中央の新しい顔ぶれ、とくにその中の「七人のサムライ」(党政治局常務委員)の中に日本の政治家が人脈を持っている人が一人もいない、ということです。これから少なくとも、今後5年間、日本は隣国として習近平氏の下の中国とつき合ってゆかなければならないのに、と心配がつのります。
 往時の大来佐武郎さん、宮崎勇さんといった方々の朱鎔基さん(国務総理)との濃密な関係、或いは、私が北京で勤務していた頃の野中広務さんと曽慶紅氏(政治局常務委員、ナンバーファイヴ)のこれまた密な信頼関係、これをベースにいろいろと力になっていただいたことを懐かしく思い出す次第です。

2.日韓関係について

(1)日中関係と日韓関係。筆者は、日中関係はお互いに国柄、国の統治の仕方も違うし、頭体も大きい。中国の軍事力も半端ではない。そんな中、これからも各種の摩擦、紛議、はたまた時として対立も避けられない。従って成績表で言えば、今後も目指すところは、B⁺ぐらい。しかし、それでもお互いの利益のため、これがB⁻、C⁺、C⁻・・・とどんどん悪くなって行かないように間断なき対話を進め、双方の努力を通じ、共通の利益に視点を定め、これをB⁺のレベルに維持して行く(今は特に政治、外交関係はC⁻)ということではないか。特に政治がとかく移ろい易い「世論」なるものに流され、易きに就き、これに身をまかせるのが一番よくない、と成績表のこともふくめ内々思って来ました。

 他方、これにくらべ日韓関係の方は(「世論」云々のくだりは同じですが)、よく言われるように日本と韓国は自由、民主主義、法の支配・・・といった基本的価値観を共有する間柄、従って、今のようなCレベルの関係に落ち込んでも、お互いの「政治」の意志がしっかりさえしていれば、これをA⁻くらいのレベルに持ち上げることはそう難しいことではないのではないか、と思って来ました。

 今、両国関係が抱える旧朝鮮半島出身の労働者の問題、慰安婦の問題など「歴史」に起因する問題、そして竹島(韓国側は「独島」と言ってますが)のことについてもそのように思います。更に、日韓には共に対応しなければならない北朝鮮の核、ミサイルの脅威という今日的問題もあります。

 韓国の新政権、とくに尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の韓日関係改善にかける気持ちには強いものがあるように見受けられます。また、この度着任した新駐日大使の尹徳敏(ユン・ドクミン)氏も、韓国のジャパン・スクールのゴッドファーザー的な存在、日本の各界の人脈にも幅広い友人を持ち、熟達の老外交官、この人の手腕にも期待しています。

 しかし、そう述べたうえで、今の韓国の国内情況を考えると事はそう簡単ではない。
 第一は韓国の国会のねじれ情況。議席数は与党115に対して、最大野党は169と単独過半数で、この情況は2024年5月まで続きます(解散なし)。そのような情況の下で、野党は新政権の諸施策に対しことごとく足をひっぱるという挙に出るでしょう。とくに対日政策というセンシティヴな問題について協力の姿勢をとるとは考えにくい。

 第二には、韓国特有のこととして、各種の市民団体の存在。慰安婦の問題については正義連(元挺対協)という団体が有名です。そして、その市民団体の多くは、反政府、反権力。「ここに火がつくと、もうお手上げだ」と韓国の外交部の人たちも嘆いています。

 そんな中ではありますが、両国の政府当局(とくに外交当局)は対話を重ね、諸々の件案について何とか今の迷路に迷い込んだ日韓(韓日)関係をそこから救い出してほしいと願っています。その意味で、過日ニューヨークで岸田総理とユン大統領が短い時間ではありましたが懇談し、両国は今の苦境を脱する方向で努力するという「政治」の意志を確認したことは結構なことでした。

(2)ところで、この際、折角、韓国についてお話しする機会を頂いたことを利用して、別の話題になりますが、筆者が長きにわたるコロナ禍の中、すっかりはまっている韓国の映画について、本稿の読者諸賢に対し、筆者がお薦めする作品を以下にご紹介します。もっとも、日本でも人気の朝鮮の宮廷ものについては、筋立ては面白いものの、面白くするために造り話も多いとのこと。「史実」と「造り話」が混在する中で、混乱させられるのはたまらぬということで、筆者は全く見ていません。他方、韓国の社会派映画(現代の韓国の政治、経済、社会)は、日本の映画評論家の間でも、社会派映画となれば、今や韓国のものが一番とさえ言われています。以下、順不同ですが・・・

(イ)「第五共和国」 これは、20巻に及ぶテレビドラマの大作です。ちなみに“第五共和国”とは、全斗煥大統領時代のことを言います。その後、これを継いだ盧泰愚大統領は韓国の民主化に大きく舵を取り、憲法も大きく変えました。したがって、その後の韓国(大統領としては、盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉・・・)は、憲法は同じ憲法なので第六共和国ということになります。ちなみに、盧泰愚大統領のことは、この「第五共和国」のドラマにも全斗煥大統領に仕えた軍人盧泰愚として、多くの場面で顔を出します。

