余談雑談(第131回)階級的偏見と人種的偏見
元駐タイ大使 恩田 宗
コルシカ島出身の砲兵将校ナポレオンはルイ16世処刑後の11年間の政治的混迷の中を駆け上がりフランスの皇帝に即位した。当時のヨーロッパの王侯貴族は階級意識が強く彼が皇帝になっても「成り上がりのコルシカ人」と見下していた。ナポレオンは彼に対するそうした階級的な偏見を彼等との戦争で圧勝することにより打ち破った。皇位の継承を考え子の生めないジョセフィーヌと離婚して欧州第一の格式を誇るオーストリア皇帝に長女マリー・ルイーズとの結婚を申し入れ受け入れさせた。皇后は身分違いで領土の簒奪者でもある男との縁組みを屈辱だとして大反対したが帝室と帝国の安泰のためにはそれが最善の選択だった。18才の美しい皇女は意を決し涙を流して受入れ、国民はこれで戦争は避けられたと喜んだ。
階級的偏見はインドなど数少ない国を除き階級制度そのものが崩壊しておりあまり問題とならなくなった。しかし人種的偏見と差別は米国の「黒人の命も大切だ」運動に見られるように依然大きな問題である。日本でも在日コリアンヘのへイト・スピーチは酷いものらしいが逆に日本人も人種的偏見の被害者であった。20世紀前半の米国ヘの日本人移民は出っ歯のジャップと嘲笑され入国・滞在や教育・雇用や不動産の所有・賃貸などでの差別・排斥に苦しめられた。敗戦後は高度成長を成し遂げ民族的イメージは改善したが1993年になっても映画 「ライジング・サン」で描かれている米国進出企業の曰本人重役はペコペコお辞儀をしながらその裏で人を裏切るずる賢い男で会社の警備は日本人マフィアに頼み社内にコールガール用の部屋を持つセックスマニアである。映画を観た日本人がSNSに書いた感想文に「何時になれば米国映画に変な曰本人が出てこなくなるのだろうか」とあった。
スピノザは全ての存在は存在し続けようとすると言っているが人種的偏見も一度定着するとなかなか消えない。戦争や革命により一挙に変わることはあるが忍耐強く時間をかけてなくす努力をして行くしかない。
或る神戸の老舗の骨菫商が語った話である。コルシカを訪れナポレオンの遺品だという軍帽を危ぶみながらも2千ドルで手に入れ年末恒例の東京オークショ ンに出品したところ現地で出会った横浜の骨董商もナポレオンの三角帽を出品していて比べて見ると二つは全く同じ品だったという。当然のことで買手は付かなかったが、同じオークションに彼等のものより相当古びさせてはあるが寸分違わぬものが出品されていた。その帽子には皇帝がセントヘレナで海に落しそれがブラジルに流れ着き云々と帽子がたどった数奇な運命を日英両語で紹介した説明書が付いていて周到な根回もあったのか111万ドルもの高値で落札されたらしい。二人が驚いていると出品者の代理人だとして壇上に現れたのは現地で彼等を親切に案内してくれたイタリア人で二人と目が合い手を振り合ったもののあっという間に消えてしまったという。この話を聞いた後で「日本人がイタリア人の詐欺師にかなう筈はない」と言い合ったらしいがそれが人種的偏見である。そうしたとこから直して行かないと人種的偏見はなくならない。
(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。