ロシアによるウクライナ侵略と国連


元国連事務次長 赤阪 清隆

 ロシアによるウクライナ侵略は、明白な国連憲章違反で、断じて許せない暴挙だ。連日のニュースを見るにつけ、怒りがこみあげてきて、腹の虫がおさまらない。ウクライナの首都キエフには、20数年前に一度だけ訪れたことがある。街に人はまばらなのに、立派な地下鉄があるので驚いた思い出がある。その地下鉄が、ロシア軍による爆撃を避けるためのキエフ住民の防空壕となっているとのニュースに、心を痛めている。

 文明が進んだはずのヨーロッパで、このような野蛮な戦争が展開されるとは、心底驚きだ。メルケル前独首相は、プーチンのことを、21世紀にあって19世紀型の方法を使う指導者だと評したことがあるようだ。元外交官で評論家の宮家邦彦氏は、「最初の4日間で、ウクライナは悲劇の主人公となり、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は英雄となり、ロシアの名声は地に堕ち、プーチン大統領は「悪の権化」と化した。ロシアは「得るもの」よりも「失うもの」のほうが大きいだろう」と喝破されている。慧眼(けいがん)と言える。

 今回のロシアによる侵略について、日本政府は、力による一方的現状変更の試みであり、国際社会の秩序の根幹を揺るがすものとしてロシアを厳しく非難するとともに、先進主要7か国(G7)を始めとする国際社会と緊密に連携し、迅速に厳しい措置を打ち出している。また、岸田総理大臣は、日本として少なくとも1億ドル規模の借款に加え、国難に直面するウクライナの人々に対する1億ドルの緊急人道支援を行うことや、避難民を受け入れることについて、ゼレンスキー大統領に伝えている。さらに、市民レベルでも各地で反戦デモや募金活動などウクライナ支援の動きが広がっている。

 ここでは、今回の危機に対する国連の対応にしぼってお話ししたい。結論を先に申し上げれば、これまでのところ、国連は今回の危機に際して、様々な制約を抱えながらもやれることは精力的によくやっている気がする。確かに、国際の平和と安全の維持が任務の安保理は、ロシアの拒否権のために機能不全に陥っていると言えるだろう。しかし、これは想定内のことで、今さらこの時点で拒否権云々を議論しても仕方がない。安保理が、ロシアに対する非難はおろか、経済制裁や武力制裁を決議できなかったからといって、国連が全く無力だと決めつけるのは早すぎる。

 それよりも注目されるのは、世界の国々を結集し、国際的な世論を作り上げるというソフト・パワーを持った国連が、今回はその能力をいかんなく発揮していると言えることだ。安保理では、ロシアが拒否権を行使しましたので決議案は通らなかったが、その後、40年ぶりに安保理の要請という形で、国連総会の緊急特別会合が2月28日から3日間開かれた。その結果、ロシアの「侵略(aggression)」を最も強い言葉で「遺憾」とし、ロシア軍のウクライナからの即時撤退を求める決議が、141カ国の賛成で採択された。反対したのは、ロシア、ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、およびシリアの5カ国だけ。中国、インド、キューバ、ベトナムなど35カ国は棄権した。国連加盟国は全部で193カ国なので、圧倒的多数で、ロシアの侵略が国際的な非難を浴びたと言える。

 3月3日付の朝日新聞夕刊は、この決議採択を受けて、ウクライナの国連大使が、「国連はまだ生きている。私は国連を信じている。ウクライナの市民にとっても、国連を信じる理由がより増えた」と語ったと報じた。4日付の日経新聞社説も「これが世界の声だ」と断じ、総会決議には法的拘束力はないものの、多数の国々が結束して、ロシアの国際社会の中での孤立は鮮明だと記している。バイデン米大統領は、採択後の声明で、決議は、世界の怒りの大きさや前例のない結束を示すものだと強調した。星野俊也大阪大教授も、国連は「限られた時間で考えられることはやったと言える。満点に近い」と高く評価している(3月4日付朝日新聞)。満点かどうかは異論があるかもしれないが、国連の限界をよく知る人から見ると、今回は、安保理、総会とも、動きは迅速で、国連でなければできないことをやっていると高く評価してもよいのではないだろうか。
 
