余談雑談(第162回)日本語の誇り

元駐タイ大使 恩田宗

 ロダンの「考える人」は低い台に前屈みに座り右腕の肘を左膝に置き指を曲げて口に当てている。 あの姿勢は窮屈で長くは続けて居られないが思考を象徴する像として広く親しまれている。考えるということは人間特有の行為で動物はよくしない。思考は情動と異なり言葉を必要とするからである。

 我々は日本語で考える。習得困難で効率悪く見栄えがせず確立した文法もないとの批判から英語か仏語に取り替えてはと論じられたこともある。しかし金田一晴彦は、①日本語はごく普通の言語で大学の講義もでき一応のレベルに達している②話者数も中国語や英語には及ばないが独仏より上の6位である③語彙も豊かで欧州の諸語に劣らず微妙なニュアンスの伝達も可能である④日本人が創ったもので日本人の心の表現に最も適しており「気にやむ」「気まずい」等の「気」などという翻訳不可能だが便利な言葉も備えている、と弁護している(新版「日本語」)。

 テキスト ボックス明治神宮が米国の大学教授に明治天皇の和歌の英訳を依頼し日英両語の百首を並べて印刷出版した。 「あはれなりけり」はis touchingで「こひしかりけり」はis recalled with fondness と、大和言葉の柔らかな感触までは訳しきれていないが、そもそも異言語間で言葉の肌合いまで訳すことは不可能である。日本語が特別変わった言語だということにはならない。D・キーンは晩年の著書「私が日本人になった理由」の中で、日本文学は「世界に冠たる文学である」と説き、「100年先の」日本の「皆様」に「日本語こそが日本人の宝物と信じて疑いません。ぜひ守ってください。これこそは私の一番の願いです。お願いします。」と訴えている。

 万葉集はローランの歌より300年先立つ詩集であり、源氏物語はカンタベリー物語より400年前に書かれた小説である。日本語は自信をもって誇っていい言葉だと思う。

(本稿は一般社団法人霞関会会報令和5年5月号に掲載されたものです。)