ロサンゼルスから見た東京2020オリンピック


在ロサンゼルス総領事 武藤 顕

 東京オリンピック・パラリンピックも終わり、暑く、混乱した2021年の夏が終わろうとしているこの折、当地報道ぶりを中心にオリンピックを振り返ってみたいと思います。

 当地ロサンゼルスでは2028年にオリンピック開催が予定されていることから、東京2020への関心は高く、1984年大会(ロサンゼルスで開催された二回目のオリンピック)での財政黒字を継承した団体LA84が、東京2020開催前に、1932年の大会(当地で開催された最初のオリンピック)での馬術障害競技で金メダルを獲得したバロン西(陸軍軍人西 武一。その後太平洋戦線に服役し、硫黄島で戦死。クリントイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」に、誇り高き軍人であるとともに米国人にも気脈の通じた人物として好意的に描かれている。)が当地に友情の証として寄贈した乗馬用の鞭をご遺族に返還することを早々に決定し、当地と日本との結びつきや縁を親愛の情をもっても演出していました。そして、空手「型」の米国代表である、ハワイ出身の当地日系人國米さくらがUSA Today に寄稿し、オリンピックに臨む熱い思いを語りながら、コロナを乗り越え安全な五輪開催への支援を表明するなど、ポジティブな題材は少なからず見られていました。また、ガルセッティ・ロサンゼルス市長も菅総理のオリンピック開催決定への支持を表明し、そのリーダーシップを讃えるなど、市民は一貫して、日本によるオリンピック開催にエールを送っていました。ロサンゼルス市民にとっては、近年オリンピックが世界の大都市で不人気になりつつある中にあって、自分達の2028大会開催に向けて東京2020から少しでも教訓を学ぶ上でも、日本には頑張ってオリンピックムーブメントを盛り上げてほしいというのが本音であったように思われました。

 しかしながら、開催が近づくにつれ、日本国民にとりオリンピックが極端に不人気であり、海外からの観客が認められないことが決定されると、「国際オリンピック委員会(IOC)は日本での抗議の声を聞くべきである(IOC should listen to Japan protesters)」(Dylan Hernandez記者)と題し、東京オリンピック・パラリンピック競技大会は中止すべきである(7月19日付ロサンゼルス・タイムス紙(B10面)との論調も現れ、筆者を慌てさせました。それ以降は、日本の決定に理解を示しながらも、観戦目的で訪日を計画していたのに当てが外れたことに落胆が隠せない市議会議員等の関係者に対し、世界に希望の明かりを点すために日本が頑張って開催することに理解を求めることが筆者の仕事になりました。その頃から、限られた当地のジャーナリストが取材のため日本を訪れるようになり、当地報道でもオリンピックの現場からの話題がちらほら取り上げられるようになりました。しかしながら、福島復興や多様性社会の共生といった我が国が掲げたテーマは陰に隠れてしまい、専らコロナ禍のオリンピックに焦点が集中していたのは残念でした。就中、無観客開催については「妙で前例のないもの」と題し、「実験室で行われる競技のようなもので、東京オリンピックは面白みが感じられないものであった」(8月9日付ロサンゼルス紙1面)とするなど、落胆を隠さない論調であったほか、我が国の入国規制や隔離措置に関し、「多くのオリンピック選手にとって、障害は官僚主義であった」と題し、東京オリンピックは「多くの訪問者にとり、期待されたような歴史上の革新的なオリンピックではなく、入国する際の多くのペーパーワークや欠陥アプリ、硬直した官僚主義と考えられているであろう」、また、「ファックスやはんこなどの時代遅れの慣行遵守が柔軟性のない政治的リーダーシップとパンデミック対応の中心にあった」(8月9日付けロサンゼルス・タイムス4面)旨辛口に報じられていました。

 そのような中で、外務本省の多大な支援の下、緊急事態宣言化の日本に送り込んだ当地ABCニュース・アンカーマンであるDAVID ONOが一人、気を吐いて、オリンピック会場の炎やオリンピック村が福島の浪江町に建設された世界最大の水素製造施設(FH2R)で製造された水素を燃料源としていることを自らの福島取材を通じ、福島復興の文脈で、これこそが東京2020からの世界へのメッセージであると報じてくれたのは有り難いものでした。興味のある方は、次のリンクをご覧になっていただければ幸いです。
 ①水素エネルギーによる福島の復興関係
  https://abc7.com/tokyo-japan-olympics-hydrogen-plant/10927793/

 ②今後の水素エネルギーの展開
  https://abc7.com/hydrogen-energy-clean-lancaster-namie-town/10927919/
   
