北極と地球温暖化―課題とポテンシャル


前北極担当大使 鈴鹿光次

 北極担当大使を拝命するまで私は北極には馴染みが少なく、そもそも地球儀を真上から北極点を中心に眺める機会もなければ、北極圏に実はペンギンは生息していないことも知らなかった。しかし北極圏は地球温暖化の影響による環境変化を大きく強いられる地域であり、北極圏の温暖化自体、地球環境全体に影響を及ぼす。北極と地球温暖化、その課題とポテンシャル、日本の取組みについて概観する。

1 北極圏とは

 北極圏(Arctic)とは、北緯66度33分以北の地域とされる。地球の自転軸である地軸が地球の公転面に対して66.33度傾いているので、北極圏では真夏には太陽が沈まず(白夜)、真冬には太陽が昇らない日(極夜)が1日以上あることとなる。北極圏の人口は約400万人、北極圏に領土を有する北極圏国(Arctic States)は米国、カナダ、デンマーク(グリーンランド)、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの8カ国(Arctic 8)である(第1図)。

2 北極圏の課題構造

 一般的に南北極域の氷は地球全体の気候変動を緩和する緩衝材として機能している。それは夏季に極域の気温がある程度上昇した場合であっても、その熱量は氷の融解に費消され、融解した水の温度は0℃に保たれるからである。氷が水に融解する際の融解熱は約80カロリー/グラムと大きく、これは0℃の氷1グラムを0℃の水に融解する熱量をもって0℃の水1グラムを80℃まで熱することができることを意味する。従って、これまでは夏季に極域の氷が多少融解したとしても次の冬季にはまた氷に凝固していたので、極域の氷が大きく融解・減少するといった近年の状況は余程の事態である。
 近年、特に北極圏では温暖化が急激で、北極海の海氷や沿岸地域の永久凍土や氷床、氷河の融解が加速度的に進んでいるとされる。IPCC海洋氷雪圏特別報告書は、今世紀半ばまでに9月の北極海で海氷がほとんど存在しなくなる可能性を指摘している。第2図の俯瞰写真は1979年9月と2011年9月の北極海の海氷の様子を写したものであるが、海氷域が大幅に後退していることが見て取れる。しかし海氷域の水平的後退もさることながら、それに伴い、海面下の海氷が融解して大きな体積の海氷が消失したことがより重要である(海氷と海水の密度の差から、海氷の9割弱は海面下にある)。米・英の科学者による調査によれば、1970年代に比し1990年代の北極圏全体の年平均の海氷の厚みは約43%減少した。

 これらの急激な変化は①地球温暖化の加速、北極圏やその周辺の生態系の破壊、先住民の生活への負の影響といった深刻な課題を突き付ける一方、②海氷の後退に伴う北極海航路の利活用、天然資源開発への道を開くものとなる。このような北極圏の課題とポテンシャルは国際社会の関心を喚起し、③各国は北極圏における活動や北極圏を目指す活動を活発化させ、④ひいては北極圏をめぐる安全保障環境にも影響を及ぼすことが予想される。

