外交関係樹立70周年-日本とカンボジアの包括的戦略的パートナーシップ


駐カンボジア大使 植野篤志

1.はじめに
 私は2023年1月初旬にプノンペンに着任した。本稿執筆時点(2023年6月初旬)では着任からまだ半年も経っていないが、日本の大使ということでどこに行ってもカンボジアの人々から温かく歓迎され、各種イベントに参加する私の姿がほぼ毎日のように当地の主要メディアで報じられるため、すっかり有名人になってしまった。フン・セン首相をはじめとするカンボジア指導者へのアクセスも極めて良好なため、他国の大使からは羨ましがられている。しかし、これはべつに私に限ったことではなく、歴代の日本大使が皆さん経験してきたことではないかと思う。
 かくも親日的なカンボジアと我が国との外交関係は1953年に樹立され、今年が70周年に当たる。この機会に日カンボジア関係の70年の歩みを振り返るとともに、両国関係の現状を御紹介し、その上で今後を展望してみたい。

(写真)ODA案件の署名式の様子を大きく報じるカンボジア現地紙

2.日カンボジア関係70年の歩み
 日本とカンボジアの交流の歴史は、確認できるだけでも江戸時代初期の17世紀前半まで遡ることができ、それ以降も様々な交流があったが、両国間に正式に外交関係が樹立されたのは1953年1月9日である。
 翌1954年にカンボジア政府は対日戦争賠償請求権を放棄し、1955年に日本はシハヌーク殿下を国賓として招待、その際、日カンボジア友好条約の調印や衆議院によるカンボジア感謝決議の採択が行われた。両国関係はその後も1960年代にかけて順調に発展したが、1970年代と80年代はカンボジア内戦の影響により一時的に停滞した。
 現在の極めて良好な日カンボジア関係を形作ったのは、なんといっても1980年代末から1990年代初頭にかけてのカンボジア和平とその後の復興プロセスにおける日本の積極的な関与である。カンボジア和平と日本外交の関わりについては、河野雅治大使の「和平工作」や今川幸雄大使の「カンボジアと日本」などの著作に詳しく紹介されているし、その頃のことをよく御存じの方も多いと思うので詳細は省くが、カンボジアの和平・復興プロセスにおいて日本が大きな役割を果たしたことは、UNTACの明石康代表のお名前やUNTACの活動中に2名の日本人(中田厚仁氏、髙田晴行氏)が犠牲になられたこととともに今でも多くのカンボジア人が覚えている。日本はその後もカンボジアにおける平和の定着、民主主義の発展、そして経済社会開発のために数々の支援を行ってきた。そのことも多くのカンボジア人が知っており、私がカンボジア要人と会談する際にはほぼ全ての相手から日本の貢献に対する謝意が表明される。これは有名な話だが、カンボジアで日常使われている500リエル紙幣には日本がODAで建設した二つの橋(きずな橋、つばさ橋)が日の丸とともに描かれている。また、カンボジア和平プロセスの総仕上げとして日本が主導的な役割を果たしてきたクメール・ルージュ裁判も昨年9月に裁判プロセスが全て終結した。

(写真)ODAにより建設された2つの橋が日の丸とともに描かれている500リエル紙幣

 日本の支援の成果だけではないが、カンボジアは内戦終結から今日までの30余年でめざましい発展を遂げた。特に首都プノンペンは高層ビルが林立し、ピカピカの高級車が走り回る近代都市になっており、久しぶりにカンボジアを訪れる人は、この国のあまりの変化と発展ぶりに目を見張るほどである。
 現在の極めて良好な二国間関係とカンボジア人の親日感情を語る上で日本からの支援と並んで忘れてはならないのが、外務省の諸先輩方を含む日本人の貢献である。フン・セン首相は、日本人との会見の中で、海部俊樹総理以降の日本の歴代総理大臣との交友をしばしば紹介するし、1991年4月に当時の小和田恒外務審議官と東京のホテル・ニューオータニでカンボジア和平の進め方を巡って激論を交わしたことも懐かしそうに話してくれる。今川幸雄大使、篠原勝弘大使という2人のカンボジア専門家を含む歴代大使の功績も大変大きなものであると日々実感している。多くの先輩方の御努力のおかげで今の良好な二国間関係があり、私をはじめ在カンボジア大使館員が気持ちよく仕事ができることに、この場をお借りして厚くお礼申し上げたい。

