安保三文書の策定と日本外交

  
元内閣官房副長官補・国家安全保障局次長 兼原信克  

戦後日本の外交戦略

 2022年末、岸田政権は、日本史上2本目の国家安全保障戦略を策定し、同時に、初めての国家防衛戦略(かつての防衛計画の大綱)と防衛力整備計画(かつての中期防)を策定した。この三文書が初めて揃って策定されたのは2013年、第二次安倍政権発足当初のことであった。今回が二度目の策定である。
 国家安全保障戦略は、日本の国家安全保障上の最高位に位置する文書である。国家安保戦略の7割は外交戦略である。今次国家安全保障戦略は、現実主義に目覚めた国民からのみならず、米国をはじめとする国際社会からも高い評価を得た。
 第二次世界大戦後、長い間、日本外交はまるで浅瀬にいるウミウシの様に、外からの刺激を受け、受動的にのそのそと動くだけだという批判を受けてきた。しかし、実際には、戦後日本の外交戦略は明瞭であった。
 宰相吉田茂が、日本独立と同時に日米同盟を選択し、米国の力を借りて冷戦開始と朝鮮戦争に対処し、旧軍勢力の政治的復活を排除しつつ新軍の自衛隊を立ち上げた。そして奇跡と言われた経済復興を成し遂げて、経済大国への道を開いた。
 岸信介総理は、日米同盟を確固たる同盟の形に仕切り直し、日本本土の共同防衛(5条)のみならず、朝鮮半島、台湾島、フィリピン群島といった日本周辺の旧日本領、旧米国領を、米軍が在日米軍基地を使って守るという地域防衛協力の仕組みを整えた(6条)。また、直接外交とは関係がないが、岸首相が取り組んだ国民皆保険制度は、日本の経済大国化と同時に福祉国家を実現し、マルクス主義が唱える革命や階級闘争と言った急進的思想を急速に色褪せさ、日本の思想的分断を阻んだ。
 その後、79年のソ連(ロシア)によるアフガン侵攻後の新冷戦では、レーガン米大統領の盟友となった中曽根康弘総理が、日本は「西側の一員」であると明言した。90年代、ソ連崩壊後に表面化した北朝鮮核危機に対しては、橋本龍太郎総理、小渕恵三総理が日米ガイドラインを改定し、重要影響事態法(当時は周辺事態法)を策定して、日本周辺の有事における対米軍後方支援を可能にした。
 01年には、米国を襲った9.11同時多発テロ事件を受けてNATO軍がアフガニスタンになだれ込むのを見た小泉総理が、テロ特措法を制定し、急遽、海上自衛隊の護衛艦をインド洋に派遣した。海上自衛隊の補給艦は、アフガニスタンに向けて爆撃機を発進させ或いはトマホーク巡航ミサイルを発射している米海軍艦船等に給油作戦を実施した。当時、護衛艦5杯を派遣した日本艦隊は、米艦隊に次ぐインド洋第二の艦隊であった。
 そして、15年、平和安全法制の制定によって、安倍晋三首相が、日本の存立を危うくするような危機的事態においては、日本は集団的自衛権を行使し得るとの新しい憲法解釈を打ち出した。危機に際して日本が後方支援をするよりも、集団的自衛権を行使する方が、抑止力が向上して紛争を未然に防ぐことになるという合理的な考え方であった。
 このように戦後日本は、少なくとも外交戦略に関する限り、西側の一員という明確な戦略的選択の上にあった。その後、厳しい55年体制下の思想的分断に苦しみながらも、節目、節目に登場した戦略観ある大総理たちが、日本の対米同盟政策を、少しずつ現実主義に、また、米国に対して対等な形へと持ち込んでいった。
 今世紀に入り、日本外交は、さらに新たな彩りをくわえた。価値観の外交である。第一次安倍政権下の麻生太郎外務大臣の「自由と繁栄の孤」構想、さらには、第二次政権下の安倍晋三総理の「自由で開かれたインド太平洋」構想が打ちだされ、内外の高い評価を受けた。80年代のODA外交の時代、90年代の(自衛隊による)国際貢献の時代を経て、21世紀に入ってからは、日本外交は価値観外交の時代と言われるようになった。

