ロシアのウクライナ侵攻とドイツ


駐ドイツ大使 柳 秀直

 2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は、昨年12月に成立したショルツ政権にとり、戦争開始から約半年となる現在に至るまで、大きな挑戦となっている。ここでは開戦後半年間の動きを中心に、ドイツの対応について紹介したい。

1.ショルツ首相の「時代の転換点」演説

 2月24日の開戦後の27日、独にとっては異例であるが、日曜日に連邦議会が開催され、そこでショルツ首相は今回のロシアによるウクライナ侵攻を「時代の転換点」であるとして、連立与党議員もあっと驚く,独の伝統的な安保・防衛政策の大転換を発表した。独は日本と異なりNATO諸国及び友好国への武器輸出は行ってきており、米露中仏に次ぐ世界で第5位の武器輸出国であるが、紛争地域への輸出はしないとの政策をとってきた。この点について、ウクライナからの強い要請を踏まえ、ショルツ首相はウクライナへの武器支援を決めたことを明言した。また、ショルツ首相は国防予算の対GDP比2%以上(注:現状は1.5%前後)を目指すと共に、独連邦軍の装備改善のために通常の予算の枠外で1000億ユーロの特別基金を設立すると述べた。これまで、社民党と緑の党は、NATOが2014年に定めた防衛費の対GDP比2%目標に反対してきており、信号連立(与党三党のイメージカラーが赤緑黄のため、こう呼ばれている)が策定した連立協定でも明記を避けてきた問題だけに、TVの中継を見ても与党議員にとっては寝耳に水で唖然とした雰囲気であったが、逆に、従来から国防予算の充実を求めてきた野党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)からは、一瞬間を置いて大きな拍手が起きるという光景であった。特別基金については、独は2009年の基本法改正により、毎年GDP比0.35%しか新規債務を負えないと規定しているため、それを回避するための方途として前財務相であるショルツ首相がリントナー財務相(自由民主党(FDP)党首)と相談して考え出したと言われている。
 また、この演説で、エネルギーのロシアへの依存度を下げるべく、LNGターミナルの建設を含むエネルギー調達の多角化への政策変更を発表した。こうした政策は、直後の世論調査でも国民の7割以上の支持を得て、また、議会でも野党第一党のCDU・CSUを含む約8割の支持が得られ、この時点ではショルツ首相の大胆な政策転換が内外から高く評価された。

2.エネルギーの対露依存度の削減努力

 今年1月の時点で、ドイツのエネルギーの輸入における対露依存度は天然ガスで55%、石油で35%、石炭で50%であったが、ショルツ首相は上記演説で、この依存度を引き下げ、対露依存からの脱却を目指すと述べた。石炭は秋にもゼロにできる見通しで、石油は他から調達することが可能なため、4月末時点で12%まで削減され、年内にはロシアからの輸入がゼロになる見通しである。しかし、天然ガスについては,独はLNGターミナルを有していないため、ノルウェー、オランダからのパイプラインでの輸入量を増やすことで、30%以下まで低下させたが、独政府はロシアからの輸入から脱却するためには2024年夏までかかると予想している。当初、ロシアへの制裁としてガスの禁輸も行うべきとの意見は世論調査で6割を超えていたが、ガスを止めると家庭の暖房が止まるだけでなく、ガスを原料として、また、燃料として使っている化学工業の生産が止まり大規模な失業が発生し、成長率がマイナスになりかねないと政府が国民に説明した結果、ガス禁輸への支持は減少した。
 EU、G7は,エネルギー分野の制裁として石炭、石油の禁輸を行うこととした。石油についてはハンガリーの反対が強いため、パイプラインを除いての制裁となったが、独、ポーランドはパイプラインでの輸入を自主的に年末までにゼロにするとしている。一方、天然ガスについては、EU内にハンガリー以外にも慎重な声も強く、制裁の議論は進んでいない。そうした中、ロシアは6月以降ドイツに対する天然ガスの供給量を当初6割減に、また、7月半ばからは8割減に減らしてきた。そのため、冬に向けてエネルギー供給と価格についての不安も高まっているが、これまでのところ、厳しい対露姿勢を変更すべしとの議論は旧東独等の一部に限られている。一方で、エネルギー価格や食料品の価格上昇による物価の高騰の影響を受ける低収入層への支援が強く求められている。
 ちなみに、ドイツ政府は最後に残った三基の原発について本年末で予定通り操業を終了する予定であるが、野党CDU・CSU及び与党FDPは、エネルギーの対露依存を削減するとの観点からは、操業延長を検討すべきとの立場をとるようになった。緑の党と社民党内でも,原発稼働停止時期の見直しについて検討する動きが出てきているが、特に緑の党では党内の意見が割れている。その背景には、脱原発は元々シュレーダー政権の2000年に決めたことという自負と共に、特に緑の党にとっては脱原発が党是であるという事情がある。しかし、8月に入っての世論調査では、年末の操業終了への支持は15%で、操業延長への支持は数ヶ月か数年かの相違はあるものの、8割を超えており、今後の決定が注目されている。