3.日カンボジア関係の現状
 日本とカンボジアとの関係が外交関係樹立以降、概ね順調に発展してきたことは既に述べた。そうした中で今年の70周年を迎えたわけだが、中でも昨年は日カンボジア関係にとって特別な年だった。それは岸田文雄総理とフン・セン首相がともに相手国を2回ずつ訪問し、1年間に4回も首脳会談が行われたからである。そして、昨年11月の4回目の首脳会談において、70周年の今年から両国関係を「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げすることが合意された。
 では、70周年を迎えた今、日カンボジア関係はどのようなものになっているのだろうか。
 日本側がODAをはじめ民間投資やNGOの活動などを通してカンボジアの経済社会発展を支援する一方、カンボジア側もかねてより国連安保理改革や北朝鮮による拉致問題の解決など、日本が重視する政策について日本の立場を一貫して支持してくれている。近年でも、カンボジアは「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」に対する支持をASEAN加盟国で初めて表明してくれたし、昨年末に改訂された日本の国家安全保障戦略に対する支持もいち早く表明してくれた。
 ここ数年で協力関係が急速に進展しているのが防衛・安全保障分野である。昨年は、2月にフン・マネット陸軍司令官(フン・セン首相の長男で次期首相候補)が訪日し、4月に山崎幸二統合幕僚長(当時)がカンボジアを訪問したほか、3月と11月の2度にわたり海上自衛隊の艦船がシハヌークビル港に寄港した。今年に入ってからも2月に吉田圭秀陸上幕僚長(現統合幕僚長)がカンボジアを訪問したのに加え、3月と4月の2度にわたり海上自衛隊の艦船がシハヌークビル港に寄港した。
経済面では、1991年には輸出入合わせてわずか16億円に過ぎなかった日カンボジア間の貿易額が、2022年には3,217億円と200倍以上の規模になっている。カンボジアに進出する日本企業も、2010年には50社だった日本商工会(JBAC)の会員が2022年には252社と5倍以上に増加した。日本企業による投資も活発で、最近だけでも、イオンモール3号店のオープンや住友電装による第3工場の稼働、豊田通商によるトヨタ車組立工場の設立等、大型の案件が幾つも成立している。
 人的往来の面では、日本からカンボジアを訪れる人の数は、カンボジア側の統計によればコロナ禍前の2019年には年間20万人を超えていた。カンボジアにおける在留邦人数も、2010年の889人から2022年の3,363人へと4倍近く増加している。カンボジア人の訪日者数は、日本政府観光局の発表によれば、コロナ禍前の2019年は年間28,492人で、その10年前(2009年)の3,008人から9倍以上に増加している。最近では経済的に余裕のあるカンボジア人はこぞって日本に観光に行きたがるし、従来からの留学生に加え、カンボジア人の技能実習生・特定技能実習生も増えている。また、法務省統計によると、2022年6月末時点で在日カンボジア人は18,356人である。コロナ禍で一時停滞した日カンボジア間の人的往来は今年に入って復活しつつあり、2016年に就航したものの新型コロナウィルスの影響で運休したままになっている全日空(ANA)のプノンペン・成田直行便の再開が強く期待される。
 文化面では、日本の上智大学、早稲田大学、東京と奈良の文化財研究所などが、アンコールワットやバイヨン寺院といったカンボジアが世界に誇る遺跡の保存・修復に長年協力しており、この点でも日本はカンボジアの人たちから深く感謝されている。さらに、1993年の東京での国際会議を契機に設立されたアンコール支援国際調整委員会(ICC)は本年で30周年を迎え、仏と共に共同議長を務める日本の存在感は引き続き大きい。

4.外交関係樹立(日カンボジア友好)70周年記念事業
 次に、今年日カンボジア外交関係樹立70周年(日カンボジア友好70周年とも言う)を迎えるに当たり、どのような周年事業が行われているのかを御紹介したい。
 まず、70周年に先立ち、昨年11月の日カンボジア首脳会談において、外交関係樹立70周年のロゴマークが発表された。

(写真)日カンボジア首脳会談の際の70周年記念ロゴマークの発表(内閣広報室提供)