 話は脇にそれますが、盧泰愚さんについては、すでに次期大統領としてほぼ決まっていたある日、ソウルの大使公邸にお招きしたことがありました。先方は、盧氏お一人。と、宴たけなわに達した時、盧氏は突然、(今夜は愉快だから)高峰三枝子の“湖畔の宿”を歌いたい、と。びっくりしましたね。当時、韓国では、街中のカラオケバーではともかく、表立ったところ、公演などでは、日本の歌曲はご法度、それに盧氏は次期大統領と目される人。そして、場所は日本大使公邸。そこであわてて料理のサーヴに出ていた韓国人のボーイたちに席をはずしてもらい、一同で盧氏の絶唱を拝聴した次第でした。

 この人は、大統領となってからは「ノ・テウ」ならぬ「ムル・テウ」(水のようなつまらぬ人)、個性もない人などと陰口をたたかれたものですが、大統領になって、それまでの強権政治を廃止し、民主化をなしとげ、外交面でもソ連、東欧諸国との国交正常化を実現し、南北朝鮮の国連加盟も実現した。「ムル・テウ」などと言わないで、もっと評価されていい人だと思います。もっとも、大統領を辞めたあとは、この「第五共和国」でもそのシーンが実写で出て来ますが、不正で全斗煥氏ともども牢につながれましたが。

(ロ)「1987 ある闘いの真実」 これもある実話をベースにした作品。お忙しい向きが韓国映画どれかひとつ、二つだけとおっしゃるのであれば、筆者のお薦めは、これと「第五共和国」の第1巻。1979年、朴大統領が遺恨をもった中央情報部(KCIA)部長に暗殺されたあの悲劇的話が中心です。秘密の宴席で、二人の女子学生にギターを弾かせながら寂しげに韓国のポピュラーソングを歌う朴大統領の姿が印象的。この悲劇的事件を伝えられた長女の朴槿恵さん(後に大統領に)の発した最初の言葉が「38度線は大丈夫ですか?」ということだったことも有名です。

ところで、この「1987 ある闘いの真実」は、1987年、韓国の警察当局が延世大学の学生を拷問死させた事件が基になっていますが、ちなみにこの事件の場は、何と、ソウルの日本大使館の裏方にあたるところ。当時、筆者はソウルの大使館に勤務していたのですが、少なくとも筆者は、大使館の近くでそんなおぞましい事件が起こったということは、その際は知りませんでした。今、この警察当局が置かれていた場は、記念博物館(拷問の場もそのまま)になっており、数年前、訪れたのですが、折悪しく休館日に当たり、入ることができませんでした。

 この映画にも韓国の著名な政治家、金泳三氏、金大中氏らが出て来ますが、俳優たちは、あまりそっくりさんではありません。

 なお、先頃、都内の映画館で上映され、なかなかの作品と評判をとっていた韓国の政治をテーマにした映画に「キングメーカー 大統領を作った男」という金大中氏のことを題材にした映画があります。同氏が大統領の座を射止めるまでの手練手管の数々、もっともこれを弄するのは選挙参謀の人で、金大中氏自身は、これに首をかしげつつ、距離を置き続けたという筋立てになっていますが・・・。

 筆者は外務省からハーバード大学(CFIA: Center for International Affairs)で一年間、ゴールデン・イヤアーをいただいた(1983~84年)折、彼とは同じセンターのフェローとして夫婦ぐるみのつき合いでした。その後、韓国へ転勤となったのですが、韓国では彼については、個々人の政治的信条を離れて、その人となりについて良く言う向きは大変少なかった。手練手管を弄する、平気でウソをつく・・・と。筆者はこれに対して「それはそうだろう。日本での誘拐など、あれほどの怒とうの人生を生きのびて来た人なのだから・・・」とかばったものです。その後本省勤務となり、ソウル出張の折、彼の自宅で夫人(故人)の手料理の焼き肉などをごちそうになったことを懐かしく思い出します。

(ハ)「タクシー運転手 約束は海を越えて」、「光州5・18」 いずれも、あの痛ましい光州事件(1980年5月)を題材にしたものです。前者でタクシー運転手を演ずるのは、先の「ベイビー・ブローカー」(是枝裕和監督)で、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した、今や韓国を代表する国際的大スター、ソン・ガンホ。ストーリーは実話で「何か、おとなりの韓国の光州で大変なことが起こっているらしい」と東京駐在のドイツ人ジャーナリストが韓国へ飛び、同記者を光州まで乗せたタクシー運転手(ソン・ガンホ)の助けを得ながら戒厳軍の妨害を受ける中取材を続け、何とか無事ソウルを経て東京に帰ったくだんのドイツ人ジャーナリストが東京から光州事件の痛ましい実情を世界に向けて発信する(映画の最後の方で、まだ存命中のこのドイツ人ジャーナリストが顔を出します)という筋立てです。「光州5・18」は、まさにその光州事件の一部始終を描いたもの。事件は、のちに大統領になった全斗煥陸軍少将が全土に戒厳令を敷く中、主導した。全斗煥氏は、晩年、裁判でこの事件についての責任を厳しく問われることになります。

(3)再び今日の韓国に立ち戻って。日本は、今や一人当たりのGDP、企業の初任給といった面で、韓国に水をあけられつつあります。外国への留学数も半端ではない(日本は激減)。しかし、その結果、今日の韓国社会は「競争、競争」と息のつまるような社会になってしまったようです。その辺の両様の韓国社会の現状について道上尚史大使(韓国で5回、計12年勤務した外務省きっての韓国通。現在、在ミクロネシア連邦大使)は、近著「韓国の変化 日本の選択」(ちくま新書2022.8)で思う存分語っています。一読をおすすめします。

令和4年9月26日記(安倍元総理の国葬を翌日に控え)