3.重火器、戦車の供与

 エネルギー以上に、この半年間、毎日のように大きく報じられてきたのが、ウクライナに対する戦車等重火器の供与の是非である。2月27日以降、対戦車火器、地対空ミサイル「スティンガー」等の軽火器の供与に踏み切ったが、ショルツ政権は戦車等の重火器の供与については当初慎重な立場をとった。一方、ウクライナは当初から装甲戦闘車マーダー、レオパルト2戦車の供与を強く求めていた中で、4月に入り緑の党とFDPは重火器の供与を求めるようになった。特に、これまで武器輸出一般に強く反対してきた緑の党で、この頃の世論調査において、緑の党支持者も6割以上がウクライナへの戦車の供与を支持した。これに対し、伝統的に平和主義的傾向が強い社民党左派は、重火器の供与に慎重姿勢をとり続けたが、ショルツ首相は、4月26日に自走対空砲ゲパルトの供与を発表。28日には与党三党と野党CDU/CSUがウクライナへの武器供与支援決議に合意したことも踏まえ、オランダに続いてドイツ製の自走榴弾砲を7両供与することも発表した。
 これに戦車の供与が続くかと思われたが、8月15日現在、マーダーとレオパルドの供与には至っていない。独政府としては、ウクライナ兵が習熟しているT72戦車等の旧ソ連兵器を中東欧諸国からウクライナに供与してもらい、独はその穴を埋めるべく中東欧諸国にレオパルト等を供与するという形をとりたいと考え、一部の中東欧諸国は実際にそれに期待してウクライナに旧ソ連製武器を供与したが、ドイツと中東欧諸国の交渉は必ずしも円滑に進んでおらず、また、ウクライナは直接ドイツ等から西側の兵器を受け取ることを求めているため、ドイツの慎重姿勢は国内外で批判され続けている。

4.ウクライナ、ポーランド、バルト三国からのドイツへの批判

 ウクライナの独への要求、批判の背景には、今回の戦争は独がロシアのクリミア併合以降もエネルギー面での対露依存を高め(2014年に約40%だった対露天然ガス依存が約55%にまで上昇していた)、更にノルド・ストリーム2(第二バルト海ガス・パイプライン)を建設して対露依存を更に高めようとしてロシアを増長させ、結果的にロシアが戦費を蓄えることに協力したために起きたとの厳しい見方があるように思われる。ウクライナ、バルト三国、ポーランドは、ロシアによる侵攻が始まる遙か以前から、メルケル政権のノルド・ストリーム2建設の決定を批判し続けていた。
 更に、ドイツによる重火器の供与が進まないため、ウクライナ、ポーランドのみならず、最近では米英のメディアもドイツへの批判的立場を表明している。

5.ショルツ首相の慎重な態度の背景

 ショルツ首相の慎重な態度が自身の考えに基づくものなのか、それともロシアへの贖罪意識とブラント元首相の東方外交への誇りから平和主義的志向が強い社民党内左派に対する配慮によるものかは判然とせず、ショルツ首相は党首ではないため、党内左派の意向に配慮せざるを得ないという面があるのかもしれない。また、ドイツ国内では旧西独では厳しい対露政策を求める意見が強いのに対し、旧東独ではロシアに対する配慮と、ロシアからのエネルギー供給削減の影響が旧西独より大きいことから、対露制裁、ウクライナへの武器供与にも慎重な声も少なくない。

6.ドイツにおける中国リスクへの警戒感の高まり

 ロシアのウクライナ侵攻までは、多くのドイツ人は、中国は中立的な立場からウクライナとの停戦を仲介するのではないかと期待していたが、その期待は裏切られた。また、エネルギー面での対露依存の行き過ぎにより、ドイツ経済が大きな危機に直面していることから、経済面での対中依存の行き過ぎへの懸念が高まっている(注:中国が独の貿易量に占める割合は10%弱)。また、上海等の極端なロックダウンで独企業も大きな影響を被ったため、対中依存を減らすべく多角化を図る必要があるとの議論が頻繁に聞かれるようになってきた。更に、ペローシ米下院議長の台湾訪問後の中国の過剰とも言える軍の反応を見て、ドイツ経済界にも、チャイナ・リスクへの意識は高まってきていると思われる。

7.今後の見通し

 日本国内や米英の報道の一部には、今後、経済状況、エネルギー供給事情の悪化に伴い、EUの結束にひびが入り,独仏伊は早期の停戦を求めてウクライナに譲歩を働きかけるのではないかとの見方もあるが、8月半ばの時点で見る限り、少なくともドイツにおいては、厳しい対露政策を維持することへの支持は過半数を大きく超えている。秋以降のことはわからないが、ここでプーチンの侵略を止めなければ、次はバルト三国やポーランドが標的となり、ドイツにとって直接の安全保障上の脅威となりかねないと国民の多くが警戒しているのではないかと思われるので、経済が苦しくなったからドイツの世論が簡単に制裁解除に流れるということにはならないかもしれない。
 メルケル政権下の16年、ロシアからの安いエネルギーを使って製造業が生産したものを中国に売るというビジネスモデルで経済を発展させてきたドイツは、今、戦後最大のチャレンジに直面している。

(注)本稿は筆者の個人的意見を記したものである。