3 北極圏における温暖化のフィードバック・サイクル

 2021年5月公表の「北極評議会(Arctic Council)」の作業部会の一つである「北極圏監視評価プログラム(Arctic Monitoring and Assessment Program: AMAP)」報告書によれば、北極圏の温暖化は地球平均の3倍の速度で進行し、1971年~2019年に地球全体の平均が1℃上昇したのに対し、北極圏では3.1℃上昇した。温室効果ガスによる気温の上昇の結果、北極圏における気温上昇は北極海の海氷後退等をもたらし、このこと自体が更なる北極圏の温暖化を促進するという温暖化の正のフィードバック・サイクルの存在が指摘されている。正のフィードバック・サイクルを形成するメカニズムとして、例えば次のようなものが指摘されている。
① アイス・アルベド・フィードバック
 アルベドとは地球への入射光の総量に対する反射光の総量の割合であり、地球が入射光を全て反射すれば100%、全て吸収すれば0%とされる。新雪のアルベドは80%程度、海水面は20%程度であるので、気温上昇による北極海の海氷融解により海面積が増加するとアルベドが低下し、温度上昇が更なる海氷融解を促進するとの正のフィードバックが発生する。因みに、海氷と海水の密度の差から、海氷の融解は海面上昇をもたらさないが、陸上の氷雪融解は正味の水の海への流入を増加させるので海面上昇の原因となる。
② メタン・フィードバック
 北極圏の海底及び陸上凍土には、低温・高圧下でメタンガスと水の化合物であるメタン・ハイドレートが蓄積されており、温暖化に伴い融解して大気に放出される。メタンの温室効果は二酸化炭素の少なくとも23倍であるとされ、気温上昇によるメタン放出が更に気温上昇をもたらすという正のフィードバックが看取される。
③ 波のフィードバック
 夏季に海氷融解によって開水域が生じる。開水域には波が発生し、波は海氷を砕き、海氷の融解を更に促進する。

4 北極の航路・資源開発

(1) 北極海航路
 第2図の北極圏海氷域の衛星データ写真では、2011年9月には海氷はかなりの程度融解し、欧州からアラスカ北方海域には海氷が看取されない。船舶による航行可能な期間は年々増加しつつあるといえる。北極海を通航する航路はロシア北方沿岸を経るルート(Northern Sea Route)、アラスカ、カナダ北方沿岸を経るルート(Northwest Passage)、更に将来的に海氷の融解が進んだ場合に想定される北極圏を横断するルート(Trans-Polar Route)がある。現在、通航実績が進んでいるのは主にNorthern Sea Routeであり、アジアと欧州地域を結ぶ最短航路(南回り航路21,000Kmに比し13,000Km)であること、マラッカ海峡、紅海付近の海賊多発海域を避けることができる点において有望視されている。
 ロシア北極海航路局(NSRA)等の統計によれば、北極海航路の利用実績は2014年には398万トンであったものが、2019年には3150万トンにまで増加している。更に、2018年5月のロシア大統領令には2024年までに輸送量を8,000万トンにまで増加させる計画が明記されている。航路利用を促進するためロシア政府は沿岸諸港等インフラのリハビリ、世界最大の砕氷船団の維持・更新を図る一方、北極海航路が通過する水域はロシアの内水、領海、伝統的な歴史的水域及び国連海洋法条約に基づく排他的経済水域の何れかに該当すると主張し(米国、欧州諸国の一部はこのロシアの主張に明示的に反対)、2013年1月には事前申請による通行許可、ロシア砕氷船の先導、水先案内人の乗船を義務付け、2017年12月からはロシア管轄下の領域内において採掘された天然資源の輸送、天然資源調査等にはロシア船籍船の使用を義務付けた。
 このようにロシアが北極海航路の利用を促進したい一方、通航には厳しい規制を課す背景には、安全保障上、極めて機微な北極海に外国船を入域させたくないか、あるいはさせる場合であっても自国の厳格な管理下に置きたいとの思惑があるように思われる。将来的には有望な北極海航路ではあるが現状ではロシアの規制に加え、次のような数々の課題が指摘されている。
・海氷融解が進んでいるとはいえ、当面の間、船舶通航の季節は夏場に限定される。
・北極海航路には濃霧の発生や予測困難な氷山・流氷等のリスク要因が多い。
・北極海航路を航行する船舶は堅牢な船殻構造を要するため、単位当たりの造船コストが高価となる。また、浅い水深の航路通航や海氷回避等の必要性から大型船舶は適さないので、規模の利益が十分活用できない。なお、極域を航行する船舶は、航行の安全と海洋環境汚染予防の為に設けられたIMOの「海域における船舶運航のための国際基準(Polar Code)」(2017年1月1日発効)の適用を受ける。
・海難事故の場合には救助用施設・基地が極端に少なく救難・救助活動が制約を受ける。
・海難事故によって石油等の汚染物質が流出した場合、温暖な海域に比して汚濁除去作業が困難で、特に海氷に付着した汚濁物質の除去は極めて困難である。

