リオデジャネイロから見た東京オリンピック・パラリンピック―「リオから東京へ」、「東京からリオへ」―


在リオデジャネイロ総領事 橋場 健

はじめに

 2013年9月7日、ブエノスアイレスでの第125次IOC総会で、ジャック・ロゲ会長が「TOKYO」と発表したのをニュース映像で見た時、筆者は、もちろんその場にいたわけでもないし、誘致の仕事に深く携わっていたわけでもないが、諸手を挙げ、さらには飛び上がりたいほどに喜んだのをよく覚えている。というのも、オリンピックとパラリンピックが開催されることに決まった東京は私が生まれ育ったふるさとであり、1964年大会の時はまだ生まれていなかった。ということもあって、東京大会の開催は大きな楽しみであり、チケットの獲得が容易でないこともあって、競技場での観戦こそ難しいにしても、大会開催時には東京にいて、開催地の雰囲気も是非とも体感できればいいと思っていた。

 開催地にいるという意味では、幸い1992年のバルセロナ・オリンピックの時、ちょうど語学研修でスペインに滞在していた。大会期間中にバルセロナも訪れ、スタジアムに行って聖火を見たりして雰囲気は味わうことができた。しかし、当時はまだインターネットもない時代であり、日本人の活躍をリアルタイムで知ることはできず、また現地ニュースは当然ながら現地で人気のある競技しか取り上げないので、日本人が金メダルを取ったことですら、翌日の新聞に掲載される全競技の結果一覧に書かれた小さい記事で見るくらいであった。そんなこともあり、大会開催時は自国にいるのが最善と感じていた。

 2020年の夏は、人事の関係でも東京にいられる公算が高くなり、開催を大変に楽しみにしていたが、まさか新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ」)が世界中に蔓延するというような事態は予想もしてなく、延期の決定がされた時は、やむを得ないというか当然と受けとめたが、正直な気持ちとしては大変に残念だった。コロナの先行きは予測もできなかったので、2021年夏も開催できるのかは不透明だったと想像するが、開催に先立つ3月に、ブラジルのリオデジャネイロ(以下「リオ」)への赴任が発令された。スペイン語研修で中南米を「ホームグラウンド」と思っている筆者としては、行き先については不満もないどころか、ありがたいくらいに感じたが、東京大会を目前に控えた時期に、前回開催地であるリオに赴任になろうとは、幸いに感じながらも、何とも皮肉な巡り合わせだとも率直に思った。リオ大会終了後から、「リオから東京へ」を、リオと東京の、さらにはブラジルと日本の益々の関係強化の合言葉のように使ってきたが、筆者はその逆の「東京からリオへ」移動することになった。

ブラジル人はオリンピック・パラリンピックが好き

 本題である、ブラジル人(より正確にはリオのブラジル人)のオリンピック・パラリンピックへの思いについては、一言で言えば「好き」というのが、こちらに来て率直に感じるところである。

 リオは、前回開催地ということもあり、オリンピックには関心が高いと感じる。どこの開催国・開催地もそうであるように、リオでも開催当時には、一定の反対勢力が存在したそうであり、また、競技場や選手村の跡地をどう有効活用していくかという問題は、今なおニュースになるなど懸案事項となっていることも関心を高める一因であろう。一方でブラジルは、サッカーに熱狂してきた国民性から見てもわかるとおり、スポーツ好きであり、カーニバルにも象徴されるように、オリンピックやパラリンピックといった「お祭り」も好きである。

 ブラジルのオリンピック委員会はリオに所在するので、同会長には本年4月の着任後、早々にご挨拶に行ったが、東京大会が本年に開催されることを当然の前提として、コロナ対策も含めた諸準備を進めているのが分かったのは印象的であった。このパウロ・バンデルレイ会長はもともと柔道選手だったということもあって日本とも縁が深く、とても親日的であることもあり、東京大会の開催に期待を持っている様子も強く感じられ、着任早々からとても嬉しく思ったことをよく覚えている。

(写真)筆者を挟んで右がバンデルレイ・オリンピック委員会会長、左がロジェリオ・サンパイオ事務局長。

前回開催地としての東京大会への関心

 リオは前回開催地として大会を東京に引き継いだ立場であり、リオのスタジアムで五輪旗を東京都の小池知事に渡した、当時リオ市長だったエドゥアルド・パエス氏は、その後市長職を離れたものの、本年の大会開催時には再びリオ市長になっていた。そんな縁もあり、東京五輪開催に先立つ本年7月22日、リオ市内の中心地にある、リオ大会開催時には聖火をともしていた台のある場所で、「リオから東京へ」を実演するように、パエス市長から「聖火」(実際は当然ながら聖火ではなくただの火)のトーチを受け継ぎ、それを日本の総領事である筆者からリオの子供たちに渡して、聖火台に点火するという式典が開催された。(パエス市長が大の日本酒好きでもあることはその後に知ったことだが。)