 特に上記のリンクでも紹介されていますが、オリンピック直前に、福島の浪江町と当地ロサンゼルス近郊で水素化に力を入れているランカスター市の間で取り交わされた、水素社会構築のための協力を推進する覚書の署名式に出席したLA郡の郡政官が、2028年には、今回浪江町がしたように、ランカスター市がLAオリンピックに水素燃料を供給するようになることを希望する旨表明し、地元プレスに大きく取り上げられたことは、東京2020のレガシーが水素社会の構築にあることを当地の人々が受け入れた瞬間であり、署名式を主催した筆者にとっても溜飲が下がる思いでした。

福島県浪江町とランカスター市との水素社会構築のための協力を推進する覚書の署名式

 米国選手の大活躍も手伝って、当地オリンピック報道は尻上がりに良くなり、あれほど不人気であったバブル方式も、最後は、毎日の自己検温、3日ごとの新型コロナウイルス検査、マスク着用等のルールにより安心して滞在することができたとの印象に変わっていました。また、先述のDavid ONOに至っては日本に比べ米国の対コロナ警戒心は低すぎると、批判の矛先が米国に向けられる始末でありました。これもご参考までにリンクを紹介しておきます
 https://abc7.com/japan-olympics-tokyo-covid-restrictions-coronavirus/10906577/

 最終的には、取材に当たったLAタイムスのベテラン記者からは、新型コロナウイルスの影響により様々なことを断念しなくてはいけない状況であったが、日本は完璧とはいえないまでも、現在の状況で最大限できることを行った、選手達からもオリンピックを実施しなければよかったという後ろ向きな意見は一人として聞かなかった、という大変高い評価をいただきました。大会組織委員会を始め関係者のご尽力に敬意を表したいと思います。特に異口同音に、ボランティアの方々が大変素晴らしかったという評価が聞かれ、バブル方式の下で味わえなかった日本人とのコンタクトをボランティアの方々が見事に穴埋めし、東京2020を救ってくれたというのが偽らざるところではなかったかと思います。

 最後に、東京2020のレガシーは何であったのかを考察してみたいと思います。選手の男女比率が50:50であったことを始め、全体的に女性の活躍が感じられたことやトランスジェンダーの選手が初めて出場したこと等、ダイバーシティーを感じたとの声も聞かれましたが、正直申し上げて多様性との共生は、世界に比べれば現状において圧倒的に単一民族社会である我が国において定着するにはまだほど遠いと感じます。歴史的に欧州、中南米、アジアから大量の移民を取り込んできた米国、特に、39.3%がヒスパニック系、15.3%がアジア系、6.5%がアフリカ系の当地カルフォルニア州、就中、アルメニア人、エチオピア人、バングラデシュ人、イラン人、日系人等、それぞれ国外で最大のDIASPORA(海外居住者)コミュニテイが共存する当地ロサンゼルスを前に、我が国が多様性との共存を謳うのは、どことなくこそばゆい思いが拭えません。少なくとも10年後に、東京2020を境に多様性社会が定着したと言えるようになっているとはとても思えません。

 とすれば、東京2020のレガシーは、64年オリンピックにとって新幹線、高速道路といった近代インフラがレガシーとなったように、テクノロジーとサステナビリティが妥当であるのではないかと思います。特に、我が国は、世界に先駆けて既に2030年までの水素社会の構築を閣議決定しており、菅政権下でも2050年までの脱炭素宣言を行い、バイデン米政権とも気候パートナーシップ共同発表を表明しています。オリンピックを契機に水素社会が定着していくことは現実味がありますし、当地においてもわかりやすい、かつ、夢を与えるストーリーとして受け入れられています。先述の郡政官の発言には、まさにそのような期待が込められているものと思います。

 もとより当地カリフォルニア州にとり、我が国は最大の投資国家でありますが、近年、同州が米国において最も気候変動対策のための新技術の導入に積極的であることから、サステナビリティの分野において我が国企業の投資は一層盛んに行われているように見受けられます。ロサンゼルスはかねてよりスモッグに悩まされてきましたが、その最大の原因は全米の輸入貨物の4割が荷揚げされるロサンゼルス港でヂーゼル船や搬送用トラックやクレーンが排出するガスにあるといわれています。その港を2028年のオリンピックまでに脱炭素化しようと市は躍起になって取り組んでおり、現在、トヨタを始め、イワタニ、豊田通商等の日本企業は港の水素化のために様々な投資を行っています。目標はオールジャパンで、水素の生産、輸送、貯蔵、消費のすべてのサイクルをつなぐ水素バリュー・チェ-ンのビジネスモデルをロサンゼルス港で構築することにあり、それによって日本主導の水素社会が南カルフォルニアで実現に近づくことになります。南カリフォルニアで日本の水素社会ビジネスモデルが確立されれば、全米展開、さらには世界展開も夢ではありません。そうなれば、日本経済も大いに潤うことになりますし、世界の気候変動との戦いにとってもゲームチェンジャーとなり得ます。これこそ、当地での2028年大会を見据えた東京2020のレガシーにしたいものです。