広島G7サミットとブラジル(ルーラ大統領)
駐ブラジル大使 林禎二
はじめに
2003年~2010年まで二期に渡ってブラジル大統領を務めたルーラ大統領は、世界の主要国の首脳の中でも、とりわけ外交経験が豊富なリーダーであるといえよう。前政権下で、ルーラ大統領は、北海道洞爺湖サミットを含め計6回のG8サミット(注:当時はロシア含むG8)にパートナー国として出席したほか、2008年のリーマン・ショックに端を発した世界金融危機後のG20の首脳会合への格上げや、2009年の初のBRICS首脳会合開催を主導した。この時期、ブラジルは、ルーラ大統領のリーダーシップの下、コモディティ価格の上昇を追い風として、経済成長を実現すると共に、国際舞台における存在感を向上させた。
ルーラ氏が一度政権を去って12年が経過したが、その間に国際社会は、米中対立、パンデミックやロシアによるウクライナ侵略をはじめ、国際秩序の根幹を揺るがす事態に直面し、歴史的な転換期にある。こうした中で、2023年1月1日、12年ぶりに大統領に返り咲いたルーラ氏は、ブラジルの「国際社会への復帰」を掲げ、積極的な外交を展開している。その象徴ともいえるのが、今年5月19~21日に開催されたG7広島サミットへのルーラ大統領の参加である。これは、ブラジルにとってもルーラ大統領自身にとっても、久しぶりに世界のリーダーたちの考えを知り、対面で会談する機会となった。本稿では、日本外交にとって、ルーラ大統領によるG7広島サミット参加の意義などについて考えてみたい。
ルーラ新政権の外交
まず、ルーラ新政権の外交について見ていきたい。ブラジルの外交政策に関して、ルーラ大統領の就任に伴い、ボルソナーロ前大統領時代と比べてどのような変化が起きたかを一言で述べれば、二つの「回帰」である。
第一に、ブラジル外交の伝統路線への「回帰」である。ルーラ大統領のスピーチやブラジル外務省のプレスリリースを注意深くフォローすると、「国際法の遵守」、「マルチラテラリズム・国連の重視」、「等距離外交」、「相互主義」など、ブラジル外交を伝統的に特徴付けてきた原則が織り込まれている。ルーラ新政権は、これらの原則に立脚し、南米統合やアフリカなど途上国との関係強化を優先課題と位置付けつつも、右派のボルソナーロ前政権下で関係が悪化した中国やロシアとの関係改善を進めている。同時に、アマゾンの保護を含む環境問題や、1月のブラジリアでの暴動を非難することで、環境問題や民主主義を重視する欧米との関係再構築を進めるという非常にしたたかな外交を展開している。
第二に、ブラジルは国連や各種の国際会議で、ウクライナ情勢や環境問題・気候変動など、国際社会が直面する諸課題への対応に積極的に関与することで、主導的な役割に「回帰」しようとしている。これが二つ目の「回帰」である。例えば、昨年11月、ルーラ大統領は次期大統領として、エジプトで開催された国連気候変動枠組条約第27回会合(COP27)において演説し、大勢の熱狂的な聴衆を前に、気候変動対策に積極的に取り組む姿勢を表明し、国際舞台に主役として「ブラジルが戻ってきた」と宣言するとともに、2025年にCOP30をアマゾンに招致する意向を表明した。
さらに、ルーラ大統領は、国際社会が直面する課題に取り組む上で、グローバル・サウスの声をグローバル・ガバナンスに反映させることが重要であり、これらの国々のしかるべき代表性を確保する観点から、現行の国際機関・制度を改革する必要性を訴えている。現下のウクライナ情勢に関しては、安保理が機能不全に陥っているとした上で、常任理事国5か国を拡大していくべき、とのブラジルの伝統的立場を強調している。安保理改革の文脈では、日本にとってブラジルはG4メンバーとして長らく共同歩調をとってきたパートナーであり、本年は共に安保理非常任理事国として連携している。
以上のとおり、ルーラ新政権の外交政策を俯瞰すると、ブラジルが現下の国際情勢において、その存在感や重要性を高めている背景がよく理解できるであろう。
G7広島サミットと2つの視点
次に、ルーラ大統領が参加したG7広島サミットにおいて岸田総理が重視した二つの視点について触れたい。今次サミットは、国際社会が、気候危機、パンデミック、ロシアによるウクライナ侵略といった複合的危機に直面し、歴史的な転換期に開催された歴史的なサミットであった。「分断」と「対立」ではなく、「協調」する国際社会を実現することが、サミット全体を通じた大きなテーマであったと承知している。そのための鍵が、第一に、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を守り抜くこと、第二に、いわゆるグローバル・サウスと呼ばれる国々を含め、G7を超えた国際的なパートナーへの関与を強化することであった。