 今年に入り、1月9日にプノンペンの日本大使公邸で記念式典を開催し、その場で両国の首脳間、外相間で祝賀メッセージの交換を行った。東京でも1月10日に、日本アセアンセンターにおいて外交関係樹立70周年開始式典が開催された。
 1月18日には、林芳正外務大臣が歌手で女優の南野陽子氏に対し、「日・カンボジア友好70周年」親善大使を委嘱した。南野さんは1989年にテレビ番組のレポーターとして訪問したことをきっかけにカンボジアに関心を持ち、2013年には番組ロケでカンボジアを再訪、さらに昨年、自ら作詞した「明日への虹」をカンボジアの風景などを背景に歌うミュージックビデオを制作した。そのビデオが総理秘書官の目にとまり、昨年4月のフン・セン首相訪日の際に岸田総理主催夕食会の場で披露したところ、フン・セン首相が涙を流して感激したというエピソードがある。
 その南野親善大使は2月にプノンペンを来訪し、武井俊輔外務副大臣とともにフン・セン首相を表敬したほか、当館が国際交流基金及びCJCC(カンボジア日本人材開発センター)と共催した「絆フェスティバル2023」において「明日への虹」を披露してくれた。

(写真)絆フェスティバル2023で「明日への虹」を歌う南野陽子親善大使

 70周年記念事業としては、カンボジアで開催されるものだけでも、このほかに日本映画祭、日本語スピーチコンテスト、日カンボジア友好70周年記念オンライン・レクチャーなど様々なイベントが既に実施されており、これから年末にかけても数多くのイベントが予定されている。

5.日カンボジア関係の展望
 私は現地のメディアから、「包括的戦略的パートナーシップ」への格上げの意味と、日本はこのパートナーシップの下で何を目指すのかという質問をしばしば受ける。それに対する私の答は、「日カンボジア関係を二国間のみの文脈で捉えるのではなく、また、どちらか一方が他方に対して何かをするという関係ではなく、地域や国際社会の共通の課題に日本とカンボジアがパートナーとして手を携えて取り組むというのが包括的戦略的パートナーシップの意味するところであり、この新たなパートナーシップの下で、日本とカンボジアは地域や国際社会の平和と繁栄のためにこれまで以上に積極的に取り組んでいくべき」というものである。
 こうした関係を象徴するのが、今年1月、ウクライナの地雷除去要員に対して日本とカンボジアが共同で地雷探知機の使用方法などの訓練を実施した取組で、これは国際社会からも高く評価された。このプロジェクトは、地雷除去分野での長年の日本の対カンボジア支援があって初めて可能になったものであるが、カンボジアは今ではウクライナに限らずイラクやコロンビアなど第三国に対して地雷除去支援を実施している。また、日本が初めて本格的に国連PKO活動に参加したのがカンボジアであるが、カンボジアは今ではPKO要員の派遣国となっており、2006年以降これまでに延べ8,000人以上を国連PKO活動に参加させている。平和構築分野で日本とカンボジアがパートナーとして協力できる余地は大きいのではないかと思う。

(写真)ウクライナの地雷除去要員に対する日カンボジア共同訓練の様子(JICA提供)

 経済面でも、カンボジアはメコン地域の中心に位置し、タイとベトナムを結ぶ南部経済回廊が国土の真ん中を貫いている。したがって、これまでも取り組んできたようにODAを活用してカンボジア国内の連結性を高めるとともに、日本企業によるカンボジアへの投資を増やすことは、単に二国間の経済関係の発展に役立つのみならず、メコン地域全体の発展にも大きく貢献するものである。
 我が国としては、外交面でも経済面でも、カンボジアの地域社会及び国際社会への関与を後押しすることで、カンボジア自身の発展を促すとともに、日本とカンボジアが名実ともに包括的戦略的パートナーであり続けるよう、引き続き取り組んでいくべきであると考える。

6.おわりに
 これまで日カンボジア関係の70年の歩みを振り返るとともに、現状及び今後の展望についてポジティブなことを書いてきたが、もちろん課題がないわけではない。カンボジアでは、今年7月に5年に一度の国民議会(下院)の総選挙が行われるが、それを前に最大野党「蝋燭の火党」の立候補登録が認められないなどの事態は、懸念を持って注視する必要があり、民主主義の定着に向けて粘り強い取組が必要である。また、外交・安全保障政策の面でも経済的にも中国のカンボジアに対する影響力が非常に強いことは紛れもない事実であり、その点を踏まえて我が国の対カンボジア政策をどう立案し、実施していくべきかも難しい課題である。さらには、一時日本のメディアを騒がせたカンボジアを拠点とする特殊詐欺グループの存在等、日本の治安に直結する問題もある。
 紙幅の関係でこれらの課題にどう対処すべきかをここで説明することは控えるが、これまで書いてきたとおり、カンボジアは世界でもまれにみる親日国であり、外交・安全保障政策上も経済面でも我が国のパートナーとして重要な国である。そのようなカンボジアとの関係を今年の外交関係樹立70周年を機に更に発展させ、強固なものとしていくことが自分に課せられた使命であると、今、改めて強く感じている。