余談雑談(第160回)ジャーナリズムと真相究明
元駐タイ大使 恩田宗
2019年12月2日の国際版NYT紙は「デリーのジャングル王子」と題し2ページ半の記事を掲載した。インドのアワド太守国(一八五六年英国が併合)の王子と称しニューデリーの森に隠棲していた男(Cyrus Cと略称)についての報道でジャーナリズムというものについて考えさせられる記事だった。
話は1970年代前半に遡る。Cの母親(Wilayat Wと略称)はアワドの太守妃だと名乗り同国の旧都ラクナウの宮殿や離宮をインド政府が返還してくれるまで居座ると言ってニューデリー駅のVIP室に長女・C・従者数人・犬と共に住みついた。十年近く居座った後、困惑した政府が提供した市内の森の荒れた離宮に移り外との接触を断った。時と共にW一家は伝説と化しシクロの運転手が王族の住む館だと客に指さす様になった。
2016年、C(当時60歳台Wは死去)から同紙記者エレン・バリー(Eと略称)に取材に応じるとの誘いがあり彼女は伝説を記事にできると喜び館を訪ねた。Cの話にあやふやな処があり九か月間やり取りし裏を取るためラクナウの関係者やカルカタのアワド太守の子孫に会った。皆がCの話はウソだと答えたが本人は言い分を変えなかった。
翌年、Eはロンドン駐在になったが一旦始めた調査を中途で止める気はなかった。転勤直後Cが病死したと聞くとインドに飛び無人の館に侵入し書類を探し、W一家がニュースを求める外国プレスにウソの話を売っていたこと、シャヒッドという男から少額の定期的仕送りを受けていたこと、を知る。シャヒッドを英国の工業都市のインド人街に訪ね、年老いた彼がCの兄、Cの本名はMickey、父はラクナウ大学の記録係、従姉妹2人がラクホールに居る、と聞き出した。同市の貧民街で彼女達を見つけたがEに向かって「Wとは親しかったが手紙もくれなかった。W達が言っていたことは全てウソだが皆死んだ。そのままにしてやって欲しい。神は彼等を許している。私たちも許すべきだ」と訴えた。
哀れな一家が生きるため生涯かけて守ったウソを何のために暴こうとするのかと問われたのである。Eは、記者にウソをつき通せると思われては腹が立つ、記者の使命は真相の究明である、それをするなとは犬に吠えるなと求めるに等しい、と言う。ジャーナリストの気概・根性である。社がEに3年半も取材させ紙面を二頁半もさいたのは売れればペイするとの経営判断である。慈悲に無縁なこの二者では「そのままにしてやろう」とはならない。人間は好奇心が強い。新聞はそれに応えて事が起こると真相を究明し報道しているが調査される者にとっては残酷なことになり得る。
(本稿は一般社団法人霞関会会報2023年4月号に掲載されたものです。)