 五輪ファンの筆者としても、リオ五輪の聖火トーチを、しかも点火されたものを実際に手にできるのは光栄でもあり、率直に嬉しかった。少し脱線するが、この点火行事があることが当館に伝えられたのは行事の前々日くらいであり、しかも市当局からではなかったので、やや疑わしくも思えた。その後、市からも連絡があり、実際の行事の次第はシンプルであったが、その説明を受けたのも当日現場に到着した後に、所要5分くらいで行われるという、いかにも「ブラジル流」という感じであった。

(写真)聖火点火行事。パエス市長と筆者とリオの子供たち。

 リオには、ブラジル最大のマスメディアのグローボ(Globo)社が所在することもあり、当館が懇意にするテレビキャスターが、東京大会について筆者にインタビューをし、自身がメインキャスターを務める番組で放映してくれるという、大変幸運な機会に恵まれた。着任間がなかったこともあり、拙いポルトガル語力で上手に対応できたか自信はないが、東京大会に向けた日本の対応をブラジル全国に発信できる機会を得られたのは大変貴重であり、またリオは東京大会を応援してくれていることを強く感じることもできた。前述の聖火と併せ、着任から3ケ月程度で実施できた業務として、個人的にも大変思い出深く、リオの関係者の対応には今も感謝している。

 テレビや新聞をはじめとするメディアの報道は、大会が始まる前までは、どちらかというと日本での反対デモや、パンデミック中での開催を心配する日本国民の声を取り上げているものが多かった。一方で、各競技施設や選手村とそこでのコロナ対策、ボランティアの準備状況について特集として取り上げたものもあった。

 大会が始まると開催批判に関する報道はほぼ見られなくなり、先ほど紹介したグローボ社の新聞「O Globo(オ・グローボ)」には、毎日別刷りのオリンピック特集版があり、世界最大のスポーツの祭典としては当然なのかもしれないが、ブラジル人がメダルを獲得した時に限らず、各競技での世界の選手の活躍を大きく取り上げており、大会に対する関心の高さを感じた。時差が12時間と、ちょうど昼夜が正反対になるが、テレビでも、グローボをはじめとして、有料チャンネルは複数チャンネルがライブで中継を放送していた。オリンピック好きの知人たちは、日々寝不足だと笑いながら言っていたが、それもリオの人たちがオリンピックを楽しみにしていた証拠だと受け止めている。

大会後の感想を聞いてさらに誇らしく思う

 ブラジル・オリンピック委員会の会長は、自身が東京大会時に訪日したこともあり、直接に感想を聞かせてもらう機会があった。日本の総領事を前にしてのリップサービスという要素は幾分あることと思うが、大変に絶賛いただき、嬉しく感じた。世界を、また、日本のこともよく知っている同会長から、コロナが世界中に蔓延する中で、無観客という厳しい選択を迫られながらも、見事に大会を開催できたのは、日本だからこそできたことであり、日本以外の国では、この状況下での大会の開催など考えられなかっただろうという賞賛の言葉を聞き、大変誇らしくも思った。

 そのコロナに関して、同会長は、ブラジルが日本に持ち込まないこと、また終了後は日本からブラジルにも持ち込まないことを最重要の課題とし、それを実現できたことには安堵しているように見受けられた。また、個人的な思い出としては、同会長の誘導などを担当されたボランティアの方の対応が大変にすばらしかったことに感銘を受けたそうである。離日する前にそのボランティアの方がポルトガル語の手書きメッセージを下さったことに感激したとも語っていた。日本らしい「おもてなし」の気持ちの現れであり、そのボランティアの方に筆者からも感謝したい気持ちになった。

 大会開催前に聖火の行事でご一緒したパエス市長とも、大会終了後にお目にかかる機会があったが、開口一番、大会の無事の開催に対するお祝いの言葉をいただいた。オリンピック委員会会長同様に、日本でなければできなかったことだと賞賛いただき、その言葉に大いに感謝しながら、誇らしく思った。

 上記の2人のようにオリンピックにご縁のある方に限らず、大会終了後にお目にかかったリオの方々からは、あんなことできるのは日本しかない、と一様に賞賛の言葉をいただいた。賞賛と同時に、連日深夜のテレビ中継を見たせいで、寝不足にもなったけどね、とも言われ、ユーモアまじりのやりとりに大会への関心の強さというか、やはり好きなんだ、ということも強く感じた次第である。

結びに

 以上、筆者自身がリオにいて見聞きし、感じたことを、私的な観察として述べてきたが、こうして少し胸を張って本稿を書けるのも、大会が無事に、また見事に開催・運営されたからである。その実現に向けたご苦労やご尽力は計り知れないものがあるが、実際に関わった多くの方々には、心からの敬意と感謝の気持ちを表したい。日本の優れたイメージを世界中に発信する機会にもなり、外国で勤務する身としても大変にありがたいことと感じている。

 大会開催時に東京で体感できなかったことを残念に思う気持ちはゼロではないが、リオという前回開催地にいたからこそできた貴重な経験もあり、やはり自分は幸運だったと今も思っている。次回のパリ大会開催時に世界がどういう状況になっているかは予測もできないが、大会を楽しみにしたい。