 グテレス国連事務総長の動きについては、当初情勢が緊迫しても仲介に動く姿勢は見せず、状況を注視するにとどまってその動きは鈍かったと批判する声もあるが、ロシアがウクライナに侵攻してからの強いメッセージは、世界の世論を結集するのに役立っていると思う。すでに100万人以上のウクライナ人が近隣諸国に避難しており、緒方貞子氏がおられた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や、世界食糧計画(WFP)、世界保健機関(WHO)なども、緊急支援を強化している。国連人権理事会は、ロシアの武力侵攻に関連する国際人道法違反などの人権侵害について、現地で調査する独立委員会を設ける決議を採択した。

 特に注目したいのは、オランダにある国際刑事裁判所(ICC)が、3月2日、39カ国の加盟国からの要請を受けて、ただちに、主任検察官が捜査を実施すると発表したとのニュースだ。同裁判所は、「集団殺害犯罪」、「人道に対する犯罪」、「戦争犯罪」および「侵略犯罪」のいずれかの罪を犯した個人を、国際法に基づいて訴追処罰することができる。小田滋氏や小和田恒氏がおられた国際司法裁判所(ICJ)では当事者が国家だけなのに対し、国際刑事裁判所(ICC)では個人の犯罪を扱う。従って、プーチン個人を訴追、処罰することができる。

 そうはいっても、ICC職員がモスクワに踏み込んでいって、「プーチン、逮捕する」ということができるわけではない。国際刑事裁判所(ICC)の設立を決めた基本条約のローマ規程には、日本を含む123カ国が締約国になっているが、ロシアもウクライナも、ともに締約国ではない。しかし、ウクライナは、2015年にICCの管轄権を受け入れることを表明している。犯罪行為の実行地または被疑者の国籍国のどちらかがローマ規程の締約国か、あるいは、どちらか一方がICCの管轄権を認めれば、ICCが管轄権を行使することができる。従って、ICCの検察官が「人道に対する犯罪」、「戦争犯罪」あるいは「侵略犯罪」の容疑でプーチン起訴を決めれば、プーチンがウクライナやICC加盟国の領域に入れば、彼を逮捕してICCで裁判にかけることが可能となる。プーチンとしては、将来海外旅行をするとしても、北朝鮮かシリアあたりにしておかないと、いつ何時逮捕されるかもしれないという、怖くて孤独な状況に置かれることになる。もはや枕を高くしては眠れないー自業自得と言いたい。

 このように、国連およびその関連機関は、目下のところ、ウクライナ危機に際して一所懸命に対応しているのがわかる。日本の国連に対する好感度は、2020年に29パーセントと、歴代最低の数字を出した。昨年は、41パーセントと若干持ち直したものの、アメリカですら59パーセント、欧州の各国は軒並み6割から7割の人々が国連に高い好感度を示しているのに比べれば、日本の数字はあまりに低すぎる。確かに、安保理の改革はいつまでたっても見通しがきかず、常任理事国を目指す日本には不満がたまる。しかし、今回の危機に対する国連の動きは、メディアも大きく取り上げているし、評価する声も見られ、これらを見て、「国連はなかなか良い仕事をしているじゃないか」という国連への好感度が日本でも高まることを期待している。

 国連は「腐っても鯛」と言っては身もふたもないが、村の鎮守の神様を祀るお社(やしろ)のようなもの。この普遍的な理念と理想、世界中からの加盟国を擁した国際組織にとって代われるものはない。「国連なんぞつぶしてしまえ」という人も、つぶした後に、同じような国際的な組織を必要とする時がすぐ来るのを痛感するだろう。今回のウクライナ危機で明確になった安保理の機能不全は、安保理改革の国際的な機運を再度高めることが期待される。そして、何よりも、日本にとって死活的な重要性を持つ東アジアの安全保障、特に台湾統一の名のもとに中国からの侵攻が起きた場合に考えられる国際的な対応について、大事な教訓を与える演習が日々行われつつあるとも見るべきかとも思う。その意味で、今後ウクライナ危機がどのように展開していくのか、それに対して、国連や国際社会はどのような対応を見せるのか、毎日世界のニュースから目を離せない。