今次サミットでは、9つのセッションのうち、ルーラ大統領を含む招待国首脳との間で、開発、食料、保健、環境問題・気候変動、エネルギー等に関する2つのセッションに加え、ゼレンスキー大統領も交えた「平和と安定」セッションの計3つのセッションを開催し、例年よりも多くの時間を招待国(非G7各国)との議論に当てた。これは、岸田総理自身が、いかにブラジルを含む国際的なパートナーへの関与強化を重視していたかの証左であろう。この点については、ブラジル政府関係者からも、議論の内容、量からして、過去サミットへの招待と異なる有意義な参加になった、との評価を聞いている。
ルーラ大統領参加の意義
それでは、ルーラ大統領による広島サミット参加には、日本外交にとっていかなる意義があったのだろうか。それは一言で言えば、グローバル・サウスのリーダーを自認するルーラ大統領に対し、国際社会、特に主要国の考えを理解させ、来年ブラジルで開催されるG20に、重要な議論の「土台」を提供した、ということであろう。
第一に、ウクライナ情勢を含む「平和と安定」に対する挑戦について議論したセッション9では、ルーラ大統領は一方的な制裁、特にG7の対露制裁に批判的な立場を表明した。他方で、ブラジルは現行BRICS(注:8月首脳会合で6か国の新規加盟に合意)で唯一、ウクライナ情勢を巡る国連総会決議に賛成票を投じ、ルーラ大統領自らもロシアによる侵略行為は国際法違反であるとして明確に非難している。その上で、対話を重視し、大統領自ら和平仲介構想(いわゆる「平和クラブ」)への参加を各国首脳に呼びかけている。同時に、ルーラ大統領は、中東和平やハイチなど、国際社会が抱えるその他の紛争にも目を向けるべき旨指摘した。
このような構図の下で、岸田総理が重視したのは、招待国とも共有できる共通の「土台」を見いだしていくアプローチであり、この考えの下、国連憲章の遵守や、力による現状変更を許さないといった原則を主張したと理解している。
来年のG20リオ・サミットの議論を予断する時期にはないが、G7広島サミットでの議論や岸田総理が取りまとめた原則は、ルーラ大統領の参加を通じてブラジル側には伝わっており、来年のG20を含め今後の議論の重要な「土台」となるだろう。
第二に、開発、食料、保健、環境問題・気候変動、エネルギー等セッションにおける議論は、来年のG20リオ・サミットの優先課題である「持続可能な開発」に関する議論に繋がっていくことが期待される。
来年のG20サミット開催地のリオでは、地球サミット開催から20年後の2012年に、国連持続可能な開発会議(リオ+20)が開催され、持続可能な開発目標(SDGs)に関する活発な議論が開始された契機となった。同じリオの地で、来年、ルーラ大統領は、環境保護、社会包摂、経済成長の3つの側面から「持続可能な開発」をいかにして実現するかについて議論する意向だ。こうしたG7の議論もまた、来年のG20リオ・サミットに向けた重要な議論の「土台」を提供することになろう。
最後に ― 今後の日ブラジル関係の展望
最後に、ルーラ大統領のG7広島サミット参加を踏まえ、今後の日ブラジル関係の展望について一言述べたい。広島では、岸田総理とルーラ大統領の間で初の首脳会談(対面)が実現し、その一つの成果として、ブラジル人への短期滞在査証免除が実現し、日本人への短期滞在査証免除も維持されることとなった。約200万人の世界最大の在ブラジル日系社会からは歓喜の声が上がっており、日本人ブラジル移住115周年を祝う重要な成果となっている。両首脳はまた、官民で貿易・投資関係を更に高い次元に持っていくことでも一致した。水素、アンモニア、持続可能な航空燃料(SAF)など、両国関係にはさらなる協力の余地がある。
故・安倍元総理の時代に、日ブラジル関係が「戦略的グローバル・バートナーシップ」に格上げされてから約10年が経過しようとしているこのタイミングで、14年ぶりのルーラ大統領のG7サミット参加が実現したことは、日ブラジル関係のさらなる発展・強化の重要な契機になったと言える。1月に訪問した林外務大臣に続き、経済界を含めて既に多くの我が国要人がブラジルを訪問するなど、ルーラ新政権の始動とともに日ブラジル間の要人往来は活気を見せている。そして、本稿で見たように、国際場裡では「G7広島サミットの成果を、G20リオ・サミットに繋げる」という協力の道筋が描かれた。この重要なモメンタムを絶やすことなく、今後の日ブラジル二国間関係の新たな地平を切り拓くべく、引き続き、駐ブラジル日本国大使としての任に励みたい。
(本稿は、執筆者個人の見解であり、所属組織の見解を示すものではない。)