(2) 資源開発
 米地質調査所(US Geological Survey)が2008年に発表したところでは、北極域の大陸棚には未発見の原油の13%(900億バレル)、天然ガスの30%(1,670兆立法フィート)が賦存し、北極域に最も大きな領域を有するロシアにとって有望な資源である。一方、従来、ロシアの主要資源地域であった西シベリアの原油生産はピークを過ぎており、ロシア政府は北極圏の資源開発を重視している。日本にとっても北極圏のエネルギー資源の利活用はエネルギー調達と通航ルートの多角化を図り、併せ、北極圏におけるプレゼンスを強化する上で有益である。
 ロシアの北極圏における主要な資源開発プロジェクトにはロシアの共同企業体JSC Yamal LNGが2014年にロシア北極圏のヤマル半島北部で開始したヤマルLNGプロジェクトがあり、ロシアのノヴァテク(50.1%)と仏トタル(20%)、中国石油天然気集団(20%)、シルクロード基金(9.9%)が資本参加し、日本の日揮、千代田化工、仏Technip FMC社がJVを組み、設計(Engineering)・調達(Procurement)・建設(Construction)(EPC)コントラクターとして参画した(出典:千代田化工HP)。年産1,650万トン。
 ロシアのノヴァテクは続いてギダン半島北極LNG2プロジェクトを推進中であり、これにはロシアのノヴァテク(60%)、仏トタル(10%)、中CNPC(10%)、中CNOOC(10%)に加え、日Japan Arctic LNG B.V.(10%)が参加している(出典:三井物産HP)。年産1,980万トン。

(3)米欧による対ロ制裁
 米欧諸国は2014年2月のウクライナ騒擾、3月のロシアによるクリミヤ併合に対し対ロシア制裁を科した。ロシアによる石油生産ポテンシャルのある分野として大深水(米500フィート、EU125m)、北極海(米)、北極圏(EU)、シェール層開発に必要な資機材について禁輸措置が実施され、後にサービスにまで制裁が拡大された。ここで興味深いのは石油ポテンシャルを標的としながら、天然ガスを対象外としている点である。背景には制裁によりロシアの天然ガスに依存している欧州諸国にも損害が及ぶことを回避しようとしたとの事情があったものと考えられている。現在、ウクライナ情勢の緊迫化により、ロシアが自身に敵対的な欧州諸国に対し天然ガス禁輸を行う可能性が懸念されている。

5 北極のガバナンス

 大陸上に氷雪が積もる南極では南極条約等の包括的条約レジームが設立されているが、北極は海氷雪に覆われた海洋であるので、国連海洋法条約等の既存の国際法を適用すべきというのが北極海沿岸国(AC5)の立場である。日本をはじめ多くがこの立場を支持している。
 北極海のガバナンス上、最重要機関である北極評議会(Arctic Council)は1996年9月、オタワ宣言によって設立された(第4図)。北極評議会メンバー国(AC8)は①北極海に面する米、ロシア、カナダ、デンマーク、ノルウェーの5カ国(AC5)と②北極圏に領土を有するフィンランド、アイスランド、スウェーデンの3カ国(AC3)の8カ国、他に6つの先住民団体が常時参加団体である。他にACの活動に貢献するとACが認定した③日本を含む13カ国、④政府間・地域間・議員間組織14団体、NGO6団体が現在オブザーバーとして登録されている。北極評議会はいわゆる国際機関ではなくハイレベルフォーラムとしての位置づけであり、宣言、勧告、計画、指針等の法的拘束力を有しないソフトローでガバナンスを行うことを基本とし、意思決定はAC8のコンセンサスで行う。オタワ宣言には北極評議会は軍事安全保障を扱ってはならない旨明記されている。
 2008年5月、AC8のうち沿岸国AC5だけがグリーンランドのイルリサットで「北極海会議」を開催し、AC3からは不満が表明されたが、「北極海のガバナンスには新たな包括的国際法レジームは必要ない。」旨を再確認した。

