余談雑談(第127回)お悔やみ欄

元駐タイ大使 恩田 宗

 新聞には訃報を伝える欄がある。今は「死亡欄」でなく優しく「お悔やみ欄」と言うらしい。平均、日に2~3人載っている。日本の一日の死者は約3700人なので載るのはかなりの人ということになる。ただ各紙必ずしも同じ人を載せておらずそれぞれ自前の情報源と選択基準があるらしい。

 若い頃はそこに目を遣ることは無かったが儀礼に気を使うべき立場になってからはなるべく見るようにしていた。特に年とってからは訃報が我が身への警鐘のように感じられ享年や死因に関心を持って読んだ。最近は載っている人が自分より年が若く聞き及びのない人が多いのであまり読むことはない。 

 英国のザ・タイムズ紙も訃報を載せる。毎日半頁ものスペースを割き誕生と結婚についての各10件位のアナウンスとともに20件位の死亡記事を掲載している。全て広告扱いで料金を取るらしい。芽出たい知らせを死亡広告と並べていることに縁起担ぎの人は違和感を持つかもしれない。鴨長明なら「朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」と無常を嘆じるところである。然し誕生と結婚と死亡は日々身近に起きていることであり人生の縮図でもある。それをありのままに受け止めて一緒に掲示しているのはいかにもリアリストの英国人らしい。 

 人の死は誰もが関心を持つ出来事である。ニュース性があるのでお悔やみ欄は閲覧率が高いという。担当記者は少ない言葉でその人と業績を的確で印象深く伝えるため苦心するらしい。石や銅板に彫るのでなく紙に印刷した現代版の「墓誌」といえるかもしれない。

 墓誌は中国の漢代に死者の名前や没年を記したものを副葬した風習に始まり時代とともに経歴や追悼文も加えて石や銅板に刻むようになったものだという。日本では熱心に唐を見習った七世紀後半から八世紀末頃まで行われていたらしい。太安萬侶(おおのやすまろ)の墓誌(723年)は短冊型の銅板に名前と位(従四位下)と没年が二行で記されている。五年後の美(み)努(のの)岡(おか)萬(まろ)の墓誌は名前を中国流に二字に書き唐風の四角い銅板に経歴や人柄や追悼の句が記されている。遣唐使に随行し晩年は従五位下(上層階級の最下位)に叙され主(との)殿寮(もりょう)(内裏の施設消耗品の管理を担当)の頭になった。懸命に務め出自からして行けるところまでの昇進に成功した官吏である。外国帰りとして当時としては好みや立ち居振る舞いがハイカラな人だったのではないだろうか。

 お悔やみ欄は死者の業績を数行に要約している。人間の一生はそれが誰のものであれ終わりに当たれば書くべきことは尽きない。然し生きるという言葉に意味を込めれば「生きた」の一言で締めくくれるようにも思う。