余談雑談(第143回)顔

元駐タイ大使 恩田 宗

 毎朝鏡で顔を見る。顔は己の存在の看板で人はそれを見てこちらを識別し評価する。一日で変る筈はないが念の為チェックするのである。若かった頃はもう少し何とか成らないかと思うことがあったが目鼻などの基本的造作は親からの戴きものである。全く別の顔に換えてしまいたいとまでは思わなかった。 

 顔の作りは洋の東西で異なる。香原志勢(日本顔学会初代会長)はモンゴロイドとコーカソイドとでは先ず頭蓋の形が違うと言う。前者は正四角形の箱型で両耳を除き顔は縦の正面に張り付いているので真横からはそれが誰かは分らない。後者の場合は底面が細長い二等辺三角形の箱で顔は鼻を中心に左右二面に折れて載っている。そのため横の30度後ろ側から見ても顔の半分は見える。古代オリエントでは人物を皆真横から描いておりへレニズム以降の西方世界の帝王は自分の横顔をコインに刻ませている。貨幣図鑑を見ればアレキサンダーが父親似でありクレオパトラの鼻梁が高いことが分る。ルネッサンス期の肖像画には真横のものが多いが性格も見事に描けている。東アジアでは斜め前からが殆どで真横の肖像画は見たことがない。英語でプロファイル(横顔)は「履歴」も意味するが日本語の「横顔」はその人の「知られざる一面」ということになる。

 美人についての見方も東西で異なる。外交官領事官試験の第一期生の堀口九万一(堀口大学の父)は、東洋では嬌や艶を表に出さない端正静淑な容貌の女性を美人とするが西洋ではポンパドール夫人が「表情(の)早き動き」で人を魅了したように美人には整った容貌に加え艶美に変化する表情が不可欠だ、と書いている。欧州に長年在勤しベルギー人女性と再婚しメキシコでは侠気ある行動で同国議会の感謝プレートに名を刻まれた人である。古い先輩だがその豊かな知識経験から説くところは今の世にも当てはまると思う。

 香原が行った東アジア人と米国人の表情実験では前者は顔の他の部分を動かさずに片眼つぶりや片眉上げができなかったという。遺伝的に顔面神経を左右別々に操作できないからで練習しても上達しないらしい。女性に意のあるところを知らせる時日本人はウィンクでなく表情を変えず流し目をする。市川崑は外国人の監督から「日本人の無表情はとてもいい、無表情でいてどうしてあれだけ複雑な表現が出来るのか」と羨ましがられたという。

 顔のつく花の種類に朝顔の他昼顔・夕顔・夜顔とある。山上憶良が「朝貌の花」を歌っているが今の朝顔とは別のもので秋に咲く綺麗な花らしい。当時「朝がほ」は寝起きの顔を意味しきぬぎぬの別れの際の女性の顔を意味することが多かったという。綺麗な花の名前になる程であるから男を見送る際の天平の女性の朝の貌は余程美しかったに違いない。