6 日本の北極政策

(1)基本方針
 日本は強みである科学技術を生かし、①研究・観測、②国際協力、③持続的な利活用の3つの分野を中心に取り組みを推進し、主要プレイヤーとして国際社会に貢献するとの基本方針に基づき、北極評議会をはじめとする多国間の枠組みにおける取組、関係諸国との対話を通じ、法の支配に基づく自由で開かれた秩序確保に努力している。また、安全保障分野を含め北極における各国動向を注視している。脆弱な北極の観光・生態系や先住民の経済社会基盤の持続性に配慮しつつ、北極海航路や資源開発に関する経済的可能性を併せ探求している。
 政策面では日本は2013年、北極評議会のオブザーバー資格を獲得し、北極担当大使を任命した。2015年には「我が国の北極政策」を総合海洋政策本部で決定した後、2018年「第3次海洋基本計画」において北極政策について初めて独立の項目を設け、主要政策として位置付けた。

(2)具体的取り組み
 日本の研究者・政府関係者は、北極評議会に設置される次の6つの「作業部会」に積極的に参加し、研究・観測データを広く共有する努力によって関係者国から高く評価・信頼されている。
① 北極圏汚染物質行動計画作業部会(ACAP:Arctic Contaminants Action Program)
② 北極圏監視評価プログラム作業部会(AMAP:Arctic Monitoring and Assessment Program)
③ 北極圏植物相・動物相保存作業部会(CAFF:Conservation of Arctic Flora and Fauna)
④ 緊急事態回避、準備及び反応作業部会(EPPR:Emergency Prevention, Preparedness and Response)
⑤ 北極圏海洋環境保護作業部会(PAME:Protection of Arctic Marine Environment)
⑥ 持続可能な開発作業部会(SDWG:Sustainable Development Working Group)

 2021年5月、第3回北極科学大臣会合が日本とアイスランド共催で東京にて開催された。北極科学大臣会合は米国の主導により2016年9月に初回会合が開催され、北極に関する研究観測や主要な社会的課題への対応、先住民団体との科学協力の促進を目的としている。北極関係の国際フォーラムは他にも北極サークル、北極フロンティア等、大小様々なフォーラムが数多く設置されており、政府関係者や研究者が参加している。
 令和3年度には、砕氷機能を有する北極域研究船の建造が開始され、就役後は北極域研究・観測プラットフォームとしての活躍が期待される(建造費約335億円)。

 日本の研究機関は共同して、次のような複数年にわたる研究プロジェクトを継続して実施してきている。日本のプロジェクトの水準の高さは、例えば2015年に国立極地研究所と東京大学が共同で実施した北極の海氷予測が、世界の各機関・個人の予測値の中で最も精度が高かったことからも伺える。

GRENE 北極気候変動研究事業(2011年~2016年)
 北極域における温暖化増幅メカニズムの解明
 全球の気候変動及び将来予測における北極域の役割の解明
 北極域における環境変動が日本周辺の気象や水産資源等に及ぼす影響の評価
 北極海航路の利用可能性評価につながる海氷分布の将来予測

ArCS北極域研究推進プロジェクト(2015年~2020年)
 気象・海氷予測向上のための観測網最適化
 グリーンランドにおける 氷床・氷河、海洋、気候・環境 変動の研究
 北極気候に関わる大気物質の動態解明
 北極域における海洋環境変動の実態解明と低次生態系や 気候学的な影響の評価
 北極域に関連した気候変動の予測可能性評価
 北極生態系の変化把握
 人文・社会科学的観点から北極域の将来予測に貢献

ArCSⅡ北極域研究加速プロジェクト(2020年~2025年)
 先進的な観測システムを活用した北極環境変化の実態把握
 気象気候予測の高度化
 北極域における自然環境の変化が人間社会に与える影響の評価
 北極域の持続可能な利用のための研究成果の社会実装の試行・法政策的対応