余談雑談(第119回)短縮語

元駐タイ大使 恩田 宗

 若者同士の年賀はハガキによらず携帯やスマホでアケオメ コトヨロと発信して済ますらしい。彼等は画面の小さい携帯で日々メール交信をしているためか仲間内の会話でも単語や文章を異常に短く変形させる。

 単語の簡略化はハンカチ、駅弁など明治大正にも行われていたが数は多くなかった。それが急増したのは第二次大戦後である。高度成長の前半期は労働争議や学生運動が盛んで団交、ベア、勤評、時短、安保、ノンポリ、内ゲバなどの言葉が生まれた。高度成長後半期になると英語が盛んに取り入れられそれを短縮したハイテク、スーパー、セクハラなどの短縮カタカナ語が普及した。

 最近10代20代の若者が使いだした短縮単語は変形はなはだしく年配者には意味が分からない。パソ(パソコン)、メアド(メールアドレス)、ホムペ(ホームページ)、ギブ(ギブアップ)、メット(ヘルメット)、バッシュ(バスケットシューズ)、フリマ(フリーマーケット)、バゲトラ(バゲッジトラブル)、即レス(即時回答)、ヒサロ(日焼けサロン)、トリセツ(取扱い説明)、リスカ(リストカットする自傷行為)などその数は小冊子を作れる程多い。又、彼等の文章の多くは「どぉーやってもダメかも」「ありがと」「マジごめん」「ガチで好き」など尻切れ文が多くとかやかもや?を使って断定を避ける。

 清少納言や兼好法師は言葉使いの乱れを慨嘆した。明治の国語学者の大槻文彦もデスは遊里の言葉で紳士淑女が使うべきではないと論じた。F・モレシャンはフランス人の誇りとするお酒をドンペリとはひどいと不機嫌だったという。しかし、今の言語学者は日本語の激しい変遷を見てきたせいか言葉は変わるものだと現状を達観してみる人が多い。そして若者は常に新しい言葉の創造者でその言葉の一部は日本語として定着してゆくだろうという。日本人は英語を翻訳して取り入れることを半ば諦めておりこれからも短縮化されたカタカナ語が増え続けるであろう。

 それにしてもコラボ(協力提携)、トラペン(透明性)、デリ(宅配)、デュープ(複写・複製)など日本語で間に合うのに何故カタカナ語を使うのだろうか。加藤周一は日本もアメリカもそれ程違わないという実感がそうさせるのではないかと言っていたという。確かに若者はアン信じラブル、オバちゃんズ、羞恥レス、ザ山梨(雑誌名)などの言葉遊びをしており英語世界を近くに感じて生きているようである。

 なお、日本語には固有のリズムがある。憲法第23条も「学問の・自由はこれを・保証する」と五七五である。新年の賀詞も簡略化するにしても「アケてオメ コトもヨロしく」と調子よくしてはどうかと思う。