「基盤的防衛構想」の失敗と最初の国家安全保障戦略

 しかし、残念ながら、戦後日本の外交戦略は、防衛戦略、軍事戦略と統合されていなかった。外交と軍事は車の両輪であるが、それを繋ぐ車軸がなかった。なぜなら日本政府は、70年代の三木総理時代に、決定的な間違いを犯したからである。それが「基盤的防衛力構想」である。私が外務省に入省した5年前(76年)に書かれた文書である。自らが力の真空となって地域を不安定化しないように必要最低限の防衛力を整備するというのがその骨子である。その結果、防衛費はGNP1%とされ、自衛隊はソ連と数か月北海道で戦うだけの実力を持っていればよいとされた。
 外交官になったばかりの私は、当時、どうしてこんな考え方がまかり通るのか理解できなかった。国民に対するまやかしに見えた。この強烈な違和感が、私を外務省で安全保障政策の道を歩かせる一因となったように思う。
 戦後国際秩序において、侵略戦争は否定され、自衛戦争だけが許される。それが国連憲章の定めるところである。自衛戦争に必要な防衛力は、相手の軍事力に比例する。脅威対抗こそ、戦略的思考の根本である。もとより、日本は戦後、日米同盟を締結したのであるから、日米同盟を始めとする西側の軍事力と、敵方の共産圏ブロックとのグローバル、リージョナルな軍事バランスが前提になる。NATO及び日米韓豪といったユーラシア大陸海浜部の西側諸国と、ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮という東側の共産圏ブロックとの戦略的バランスの中で、日本周辺地域の安全保障環境を睨み、日本がどれほどの防衛力を揃えれば安全なのか、地域の安定は守られるのか、それを考えるのが本来の国家安全保障政策である。
 2013年の国家安保戦略において、ようやく基盤的防衛力構想と一線を画し、日本の安全保障環境を客観的に分析し、潜在的な脅威を特定し、外交(D)、情報(I)、軍事(M)、経済(E)の総力を挙げて、紛争が具現化しないようにするという戦略的な考え方がとられるようになった。「百戦百勝は善の善に非ざるなり」と唱えた孫子の教え通り、外交優先の国家安保戦略が書かれ、かつ、想定される脅威に対して、日米同盟が維持する地域の安定を前提に、我が国を守るために必要な防衛力を整えるという当たり前の防衛戦略がとられるようになった。
 当時は未だ、日本と経済規模があまり変わらなかった中国であるが、既に、南シナ海の軍事化や、スカボロ―礁(比)の強奪、尖閣諸島周辺海域での執拗な実力行使などを始めていた。第一次国家安全保障戦略では、日米同盟が掲げる価値観を重視して、日米欧豪といった西側の団結を維持し、インドを戦略的パートナーに迎え入れるとの外交戦略を立てたが、当時から陰の主役は中国であった。
 同時に、防衛大綱においては、冷戦中の対ソ連(ロシア)戦を念頭に置いた北海道戦、或いは、90年代の朝鮮戦争を念頭に置いた対米軍後方支援から、更に、台湾有事を念頭に置いた南西方面重視の戦闘態勢への変貌がくっきりと表に出てきた。北海道と九州以外の戦車はすべて双輪の装甲車に装備替えして軽量にし、機動性を上げるとともに、長崎の相浦には小規模旅団規模の水陸機動団(水機団)が立ち上がることになった。
 この後、2018年には防衛大綱が再度改定されるが、その際には、反撃能力の獲得が承認され、戦後初めて、JASSM等の空対地中距離ミサイルが導入された。

