余談雑談(第124回)英会話の教育
元駐タイ大使 恩田 宗
大型書店に英語関係の本が数百冊と並んでいる。2020年から小学校での英語教育が始まり大学入試で英語の会話能力も評価することになったからである。小学校の3~4年生は英語を聞く話すことから始め5~6年生になると読む書くが加えられる。中学校では日本語を介さずに考える英語脳を育て会話力を付けさせるのだという。英語学習ブームは敗戦後3回目だというが今回の英語教育改革は日本の国際競争力を高めたいとの政財界の意向に押されてのことらしい。英語は敵性語として排斥された時代もあった。外国語は政治経済情勢により扱われ方が変わる。
この改革にはかねてから疑問が呈されていた。①小学校は英語教育の能力のある教師の不足など体制がまだ整っていない②中学・高校で会話も習うとなると文法・構文等の基礎的な学習がおろそかになる③英会話力の試験は民間に委託するというが公正が保たれない可能性恐れるがある④一般の日本人が英語で話す機会は少なく仕事で英語を使う人もそう多くない(2010年16%)ので生徒全員に会話力を付けさせる必要はない、などである。
英語は日本語とは発想も文法上注意すべき処も違う。英語は名詞中心の言語で日本語は述語中心である。英語は主語の明記や物の単数句数に拘るが日本語はそれに無頓着である。国際結婚で毎日英語漬けだった森瑤子や山田詠美は日本語で小説を書き始めた頃は主語が多いとか構文が硬いとか言われたという。英語の会話能力の習得にあまり時間を使い肝心の日本語能力の向上が疎かにならないかという懸念もある。シンガポールでは中国系で英中両語に熟達している人は13%で、残りは片方の言語が、多くの場合両言語とも、中途半端だという。国際ビジネスを招致し遂行するにはそれで十分でも言語を使う文化を育てるには何れの言語でも充分ではない。日本は英語力でEU諸国に劣るが事情が違い仕方がない。東アジアではトッフルの試験結果を見ると会話力を除けばそれ程悪くはない。英語は国際共通語であるが大部分の日本人にとりそれを実際に使う機会は極めて限られている。まともな英語会話力は並の努力では身につかない。和漢の古典さえ原文で読む能力を失いつつある現在使うチャンスの少ない英語会話力の習得にどれ程の時間を費やすべきだろうか。簡単な会話であればAI機器ですむようになると思う。英語を実務で使わざるを得ない人達を除きその読み書きの基本を教養として心得ていれば良いのではないだろうか。
日本の企業は新卒を採用し職務に必要な知識技能は現場で取得させてきた。英会話力については他国の企業人に比べ確かに見劣りがする。然しそれは仕事でそれを使う限られた個人の学生時代からの心がけの問題である。日本人一般の英語力の増進などという野心的な目標は達成不可能と諦めて英語を使う必要のある少数の人材の英語教育を強化するということで良いのではないだろうか。それをエリート主義と非難するのは当たらない。必要な人材を必要な量育成するということなのである。
今回の英語教育改革は「英語力の充実が・・・極めて重要」なので「アジアの中でトップクラスの英語力を目指す」ということで動機も目標も極めて曖昧で焦点が定まらず気迫に欠けている。平等主義のもと生徒全員と英語教師に旧に倍する努力を求めることになるがその割に中途半端な結果に終わる恐れがある。
(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。