今次、安保三文書の特色

 今次、岸田政権の安保三文書は、これまでの安保三文書を更に一段と発展させたものとなっている。第一次国家安保戦略策定当時から、日本周辺の安全保障環境は、急速に悪化した。中国の経済規模は日本の3倍となり、米国の経済規模の75%にまで達するようになった。その軍事費は25兆円となり、米国の3分の1、日本の5倍となった。習近平主席は、世界最強の国となり台湾を回復するとの野心を隠さなくなった。実際、習近平氏は、香港の自由を圧殺し、南シナ海島嶼の軍事化を進めてきた。今や中国は、アジアのみならず広く国際社会の警戒心を煽っている。また、隣国、北朝鮮の核開発はとどまるところを知らない。
 これからの日本が、特に関心を払わなければならないのは、台湾有事である。もともと「一つの中国」という言葉は同床異夢であり、中国はあくまでも台湾を自分の領土の一部と思っているし、日清戦争で日本に奪われ、蒋介石の逃げ込んだ台湾島は回収するべきものと信じて疑わない。
 これに対して、日本と米国は、中華人民共和国と中華民国という事実上二つの中国があるけれども、「一つの中国」という法的虚構の下で、代表政府を台北から北京に切り替えただけであって、中国による台湾の武力併合までは認めていないという立場である。しかも李登輝総統による民主化以降の台湾は自由の島である。米議会は、台湾が独裁中国に武力併合されることなどあってはならないと思っている。
 この同床異夢は、中国が軍事的に弱体である間は壊れることはなかった。しかし、中国の実力がここまで大きくなってくると、日米同盟は、台湾戦争に辛勝することはあっても、最早、開戦を決意した習近平主席を止めることができない。今、初めて、一つの中国の同床異夢が破られ、日米両国が守ってきた台湾海峡の平和と安定が破られるかもしれない状況になっているのである。
 それを止めるのは、西側の団結しかない。最近、NATOに日韓豪NZのIP4の首脳が呼ばれるようになった。伝統的にロシアに近かったインドを西側に引き込んでクワッドの枠組みが機能し始めた。AUKUSも立ち上がった。ユンソニョル政権に代わった韓国とも日米両国の戦略的関係が深化し始めた。英国がCPTPPに加入することになった。
 しかし、米国のアジア太平洋戦略の要が日本であることは変わらない。日本の腰が砕ければ、日韓比豪泰というバラバラの国を「ハブ・アンド・スポウクス」のように束ねただけの米国の太平洋同盟網は機能を停止する。在日米軍基地と日本のサポートがなければ、米軍は戦えない。
 習近平氏は、同氏が3期目の任期を終える2027年までに台湾併合の軍事的準備を終えておくように指示したと言われている。米国は、中国を外交のガードレール内に押し込もうと懸命であるが、同時に、米軍は万が一に備えて着々と準備を進めている。岸田総理が、5年以内のGDP2%の防衛費増加を支持されたのは偶然ではない。10年かけるような時間的余裕はないのである。
 今回の国家防衛戦略(防衛大綱の名称がようやく改正された)の目玉はたくさんあるが、先ずは、反撃力の本格的導入であろう。安倍総理が決断された中距離ミサイルの導入が本格化されることになった。攻勢作戦は米国に任せ、日本は防勢作戦に徹するという「盾と矛」の役割分担から大きく踏み出したのである。
 米国は、INF条約に縛られて地上配備の中距離ミサイルを保持してこなかった。中国は既に2000発以上のミサイルの照準を日本に合わせている。このミサイルギャップを埋めなければ、日米同盟の抑止力は大きな脆弱性をかかえることになる。それは400発のトマホーク購入というような次元の話ではない。中国が日本本土へのミサイル攻撃を思いとどまらせるほどのミサイル勢力が必要である。現在予定されている12式ミサイルの改良と延伸に加えて、弾道ミサイル、極超音速ミサイルを数千発揃える必要がある。
 続いて、兵站の強化と基地の強靭化である。自衛隊に弾が無いという話は、自衛隊の決定的な弱点の一つである。また、北海道での対ソ連戦を中心に考えてきた自衛隊は、南西方面に大規模な弾薬庫を持たない。さらに、自衛隊基地にしても、重要な指揮通信系統の中枢や、高価な戦闘機や哨戒機が青空に置かれたままである。重要施設の地下化や、戦闘機の掩体を準備することは焦眉の急である。
 最後に、サイバー防衛に関しては、岸田政権下での国家安全保障戦略策定以降、能動的サイバーセキュリティを含むサイバー防衛隊の本格的立ち上げが始まったが、数万から数千人のサイバー軍が、平時からハッキング、逆ハッキングに鎬を削るのが今日の国際社会である。自衛隊は、完全に蚊帳の外にある。憲法21条問題や関連法制の改正、日本のサイバー空間全体の監視を可能とするデータセンターの設置、総理官邸へのサイバーセキュリティ局の創設、政府クラウドの創設、クリアランス・システムの創設など、まだまだやるべきことは山ほどある。